1月のお話  ぶどう酒の奇跡

 

 あれは、今 思い出しても、不思議な・・ でも なんとも すばらしい出来事だったよ。

 以前の夏のこと、俺の兄貴が 嫁さんをもらうので、結婚式をすることになってさ、まぁ 盛大なもんだったよ。

 だいたいが、普段 そんなに 贅沢に飲んだり食ったりができるほど、俺ら民草は 恵まれてはいないが、それでも たまの結婚式だ。 
 みんな、祝う思いも一杯あったけど、そういうときこそ 腹いっぱい、だれにはばかることなく 飲み食いできるってもんだからね、村中の女たちがあつまって、おいしいものを作ったり、祝い酒のぶどう酒を持ち寄ったり、足りない分は もちろん 婿側でととのえたりして、まぁ 大変な騒ぎになるんだわ。

 花嫁を迎えに行く間に通る道すがらの家からは、お祝いだから と よっていかせようとしたりするんで、花嫁の家に着くのは、昼からでかけていったって、場所に寄っちゃあ 夜になったりするんだよ。

 家の中じゃあ とてもじゃないけど お客の全部をいれるなんてこと、できっこないからさ、表の庭にも 近所の家から あれこれ持ってきて、祝いの席をこしらえるんだよ。

 女たちは 作りっぱなし、男衆も世話役に回ったほうは、ご馳走を並べたり、酒をもってきたり、やってきた連中に 席をあてがったりして、もう 大忙しさ。

 どんどん 人が集まって もう お祭り騒ぎになったころ、ずいぶん 遠くのケファルナウムからやってきた 男たちが、やっとのことでついたと知らせがあった。

 出迎えた俺も懐かしい顔の ナザレ村のいとこのイェシューと、その12人の仲間たちだった。
 遠い夜道を たいへんだったな、さあ さあ 早くこっちに来て、手足を洗って、座ってくれ。そうそう、もう 存分に飲んでくれ!腹いっぱい 食べてくれよ。

 やあ 良く来てくれた、うれしいよ、 と 肩をたたいて喜んだ俺の兄貴も、日に焼けて さらにたくましくなったイェシューと仲間たちを 男部屋に呼び入れた。

 おそかったね お前、とは イェシューの母親のミリアムおばさん。
なかなか こないから、明日になるかと思っていたよ、といいながら、群をぬいて 背の高い大柄なイェシューに、いまも 小さい息子のように 話しかけた。

 俺たちは それが おかしくて、みんなして 笑いあったもんさ。

 普段会えない者たちが、結婚式のために あちこちから あつまってくるのだから、長い間のあれこれ、積もる話もあろうってもんだ。

 懐かしい顔々に 笑いかけ、話をし、互いに乾杯を繰り返して、みんな 寝るどころじゃない。夜が更けても にぎやかな祝いは つづいたよ。

 さて、最初に それに気づいたのは、ミリアムおばさんだった。
なにがって? それよ、飲んだり食ったりしてる者らは、だれも気づかなかったんだが、俺の兄貴ってのは 結構な人気者でね、だから 思っていた以上に たくさんの人たちがきてくれたんだな。

 それで、最初に用意しておいた酒が 足りなくなってきていた、ってわけだ。

 客を招いておいて、もう酒がありません なんてのは、なんともみっともない話だが、それが 結婚式でのことなら、もう 末代までの恥ってもんさ! これは 大変だ、ってんで、台所あたりでも ざわざわしだしてさ、それで ミリアムおばさんが どうしたんだい? と。

 おばさん、まぁ なんってことだろう!と叫ぶなり、すぐに 男部屋に走っていってさ、本当なら、女衆は そんなところへなんか 入らんもんなんだけど、ことは重大ってんで、血相変えて すっとんでったってわけだ。

 のんだくれて 赤い顔した息子に向かって、あんたたちが やたらに飲むから、ごらん、台所のぶどう酒が ほとんどなくなっちまったじゃないか。と 言ったんだ。

 そうしたら、イェシューのやつ、だれだ、これは?みたいな顔して 言ったさ。
 これはこれは、ご婦人、やー、確かに ちょいと飲みすぎたけれど、俺ばかりが飲んでるわけじゃないし・・、ま 俺らには関係ないんじゃないですかい? なんていうのさ。

 ミリアムおばさんは 両手を挙げて、あきれながら でてったんだけどさ、台所の連中に こんなことを言っているのが聞こえていた。

 あの子が何とかするでしょうから、あの子が何か言ったら そのようにしておくれね。

 もちろん、おばさんの甲高い声は イェシューにだって きこえたし、やつの仲間たちにも 聞こえていたからね、みんな おかしくて また 笑ったもんだったが、笑いながら イェシューは ふらりとたちあがってさ、よろけながら 台所まで行って、台所の周りにおいてある 男二人で持つような、でかい空っぽの水がめに、ふちまで一杯に 水を汲んで、それを 宴会係のところへ持って行けなんて いうのさ。

 みんな、最初は ぽか〜んとしちまって・・。だって いくら 飲兵衛ばかりだからって、酒と水の違いくらい すぐ わかっちまうじゃないか。それなのに、甕一杯の水を もっていけっていうんだからね、

 お互いに、いいのか?あとで 怒られるぞ。どうする?・・と なかなか 言うことを聞かない。 おまけに 表は もう 真っ暗だ。井戸まで行ってまでも することか? ってわけだ。

 そのとき、中の一人が、言ったんだ。あのミリアムが 言いつけは聞いてくれといって、俺たちは 承知したんだ。とにかく できるだけでいいから でかい水がめに水をいれるようにしようじゃないか、と。

 ミリアムってのは、普段から すごく気のいい人でさ。困っているやつをほっとくなんて、絶対できないから、俺らの誰もが 一度は ミリアムの世話になっていたんだ。本当に親切で、人の痛みが 自分の痛みになる人なんだよな。

 まぁ 夜更けて まかないの方にも 酒は出ていて、しらふってほどのしらふでもなかったしね、皆、だから ちょいとした 遊びのつもりもあってさ、それぞれの家から 水汲みの桶を持ち出して、井戸まで行って、水を汲んで、それで 順に 水がめに入れてったのさ。

 なんどか そんなことを繰り返していくうちに、もう いいじゃないか になって、そこで 一個の甕につき、男二人で 宴会係のところまでもって行ったのさ。

 俺も それを見ていたが、まぁ どうなることやら・・ ちょいと 心配ではあった。

 宴会の振る舞い係のおっさんは、やぁやぁ やっと 酒が来たか、どれどれ と コップに水を掬って 飲んだのだが・・・

 ややっ! これは、なんって うまいぶどう酒なんだ?!と叫んで、兄貴に向かって いったさ。

 お前さん、いったい こんないいぶどう酒を 今になるまで どこにかくしておいたんだ? 普通は みんなの酔いが回ってくるころになると、水増しの薄いぶどう酒や 安い酒をだしてくるってのに、お前のところでは、最初の酒がなくなったころになって、こんなにいいぶどう酒を出してくるなんて!

 まさか、そんなはずがあるか、と 俺も 急いで ちょいと なめてみたさ、もちろん。 
 しかし、 驚いたことに、それは ほんっとに うまい上等のぶどう酒だったんだよ!

 俺が びっくりしているのを見て、台所衆も 俺の掬った水だったはずのぶどう酒を ちょっとずつ飲んでみて、みんな 顔を見合わせて 仰天したさ。

 台所衆が汲んで、甕に入れたのは、水だったんだぜ。ただの 水だったんだ。みんなが 出かけていって井戸から汲んできたのは、ただの水だったんだ。

 それが・・ 振る舞い係が カップをつっこんで 飲んだときには、もう ぶどう酒、それも とんでもなく上等なぶどう酒になってたんだ・・・!

 本当に びっくりしたよ。俺なんか まるで 本当のこととは 思えなかったけどさ、でも・・ 台所衆も 近所の水を汲みに行ってくれたやつらも 俺も・・、もちろん ミリアムおばさんも、すっかり 驚いちまって、みんな、一気に 酔いがさめちまったもんだ。

 イェシューの仲間の一人に まだ 子供みたいな顔をした 若いヨハナンというのがいるんだが、そいつは この現場をみてはいなくて、あとから 俺たちが騒いでいるのをきいて、この不思議なことを知った時、そいつったら ああ、神様はいてくださる、ちゃんと 「しるし」を行われたのだ、なんて いっていたけどな。

 俺は、それを聞いて ちょっと わらっちまったんだが、まぁ そういえなくもないかもしれないな とも おもったさ。

 そうでなくても、俺らは、困ったときには 互いに助け合うのは 当然だからな、それも そっと、相手に気づかれないように 助け合うってのが、俺らの基本だよ。

 それで 幸せってんなら、神様ってのは そこに いてくださるってもんさ。

 

 

 このお話は、ご存知の方、いらっしゃることでしょう。

 新約聖書に、キリストの最初に行われた奇跡ということで、書かれているお話です。

 もちろん、本当には こんなに砕けてなんか 書かれていません。まいどのごとく、遠藤が・・不敬と承知しつつ、書いたものですからね、そのあたりは ご了承ください。

 ですけれど。。これの 元になったものがあります。
女子パウロ修道会から 毎月発行されている「あけぼの」という冊子があるのですが、その2012年9月の中の、聖書エッセイというところで、医師で、また医学博士でもある 山浦玄嗣(はるつぐ)氏の書かれた「カナの結婚式」を 参考にさせていただきました。

 山浦氏のかかれたものは、とても面白くて、これまで 私たちが抱いたいた聖書言葉からは、かなり大きく隔たった、といいましょうか、なにしろ 方言などでも書かれている聖書訳を出版なさっておられます。機会がおありのときは、ぜひ 読んでご覧ください。

 で、つまりは 結婚式で足りなくなったぶどう酒を なんとかしなくては、ということで ミリアムおばさん=マリア=が 息子のイェシュー=キリスト=に それを告げます。
 ところが、今は 自分のときではないから と 一度は 断ったような物言いが書かれているのですが、そのうち キリストは、召使たちに、人一人が入ってしまいそうな大きな水がめ数個に 一杯に水を入れて 宴会の場所に持っていくよう支持します。

 皆がそれを聞いてそのようにしたところ、宴会係は 運ばれてきた水がめ一杯の、そのときにはぶどう酒になったものを味見して、驚嘆します。

 これこそが、キリストが公に人々にその教えを広め始めたころ行った、最初の奇跡 と 言われています。

 さて、このお話、ちょっと 注意深く読むと、もうひとつ、大事なことが見えてきます。

 振る舞いを仕切る宴会係の人にとっては、甕の中には、最初からぶどう酒が入っていた、という 認識しかないのだ、ということに、気づきませんか?
 彼は、それが 奇跡によってできたぶどう酒だ、ということなど、まったく知らないのです。

 甕に水を張ったものたちやそれに協力した人たち、甕に 水が入っているのだということを 知っている人たちは、ただ 運んでいった先では、どうしてだか 水ではなく ぶどう酒になっていた ということをしっているわけで・・ つまり、奇跡としか言いようがない ということを 認識できていますが、

 宴会係は そんなこと これっぽっちも知りませんから、だから 味を見て、ややっ!と 驚くわけです。

 なぁんだ、心配したけど、お前さんったら、こんないいものを、今まで 隠していたんだな?ってなことですね。
 彼には 水がめ一杯にはいっているのは、のっけから「上等のぶどう酒」という認識しかないわけです。

 もちろん、それを振舞われて飲んだ人たちも、うまい とか いい酒だとかいって 楽しむばかりでしたでしょう。

 ここには たくさんの大事なことが ちりばめられているように思えますが、その中のひとつには、誰かにとっては 奇跡だとしても、すべての人にとって 奇跡かどうかは わからないまま、その奇跡に与っている場合があるということではないかと思います。

 映画や本などの奇跡は、とんでもなく ありえないことが あってしまった!みたいなことがおおく、なんとなく 奇跡って 超自然と 思いがちですし、まぁ そういうのも もちろん奇跡ではありますが、ひょっとしたら、そういうことじゃなくても、私たちの 日常には、それと気づかない、小さな奇跡が あちこちにあるのではないかしら??

 子供たちが 小さいころ、思ったことがあります。
まだ 七つにも満たない子供が、一人で 学校や幼稚園に無事に行き来したこと、彼らが 自分の体を通って、生まれ、おろかで物知らずの若い母親の手違いや勘違いに、翻弄されつつも、元気に育ってくれたこと、その彼らが、長じて 子を育むなんて・・。

 それもこれも すべて 無事に・・ 行われてきたことなわけで・・
そのそれぞれのすべてになんて、絶対 親である自分には かかわれないわけで・・

 それは とりもなおさず、見えないところでの 小さな奇跡の連続なんじゃないか と おもっても、個人的には、とんでもない思い違い、ということもないように思えるのです。

 事を子供に限って今は 書きましたが、自分自身についても、振り返れば、そう思えることって 一杯ありましたし、今も あります。

 そうやって きっと 一人ひとりのために、日々 小さな奇跡は行われ続けているのではないだろうか と。

 これって すごいことですよね。。 だれも 気づかなくても、私が無事であるために、見えない手の働きが 私を今に生かしているのだ、って おもったら。。 なんか すごく うれしくて、ありがたくて・・。

 これに 応えるべきだなと しみじみしました。

 ガンジーのお墓には 生前 ガンジーが説いた七つの大罪が 刻まれているそうです。
その中の 最後の一文に「献身なき信仰」というのが あるということですが、これだけの 頂き物をしているのなら、献身のひとつもなければ、たしかに 信仰をもっているとは いえないんだな・・と つくづく 感じ入ったしだいです。

 

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