1月のお話  炭焼き長者



 昔、炭焼きの藤太という若者が ある村の山の炭焼き小屋に住んでいました。
  籐太は 山の木を切って それを炭に焼くのが仕事なので、いつも 木を切るために山に入るときは、お神酒を山の神様にお捧げしていました。そのせいか 籐太の焼く炭は 火持ちの良い炭になりました。

  籐太にはお金も身寄りもありませんでしたが、困った人がいれば、ようやく入ったお金でも その人のために使ってしまうような男でした。

 つい この間も、炭を売りに行った村で 男の子が道端にしゃがみこんでいるのを見つけ、どうしたのか と 声を掛けたところ、ずっと何も食べていないというので、今 売って手に入ったばかりのお金で 食べ物を買い、子供にくれてやりました。子供は 籐太のくれた食べ物で 少し元気になりましたが、具合が悪く、籐太は 子供を近所の親切な家に預けて お金を渡し、しばらく 面倒を見てくれるように 頼みました。

 その村は いつも 籐太が 炭を売りに行く村でしたが、大した額でもないような籐太の炭すら 買えないような貧しい暮らしの人もいて、畑仕事をしていた爺さんは、腰をいためてからは思うように仕事もできず、日に一度のご飯も 日ごとに少なくなっていたのですが、それを知った籐太は やはり 炭を売ったお金で 爺さんの好きそうなものを買い、見舞いに行ったついでにおいてくるのでした。

 また、別の家では 赤ん坊が生まれたばかりだというのに、産後の肥立ちがよくない女房の乳が なかなか出ずに困っていたので、籐太は 少なくなったお金で 餅を買ってやりました。

 村を出るとき 籐太の懐に残るのは ごくわずかなお金しか ありませんでしたが、親切にしてもらった人たちが、貧しい暮らしの中から せめて こんなものでも といって 持たせてくれた芋や麦などが いつもありました。

 一方、その村には ひとりだけ、とんでもなく大金持ちの長者も住んでいました。
ところが、その長者、まったくひどいくらいのけちんぼうで、今の今まで いちども人のためにお金を使うようなことは したことがなく、それなのに、どんなものでもただのものは なんでももらって溜め込んでいました。

 さて、その長者には 毎晩 欠かさずすることがありました。
 それは、家のみんなが 寝静まったころに、沢山の大判小判のはちきれんばかりに入った箱を いくつも積んである家の土蔵の中に入って、一枚一枚 きちんと数える ということで、それは長者の大切な仕事のようなものでもありました。

 ある時 その長者がいつものように土蔵に入って 大好きな大切な大判小判を丁寧に数えていたところ、一枚も使っていないというのに いつもの枚数がないのです。

 「おかしいぞ。もう一回 数えてみよう。」 長者は不安になりながら もう一度数えてみましたが、やはり 数え間違いはなく、確かに 幾枚かが足りません。

 「いや、しかし、一度も使っていないのに 減るわけがない。鍵はこうして いつも肌身離さず 自分が持っているのだから、誰かがここをあけることはできないし、どこからも この土蔵に入った様子もない・・。おかしいぞ。 しかし・・、今日は疲れているからかもしれない。明日また 数えてみよう。数え間違いだったと分かるかもしれないし・・。」  

 次の日も 長者は みんなが寝てしまった後、ひとりで土蔵に入って 小判を数えてみましたが、やっぱり 足りません。しかも 昨日数えたよりも また 少し減っているようなのです・・。 

 「やはり、これは泥棒に違いない。おそろしく 腕のいい泥棒が 一片に盗んで大事にならないように、少しずつ盗んでいっているに違いない。」

 よし、それなら と 長者は 次の晩になると 土蔵の中には入らず 扉の近くの茂みに隠れて 泥棒を捕らえてやろうと 様子と見ていました。

 しかし、真夜中になっても 誰一人来る様子もなく、あたりは静かなままです。
そのうち どこからか ひそひそと話し声が聞こえてきました。
 長者は いったいどこで誰が話しているのか と 辺りを見回しましたが、どんなに一生懸命目を凝らしてみても 誰の姿も見えません。

 そこで 良く耳をすませてみますと、どうやら その声は土蔵の中から聞こえてくるようなのです。
「はて?土蔵の中になど 誰も居ないはずだが・・??」
 そうおもった長者は 扉の隙間から そうっとなかをのぞいてみて びっくりしました。

 土蔵の中では 沢山の大判小判が 箱の中からでてきて話をしていたのです。
「おれは もう こんなところにいるのは 嫌だ。」
「そうだそうだ。」
「ここの長者は 本当にけちでしょうがない。」
「お金なんて ためているだけでは何にもならないのに。」
「そうだそうだ。」
「お金は 必要な人に使って初めて 生きてくるというのに。」
「そうだそうだ。」
「おれは もう ここをでるぞ!」
「そうだそうだ!」
「俺も出て行く!」
「もっと 役に立ててくれるような人のところへ行こう!」
「そうだそうだ!!」

 それを聞いた長者は 青くなって 土蔵に飛び込んで言いました。
「おまえたち! 何を言っている?! お前たちは わしの金だぞ!どこへもいかすものか!!」

 すると 大判小判は いっせいに 箱を飛び出し、長者の足元をすり抜けて どんどん 表に飛び出していってしまいました。

 「待て待て!! 待つんだ! 俺の金、待てというに!!」

 大判小判たちは 飛んだり転がったりするようにして どんどん 山のほうへいってしまい、とうとう 長者の土蔵の中には 一枚の小判もなくなってしまいました。

 さてさて、山のおくまで逃げてきた大判小判たちは、一散にでてきたはいいけれど 落ち着き先を決めてなかったことに気付いて、皆で立ち止まって 相談を始めました。

「おい、これからどうする?」
「うーん・・、突然 長者が入ってきたから 急いで出てきたけれど、そうだなぁ・・。」
「そういえば、この山に 炭焼き小屋があるとか・・・。」
「おお、そうだ。その小屋には 誰にでも親切な籐太という男がおるというぞ。」
「そうそう。ねずみどんに聞いた話だが、籐太は 自分が焼いて作った炭を売って、やっと手に入った金を使って、困った人のために 食べ物などに変えて 分けているということだぞ。」
「そうか。それなら その籐太のところへ いこうじゃないか。」
「そうだそうだ、それがいい。」
「みんなで籐太のところへ 行こう!」

 次の朝、いつものように 仕事に出ようとした炭焼きの籐太は、入り口の戸をあけて 腰を抜かして 驚きました。

 だって、朝日を受けて 眩しく輝いている小山のような大判小判が そこにあったのですから・・!!

 「一体、こんな山の中に 誰が どうして これだけの大判小判を置いていったのか・・?訳が分からん。が ひょっとして 毎日拝んでいる山の神様の贈り物だろうか・・。ああ そうかもしれない。きっと 病気で苦しんでいる村のぼうずや仕事ができなくて困っている爺さんや、乳が足りなくて泣いている赤ん坊のために 使ってやれということだ!」

 そう思った籐太は 急いで小判を集めると 自分でもてるだけの物を持って 急いで村へおりて行き、暮らしに困っている あちこちの家を回って 十分なお金を分けました。

 それから、籐太は 残ったお金で家を建て、お嫁さんをもらいました。
親切な籐太の焼く炭は 評判になり、どんどん売れるようになったので、籐太は 村一番のお金持ちになって 炭焼長者と呼ばれ 幸せに暮らすことができた ということです。  

 

 このお話は ご存知でしょうか?

 9・11以来、あの大災難が アメリカ自身の引き起こしたものだという噂が流れ、その裏打ちが コレでもかというくらいに あちこちから 提示されていますが、その真偽のほどを云々せずとも、昔から こういったお話では だれかれの区別なく ちゃーんと 事の顛末とは を 何度も何度も 繰り返し 警告し続けています。

 自分の欲ばかりを追求しつづけるものの末路は、きっと例外なく こんなふうになるぞ ということですよね。

 今回のお話の長者は 持っていたものを失っただけですんだように思いますが、人というのは どんな人も よく見ていますからね、そうなるまでの間に いったい その人が どういうことをしてきたか で その後の幸不幸が決まるといっても 過言ではないでしょう。

 畏れをしらない者は とことん 打ち砕かれるばかりですね〜。

 謙虚でありましょうね。 そして 感謝して暮らすことでしょう。 
アメリカ(とこの国も含む同種の国々)がそんな風に思ったら 世界の貧困が激減するのは、もう 誰でもが分かっていると 思うんですけど・・ね。

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