2月のお話  マジシャン

 

 

 
  私の勤めている病院に、そのマジシャンが来たのは、重く垂れ込めたグレーの厚い雲から じきに雪が降るだろうと 誰もが思うような寒い日でした。

 病院では、鬱々としがちな患者さんたちのために、時々、気分転換や元気付け といって、歌や 楽器演奏 落語や面白い芸を見せてくれる人たちを 年に数回 招くことになっていて、その日は 病院のその催しが始まって以来、はじめてのマジックショーということで、私たちも患者さんたちも 皆 楽しみにしていました。

 黒い服に黒い帽子、大きな黒いかばんを大事そうに抱えたその人は、病院の音楽好きのスタッフが選んだレコードの音楽に合わせて、颯爽と舞台に登場し、みんなは 大きな拍手と歓声をもって 迎えました。

 マジシャンは まず、大きなかばんを テーブルの上におくと、おもむろに蓋を開け、中から 一本の棒を取り出して見せたのですが、その棒は 右手から左手に持ち替えられたとたんに ステッキに変り、皆が わぁっと言っている間に、ぱっと 綺麗な花たばになりました。

 それから かぶっていた帽子を脱いで 逆さにし、右手を帽子に突っ込んだかとおもうと、つぎつぎに 鮮やかな色のハンカチを どんどん出しては  舞台一面に 撒き散らしました。

  私たちは勿論、患者さんたちも とても 喜んで、やんややんやの大喝采。このマジシャンに来てもらって よかったね と 皆で顔を見合わせました。

 いくつもの素敵なマジックが 次々と行われた楽しい時間は あっという間に過ぎ、とうとう 最後のマジックの時間になりました。

 マジシャンが 舞台の真ん中に立って、私たちのほうを向き、
「これから、取って置きのマジックをご披露いたします。」 といったとき、私たちは 一体何が始まるのだろうと わくわくして 次の言葉を待ちました。

 「これから ここにおられる どなたかお一人の望みを なんでも かなえて差し上げます。ですが、それは たったの5分間という 条件付きです。
皆さん、いろいろにお望みをお持ちでしょうけれど、このマジックは どなたにも というわけには行きません。たったお一人に限ります。」

 私は さっと 患者さんたちを見回しました。

 皆は 口々に 自分の願いが どれほど切実で必要かつ重要かを、口角泡を飛ばす勢いで 散々に 言いたてました。

 私たち職員は その様子を見ながら、だんだんと不安な気持ちになっていくのを 感じていました。

 その時、一人の患者さんが ゆっくりと手を挙げました。

 わたしは その人を見て、どきんとしましたが、たぶん そこにいたその患者さんを知っている人たちは、私と同じようだったろうと思います。

 「はい、おひとり 手を挙げてくださいました。他の方、いかがですか?」

 マジシャンは ぐるりと会場を見回しましたが、だれも 声も出さず、勿論 手もあげることなく、じっと その患者さんを みていました。

 その人は、ゆっくり車椅子を押してもらいながら 前に出ていきました。
皆の目は その人を追っていました。

 

 「さて、あなたの5分だけかなえてほしい望みというのは、なんですか?」

 そう問われて、車椅子の患者さんは ちょっと 黙って下を向きましたが、すぐに 顔を上げると マジシャンをみて、はっきりと 言いました。

 「俺の脚を 戻してほしい。」

 会場全体が 一瞬 しんとしましたが、次の瞬間、そこにいた人ちにお ざわめきが起こりました。

 その望みを聞いた私たちは だれもが 当然驚いたり、あきれたりしましたが、なかでも 院長先生は 誰よりも 慌てて、患者さんに急いで近づくと いいました。

 「村上さん、手品ですよ。手品。ね、そんな無茶を言って、手品師さんを 困らせないものですよ。気持ちは 分かるけどね。」

 すると、村上さんは むっとして 大きな声で言いました。

 「なんでも かなえるって言ったんだ。そういったじゃないか!みんなも聞いただろう?」

 その時まで、そのやり取りを だまって聞いていた マジシャンは、じっと 村上さんの顔を見て 静かに言いました。

 「本当に・・、本当に それでいいんですか?たった5分だけのことですよ。5分たつと 元に戻るんですよ。それで いいんですか?」

 村上さんは マジシャンの目をじっと見つめ、そして 強くはっきりとうなずきました。

 院長先生も 私たちも どうしたら良いのかと ただ 戸惑うばかり。

 マジシャンは、口元を引き締めて ゆっくりとうなずくと、かばんをあけ、大きな黒い布を取り出して 私たちに 裏表を数回繰り返して見せた後、ふわっと 一瞬で 村上さんを 車椅子ごと 覆ってしまいました。

 それから 音楽を止めさせ、見ている私たちに 静かにするように言い、一生懸命 集中して 黒い布の中の村上さんに向かって 力の限りの強い念を送り始めました。

 しばらく そうしていたマジシャンの額には汗がにじみ、その腕や体が ぶるぶる震えて、かっと見開いた目や大きく広げた手から 何か飛び出してきそうなくらいの気迫でした。

 一緒に見ていた友人の看護士が ささやきました。
「出来るのかな?できないよね。できなかったら どうするのかな。」

 私は なにもいえず、瞬きもせずに 舞台の上を見つめていました。

 マジシャンは だらんと腕をたれ、大きな息をふうっと吐くと、ゆっくりと 布の端を持ち・・、つぎに 一気に 布を取り去りました。

 その会場にいたものは まるで 打ち合わせたように 大きな声で
「おおっ!!」 と どよめきました。

 私は 自分で見ているものが 信じられませんでした。
村上さんは わなわなと震えながら、おそるおそる 自分の足に触りました。

 私達が信じられない以上に、村上さんも 信じられない という顔で、自分の足とマジシャンの顔を なんども 見比べていました。

 そして、車椅子の肘掛に手を掛けると、不安げに、そうっと 立ち上がろうとしました。

 それを見ていた私もですが、先生たちは 思わず かけよって 支えようとしたのですが、それはそうです、だれもが 作り物を ちょっとのあいだ 脚の部分に置いたのだ と 思ったからです。

 ところが・・!

 「見てくれ!見てくれよ!俺の脚だ。俺の脚が戻ってきた!!」

 誰もが キツネにつままれたように あっけに取られて ただただ 見つめるばかりでした。

 ほどなく、院長先生が 慌てふためくようにしていいました。
「皆さん!皆さん! 静かに、静かにして。これは マジックですよ。マジックです。マジック!ね、マジックなんだ。勘違いしないでください、これが ずっと このままじゃないんですよ!」

 すると 会場は 一瞬にして しーんと静まってしまいました。

 マジシャンは 立っている村上さんのそばに来て いいました。
「5分です。5分だけのことですから。私は そういいましたし、あなたもそれで良い と 言いましたよ。覚えていますね。」

 その時の村上さんの顔を 私は きっと これからずっと 覚えていることでしょう。なんともいえない 悲しみや失望の入り混じった、酷い宣告を受けたときのような 苦しみの表情がありました。

 「いや!だめだ! だめだ、やめてくれ。よせ、このままにしておいてくれ。頼むよ。頼むよ。先生 頼んでくれよ。一生のお願いだ、頼むよ!俺の脚、このままにしておいてくれ。お願いだ!」

 院長先生とマジシャンは 顔を見合わせていましたが、軽くうなずき合うと、二人で村上さんの肩に手を掛けて、車椅子に座らせました。

 村上さんは、少し抵抗しましたが、すわりました。

 その時、会場の中のあちこちから 声が上がりました。

 「俺からも頼むよ、そのままにしてやってやれないか。」「そうだ、そうだ。5分といわず そのままにしてやれよ。」「やってやれ。出来るだろう?あんた、凄いマジシャンだもん。」

 そうだ、そうしてやってくれ、・・ 沢山のそういう声に 私たちは 何も言えずに 成り行きを見守るばかりでした。

 

 そんなことをしているうちに、5分間は 当たり前に過ぎ・・

 村上さんの脚は、元に戻ってしまいました。

 しんと静まり返った会場に 村上さんの涙をこらえる声が 小さく聞こえていました。 私たちは いたたまれない気持ちで それを みていました。
 あれほど 湧いた会場の人たちも ひとり、又ひとりと部屋を出て行き、職員たちも それに付き添う形で 会場を後にしました。

 出口の扉を閉めようとして 振り返ると、マジシャンが 泣いている村上さんの横で かばんを閉め、深く一礼していました。

 そばにいた 院長先生は、どうにも困ったような顔つきで、それでも マジシャンに 簡単な お礼を言いました。

 マジシャンは ちょっと うなずくと、うつむいている村上さんのほうに かがみこみ、なにか 一言二言 ささやいたようでした。

 村上さんは、じっとしたままでしたが、ちょっと 口の端で笑ったようにも見えました。

 

 病室に戻る患者さんに付き添って 階段の踊り場に来た時、私は 大事な大きなかばんを 重そうに抱えた 黒いコートのマジシャンが、病院の門を 出て行く後姿を見ました。

 マジシャンは 門を出たところで 立ち止まって振り向くと しばらくの間  ぐっと 黒い手袋の片手を口にあて、激しく肩を震わせていました。 

 その肩に、白い雪が うっすらと かかり始めていました。

 「ねえ、聞いた? あのマジシャンの人、マジック やめたんだって。もう 二度とやらないんだってよ。もったいないねー。」

 2杯目のコーヒーを飲みながら、私は あのときの村上さんの ぼんやりと床を見つめている様子や 門のところで 肩に雪を受けながら 立ち尽くしていたマジシャンのことを 何度も 思い出していました。

 

 

 このお話は ご存知でしょうか?

 このお話は、骨折治療のために通っていた病院の待合室にあった絵本のあとがきの中に、ざっと あらすじを 絵本の作者が書いていたものです。

 ですので、流れとしては それほどの外れはないだろうと思いますが、まぁ 毎度のごとく 脚色してあります。題名は マジシャン というもので、実は 物語の背景は 戦争直後のこととして 書いてありました。

 つまり、ここで 村上さん と言っている車椅子の患者もその病院の中の人たちも、戦争での傷病兵たちを含んでのことだろうと思います。

 本来のお話を知りませんので、最初は 記憶したあらすじをたどれば、なんとかかけるかとおもったのですが、やっぱり どうにも 知らない世界を想像で書くというには、かなりテーマが重くて・・、それと おそらく 原作は マジシャンの目線で 書かれていたもののように感じたのですけれど、その線で書くと どうにも かたちにならず・・なので、次に 患者の立場から 書いてみようとしたのですが、これも 難しかったのです。

 そこで おそらく 元のお話には ないだろう病院の看護士の目から見たこととして やってみました。

 ・・それが 今回のお話です。

 元の話を 是非 読んでみたいと思っています。こんなもんでは 表現しようもないような、やはり その時代の空気感などを感じたい、知りたい と とても 思っています。

 

 この話のあらすじを、去年の秋に一度だけ読んだだけなのですが、自分にとっては かなり強烈なインパクトがあって・・、あれ以来 「神になろうとすること」「失ったものへの執着」「二度目の喪失の苦しみ」「善意、望み」などを、数ヶ月の間、じりじりと 迫られるように考え続けていました。 

 本当は もっと じっくり ゆっくり 考えて、できれば一度原作を読んでから とも 考えたのですが、とにかく 一度、まず 書いてしまっておこう と 思いました。
 ですから、機会があったら また 同じものを 違う形で 書くかもしれません。

 まだまだ 本当にかきたいと感じていることが 書けているわけではないので。



  いつもなら 書き始めたら 1〜2時間あれば仕上げられる「毎月のお話」だというのに、今回に限っては 書くというだけで 数日を要し、何回も 初めからやり直す ということの 繰り返しだったことを 白状いたします。

 重いテーマかもしれません、が それを越えた なにかが 思われてなりません。

 あなたは どう思いますか?

 

 

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