7月のお話  あかたろう
  むかし たいへんものぐさな おじいさんとおばあさんがいました。
本当に ものぐさで なにをするのもめんどうくさくて、何日も 家の中でじっとしているだけだったのですが、ある日 ふたりが何の気なしに 体をこすったところ 体から垢がぽろぽろ落ちてきました。

 お爺さんとおばあさんは なんだか それが面白くて 体のあちこちをこすっては、前のものと一緒にしてぎゅっと丸め、また ぽりぽりこすって垢をだしては さっき丸めたものに、さらにくっつけて・・ と やっていたら、しまいには 一かたまりになったので、ちょっといたずら心を起こしたおじいさんは、それに つばを混ぜて練り、小さな人の形にしてみました。

 できあがった小さな人形をみているうちに、なんとなく それが可愛くなってきたおじいさんとおばあさんは、それを取っておいたからといって 何になるでもないものでしたが、だからといって そのまま捨てるには かわいそうな気がして、どうしたものかと思いながら上を見ると、ほこりだらけの神棚が目に付きましたので、垢で作った小さな人形を とりあえず 神棚において、特に何を拝むでもなく ぱんぱんと 手を打ちました。

 すると 不思議なことに 神棚に上がった人形が とつぜん むくむくと体をゆすったと思ったら、大きく伸びをして 周りをきょろきょろ見回したのです!

 ふたりは 夢でも見ているのかと思って ぽかんとそれを見ていましたが、すぐに 神棚の人形とおじいさんとおばあさんの目が合い、人形は ぴょんっと下に飛び降りたかとおもうと、ふたりの前に すっくと立ちました。

 お爺さんとおばあさんと垢で作った人形は 黙ってお互いを見ていましたが、しばらくすると 人形がいいました。「じ様、ば様、おら はらがへった。」

 お爺さんは はっとして「おお、そうか・・、あ そうじゃな。うん、あ・・っと では ちょっと まっとれや。」といって 隣近所の台所に駆け込んで 事の次第を話し、とにかく いくらかの野菜やなにやらをもらってきて、それを おばあさんが料理をして、垢で作った人形―あかたろうに 食べさせました。

 ふたりの住んでいる村は 大変貧しく、その日暮らすのも大変でしたが、でも 心の優しい人たちばかりでしたので、すぐに おなかのすいている子供のために 持っているもので分けられるものを お爺さんたちにくれたのでした。

 あかたろうは だされたものは なんでも喜んで ぱくぱく食べました。それを 目を細めて楽しそうに見ていたおじいさんとおばあさんは、ふと あることに気が付きました。どうやら あかたろうは ご飯を一膳食べると ご飯一膳分 大きくなるようなのです。

 何日かして 随分と大きくなったあかたろうは ある日 お爺さんに こういいました。「じ様、おら 金棒がほしい。金棒をくれろや。」

 お爺さんとおばあさんは 金棒など何にするのかと思いましたが、自分の体をこすって出た垢からうまれ、神さまに命を吹き込んでいただいた あかたろうです、きっと なにかわけがあるのだろうと、村の鍛冶屋へ行き、こうこう こういうわけで 金棒がいるのだが、作ってくれないか と 頼みました。

 すると鍛冶屋は、事の次第を知っていましたし、お爺さんたちと同じ考えだったので、自分から金棒を作って、あかたろうに渡しましてくれました。

 それから あかたろうは お爺さんとおばあさん、村の人たちに別れを告げて、おばあさんのこしらえてくれた 赤いちゃんちゃんこを着て、一人で金棒を肩に担いで 村を出て行きました。

 おじいさんとおばあさんは それから 毎日 神さまに「どうか あかたろうが無事でいますように。そして 元気で戻ってくれますように。」と 朝に晩にお願い事をし、いつ あかたろうがおなかをすかして戻ってきてもいいように、それからは せっせと畑を耕し、そこでとれた作物を売りにいったりして、ふたりで 一生懸命 働きました。

 そして 三年の月日が経ち、ある日のこと、お爺さん達の住む村に 出て行ったときより ずっと大きくなった あかたろうが戻ってきました。
 あかたろうは 世の中に出たあと、持っていった金棒を使って、沢山の鬼を退治しては いろんな人たちの困っていることを助けたので、そのたびにお礼として食べさせてもらったご飯で どんどん大きくなり、また これも御礼の宝物やお金を持って、見違えるほど立派になってかえってきたのですが、体は 勿論 あいかわらず 垢のままでしていました。

 お爺さんとおばあさんはあかたろうを見て おおよろこび。村の人たちを呼んで みんなで一緒に あかたろうの帰ってきたことを 盛大にお祝いし、みんな 夜遅くまで、飲んだり騒いだり、あかたろうのこれまでの話を聞いて びっくりしたり おおわらいしたりして、とても楽しく過ごしました。

 夜もふけて、村の人たちが 帰っていくと、おばあさんは お爺さんに あかたろうと一緒に風呂に入って、長旅の疲れを取るように と 言いましたので、お爺さんも 
「それがいい。あかたろう、長いたびで さぞつかれたことじゃろう。どれ、わしがお前の背中を流してやろうや。」といいました。

 あかたろうは ちょっと考えるような風でしたが、「そうじゃな。」といって、二人でおばさんの沸かしたお風呂に入り、先に お爺さんの背中をあかたろうが洗って流してやりました。

 それじゃ お前の番 といって おじいさんが あかたろうの背中を洗い、うえからざーっとお湯をかけたのですが・・! あかたろうは みるみるうちに お湯に溶けて、すっかり姿が見えなくなってしまいました。

 お爺さんもおばあさんも とってもあわて、びっくりして、おたがいに あかたろうに風呂を勧めたことを 後悔しあいましたが、いくら 嘆いても もう あかたろうは 戻ってきません。

 あかたろうがいなくなったことは 大変 さびしく悲しいことではありましたが、お爺さんとおばあさんは あかたろうがきてくれたおかげで 一生懸命働くことができたし、あかたろうがもってきてくれた沢山の宝やお金もあったので、村のひとたちとも分け合いながら、その後も ふたりで よく働いて 達者で 幸せに暮らしたということです。


 このお話は・・・ ご存じない方のほうが多いでしょう。 
というか あれ?っと思われた方は おいでかもしれないですね。

 そうですね。一般に このお話を記憶しておられる方には 力太郎 というお話として、垢でできた子供の活躍があったはず ということではないかと思います。

 実は この話を 周りの誰に話しても しらない というので、今回 それならばと初めて検索にかけてみましたところ、たしかに 力太郎の話がもとになっていて、私が もしかしたら???また 例によって 勝手な解釈をしていたのかも と おもってはいますが、でも 私は まったく このとおりに おぼえているんですねー・・・。
 ですから わたしにとっては これが 正統派・・のお話なんです。

 ま とにかく そういうお話です。ちょっと 最後がせつないですけれど、お風呂場で流れて消えていくときも あかたろうは なにもいわなかったと 私は記憶していて、それはそれで、また とても 意味深い大事なことのような気がしています。

 いろんな老夫婦に願ってもないことが恵まれるお話がありますが、まったくものぐさで何もしないで それこそ棚ぼたのようなことに恵まれるなんてのは、ほかにはあまりないようにも思います。どういう ものぐさな夫婦だったのでしょうね。

 それに いくらなんでも 体中の垢をこすって つばを混ぜ、人の形にしてお供えするなど・・、ちょっと私には 考えも付かないことではありますけれど、それはともかく、昔は 一般的には出産年齢も低く 子育ても それこそ 子供が働くことができるようになれば もう 終わりのようでしたから、その後の人たちを じ様ば様とよぶのは、ある程度当たり前のことのようですので、もしかしたら お爺さん おばあさんといいながらも まだそれほどの年ではなかったので、そういうふたりに 神さまが伝えたいことがあって、こういうことになった というおはなしなのかもしれないなー なんて 思ってもいます。

 私が この手の話で いつも考えるのは、人というのは やっぱり 最期は一人だと思うのですね。ですから 一時 子供のいる人生というのがあっても、子供には やはりその子の人生というのがありますから、それに頼ったり 当てにしたりせずに 最終的には 自分の人生をどう生きるか、を 物心両面から 準備しておくことは きっと とても大事なことなので、それで こんなはなしがあるのかなー と 思ったりもしているのですが・・・

 あなたは どう思われますか?

 

 追記:「肌の三アについての話


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