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10月のお話 コルニーユじいさんの秘密
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笛吹きフランセ・ママイから聞いた話。 このあたりは、あなた、今はこんなに寂(さび)れてますけどね、昔は この丘のどこにだって 海からの風を受けて回る この風車小屋のような 粉挽き小屋が あちこちに建っていて、毎日毎日、くるくる回る白い羽が、威勢良く音を立てていましてね、そりゃあにぎやかなものでしたよ。 朝から晩まで、ロバを励ますかけ声や鞭の音、みんなで声を掛け合う陽気な話し声や歌声などでいっぱいだったんですよ。 日曜日には 気の合う者同士 いっしょになって、それぞれの風車小屋を巡ったものですが、粉挽きのおかみさんたちは、みんな キレイな着物を着て、胸には金の十字架を下げ、まるで女王様のようにしていましたよ。そして、我々に おいしいぶどう酒やご馳走を振る舞い、わしは笛を吹き みんなは踊って、一日中 楽しく笑って過ごしたものです。 ですが ある日のこと、パリからきた連中が 川の上流のほうに 蒸気で動く粉挽き工場を建てましてね、そうしたら みんな あたらしいものはいいもんだろうってんで、粉を挽くことを、風車小屋にはたのまずに、そっちに頼むようになってしまったんでさぁ。 丘の上の風車は ひとつ またひとつと羽を回すのをやめ、風車小屋にいた連中も村へ降り、日曜日ごとに女王様みたいに着飾って笑っていたおかみさんたちも、金の十字架を売り払っちまいました。 この風車小屋は コルニーユじいさんという、威勢のいい、もう60年も粉挽きをやってきたっていうじいさんの小屋だったんですよ。 それでも じいさんの風車小屋の羽は 毎日回り続けていたんですよ。 だんだん コルニーユじいさんは 気難しく、偏屈になって、人を遠ざけるようになっていきました。じいさんには 孫娘が一人いましてね、ヴィヴェットという15になる娘で、とても可愛がっていたのですが、その孫娘さえも 風車小屋に入れなくなってしまったので、ほかに頼るもののないヴィヴェットは、村の連中の家を回って、麦刈りや畑の手伝いをして、なんとか しのいでいるようなありさまだったんでさぁ。 それでも じいさんの風車小屋の羽は 毎日回り続けていたんですよ。 だんだん、じいさんの着ているものがぼろぼろになって、教会に行っても、それまでいっしょにやっていた連中と同じ席に着くと、みんなが じいさんのなりをみて、恥ずかしいと思ったし、そのうち じいさんもみんなにそう思われていることがわかって、しばらくすると 自分から 貧しい人たちの座る一番後ろの聖水盤の近くに座っていましたよ。 そうこうしているうちに、あるとき わしの息子がヴィヴェットと仲良くなっていることに気がつきましてね、まぁ かわいい娘が 自分の家で楽しげに踊っているのを見るのも いいかな と おもったのと、若い連中だし、何かあってからではいけないですからね、ふたりのことを話しておいたほうがいいと思って、わしは コルニーユじいさんのところへ行ったんですわ。 しかし。。まぁ あなた、あのじいさん、まったく 聞く耳 持ちゃしない。話をしようにも 帰れ帰れと 戸の内側から怒鳴るばかりで、こっちが物言う間もないわけですよ。 二人が風車小屋に着いた時には、じいさんはどこかへ出かけていて、小屋の扉は開かなくなっていた。でも 風車小屋の周りをまわってみたら、じいさん、はしごをはずし忘れたようで、2階の開いた窓に はしごが立てかけてあったんですな。 中は 薄暗くて かび臭く、ほこりにまみれて、階段のところには くもの巣がはり、干からびたパンが一切れ、かじりかけで置いてあったそうです。寝床の上には ぼろぼろの着物が2枚あったとか・・。 そして、壁のところには 麦を入れる袋が三つばかりあったので、ふたりでなかをみたところ、 なんと、あなた、袋の中身は 麦なんかではなくて ただの壁土だったというじゃありませんか。 ふたりは泣きながら帰ってきて、自分達のみたものをわしらに話してくれました。 さぁ、それからは みんな また 昔のように、麦の袋をロバの背にくくりつけ、鞭をならし、声を掛け合って 丘を登っていきましたよ。 風車小屋に近づいた時、わしらは扉が大きく開け放たれて、その前で じいさんが頭を抱えて泣いているのをみました。 誰かが「おーい、じいさん、頼むよう。わしの麦を引いてくれぃ。」というと、じいさんは 初めてわしらに気がついて、驚いて立ち上がりました。 わしらは、じいさんを村に連れて行って 一緒にぶどう酒を飲み 食事をしようとしたのですが、じいさんは「まぁ、まってくれ、まず こいつに食わせにゃならん。もう 大分長いこと ろくなもの 食べさせてやれなかったからなぁ。」といい、麦を挽き臼の上に落としました。 そして 風車は ゆっくりと 動き出しました。 コルニーユじいさんの風車は、それから また 毎日 休む間もなく動き出しました。みんな もうあの工場に粉挽きを頼まなかったからです。 しばらくして、ある朝、コルニーユじいさんは死にました。
このお話は ご存知でしたか? 彼の時代 19世紀後半あたりには、18世紀にイギリスで勃興した産業革命の独占から、ようやくフランスなどへも 浸透していき、そのため それまでの仕事の仕方から、新しいエネルギー(ここでは蒸気ですね)を利用した工業の活性化が盛んになっていきましたね。 ずっと詩人になりたくて、苦しい生活を生きてきたドーデーは、ある年の夏、友人の住む南フランスに滞在し、その家の庭にある石のテーブルの上に紙をひろげ、丘のとったりにぽつんと立っていた古い風車小屋を見ながら、そこに自分が住んでいると仮定して、こうした短編を書き綴っていった といいます。 この時代は、どちらかというと それまでのロマン的なものの書き表し方から、現実をきちんと見据えて、極端な脚色をしないという書き方が広まっていった頃でもありましたので、彼の作品にも そうした趣がたぶんに見られますが、もともと 詩人になりたかった人ですから、そうではあっても 文体のあちこちに それは詩的な、ときに 散文のような雰囲気のある文章で、話を書き綴っているように思います。 あ それから。。 ここに書いた文章は、毎度のことですが、遠藤の脚色が入っていますよ、それは ご了承くださいね。 長年 慣れ親しんだものが 失われるというのは、胸絞られる思いのするものですが、作者は 笛吹きのフランセ・ママイの言葉にして、私達に 諭します。 『仕方ないじゃありませんか、あなた。この世の物事には なんにでも 終わりがあるものです。』 そう、この世のことは どんなことも 永遠に続くということはありません。 物事には なんにでも終わりがある、だからこそ、その一つ一つを 大事に、できるだけの事をして、そのことを生ききらねば、私達の人生は まったく 意味なく 生きる価値のない 虚しいものになりきってしまうことでしょう。 与えられた命の日々を、その人生を、大切に 生きていきたいものです。。。
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