5月のお話  村屋根の木

 

 昔、琵琶湖の東の山奥に、小さな村がありました。

 その村は、しかし、一年中 薄暗くて、朝から晩まで ざわざわと木の騒ぐ音が絶えず、春は いつまでも薄ら寒く、夏は 涼しいが日の照りが少なくて 作物があまり育たず、秋の実りも 皆のゆとりには程遠く、冬は ほかのところよりも 雪は少ないけれど、よそよりも 寒くて冷たい日が どこよりも長く続いていたそうです。

 なぜ、その村だけがそうなのかというと、遠くから その村のほうを見れば すぐにわかるのですが、その村のあるところだけを、ほかの木よりもひときわ大きな、小山ほども在るような木が、村全体をすっぽりと 覆っていたからでした。

 村人たちは、村をすっぽり 家の屋根のように覆ってしまうその「村屋根の木」のある先祖代々のその土地を、それであっても 離れることなく 暮らしていたのでした。

 あるとき、村長(むらおさ)が、すこしでも 畑を広げようと、村人を連れて 今までと違うところの土地を耕すことにし、朝から 皆が一列に並んで せっせと土を掘り起こしていました。
 ところが、ある深さまで掘ると、どこの場所からも、土の中から 木切れや枯れ葉が たくさん積み重なっているのがわかり、村長や村人は、あちらはどうだ?向こうのほうは?と、不思議がりながら 掘ってみたところ、どこの場所でも 同じような木切れや枯れ葉の重なりが かなり深くまで 重なってあったのでした。

 

 送られてきた 荷車いっぱいの木切れと枯れ葉とともに「村の年寄りらも、誰一人 この不思議について知る者はございませず、あまりにも 妙なことのため、お知らせ申し上げるしだいでございます」という 丁寧に書かれた村長の手紙をお読みになった殿様は、早速、家来たちに、どういうわけなのかを 調べるように お申し付けなさいました。

 そして、しばらくの後、一人の学者が、ある古い書物を 持ってあがりました。

 昔々のこと、帝が重い病にかかられたとき、帝のお付きの者たちは、当時 とても 有名だった占い師に、帝のご病気の原因を占わせた。

 「ここより東の方角に、一本のかなり大きな木があります。その木は あろうことか、帝に大変深く恨みを抱いており、その恨みのゆえに 帝はご病気になられたのです。」

 皆は、驚きあわて、それならば どうすればよいのか、と たずねたところ、
「その木は 切らねばなりません。すっかり切ってしまえば、帝の病は たちどころに お治りになられます。」 と 占い師は答えた。

 そこで、お城の役人や学者や家来たちは、まるで 戦いにのぞむかのようないでたちで、皆で 琵琶湖のほとりの、その大きな木のところまで やってきた。

 しかし、それは たいそう大きな木で、かなり遠くから 木を目指してきた たくさんの人々を すっかり覆いつくしてしまうほど、広く 遠くまで 枝を張り、ざわざわと、自分で風を起こして、村に降り注ぐ日を すっかりさえぎるほどで、その幹は、70人の大人が手をつなぎあって囲んで ようやく 一回り、というほどだった。

 その大木の恐ろしげな姿に 皆が近寄ることをためらっていると、このままでは 帝のご病気は治らずじまいになってしまう。なんとか この木を切り倒さねば、なるまいぞ、と 一人の家来が声を上げ、皆は ようやく 作業に取り掛かった。

 ところが、皆が一生懸命、何時間もかけて 斧を振るっても、次の日に 見に行くと、昨日切ったところは どこにも見当たらず、木は 元の姿になっているのだった。

 帝のお付きの者たちは、それを聞いて、改めて占わせたところ、占い師は、切った木屑や枝葉を そのままにしておけば、夜の間に 木がそれらを引き寄せて 元の形に戻ってしまいます。帝をのろったものたちは、それほどに 強い怨念をいたいていたのでございましょう、というので、では どうすれば?と 家来たちがたずねると、

 「木を切って出た木屑や枝葉は その日のうちに 焼き尽くして灰にしてしまうことです。そうでもしなければ、のろいのかかった大木を切り倒すことは できません。」 と 占い師は答えた。

 そこで、人々は、毎日 木を切ったときに出た木くずを焼いて灰にし、それを何度も何度も繰り返しながら、その後、70日目に ようやく 木は切り倒された。

 灰になった木屑は、ほとんどが 土に埋められたが、いくらかが 風に乗って、あたりに散っていった。

 

 さて、帝は のろいの大木が切り倒されたときから、急に お顔の色もよくなり、お体も 大変お健やかになられて、とても お元気になられ、帝ご自身をはじめ、家来たちも 町や村の人々も とても喜んで、あちこちで お祝いの祭りが行われたほどだったが、それから しばらくして、帝は また 別のご病気にかかられ、あろうことか、幾日もしないうちに、亡くなられてしまった。

 家来たちは、これまでとは違う 別の占い師を呼んで、どうしてこうなってしまったのかを占わせたところ、その占い師は、帝のご病気の原因は、大木を切ったことによって 起こったことなのだ、なぜ そのようなことをしてしまったのか、と 答えた。

 殿様は、その話を読み終えられると、数人の学者たちと時をかけて 話し合われ、おそらく 当時、木切れや枯れ葉を燃やして灰にして埋めたとき、風に乗って あたりに散っていった灰が、土の中で 木切れなどになったのではないか。それで、村屋根の木のたたりのために、村が いまだに 困っているのだろうと お考えになったのでした。

 そこで、殿様は、その国で 一番えらいお坊様のおられるお寺に、荷車いっぱいの木切れや枯れ葉を運ばせて、丁寧に その供養をするように、申し付けられ、そして、そのことを知った 村のものたちは、大変なものを 掘り起こしてしまった。どうかして、村屋根の木ののろいが どこにもないように、と 村のお寺のお坊さんにも お願いして、皆でいっしょに、これも 丁寧に供養したそうです。

 皆の祈りが 聞き届けられたのか、村屋根の木は その後、風が吹くたびに、葉を落とし、まるで 着物を脱ぎ捨てるように、毎日 形を小さくしていき、供養の日から 七日たったころには、どこにでもあるような 普通の木になってしまったのでした。

 それからは、その村は ほかの村と同じように、春は 温かな風が吹いて花が咲き、夏は 強い日差しを浴びて、たくさんの作物がぐんぐん育ち、秋には 多くの実りを得、雪深い冬は、穏やかに 静かに暮らすという、当たり前の暮らしができるようになったそうです。

 

 


 このお話は ご存知でしたか?

 別件で、ちょっと調べ物があり、あれこれしているうちに、見つけた話です。
 
 ちなみに「村屋根の木」というのは、お話を読んだときに題名を見なかったのか、忘れたのか、書き出してから、なんという話だったかな・・と どうしても思い出せなかったので、適当につけた題名です。

 どうして 帝が恨まれるようになったのかという 恨みの因みとか、なぜ 大木がその恨みを担ったのか、などという理由はなく、ただ ざっとしか 書いてなかったので、半分くらいは 遠藤の作り話が入っています、ご了承ください。

 でも お話としては、ヴィジュアルイメージが結べたので、書いていくのは 楽でしたし、面白いと思って書いていました。はっきりとは覚えていないのですが、石の森章太郎氏の漫画に、世界樹の話があったような・・。 なんとなく、似たようなものを 思いました。

 人をのろって 殺してしまうほどの恨み。それを その大木は、だれから どのようにして 受けたのか、恨みのゆえに 大木になってしまったんだろうか・・ なんて、あれこれ 空想してみたのですが、・・ あまり 勝手になってしまっても、と おもって、そのあたりの付け足しは やめました。。

 それほどまでにうらまねばならなかった怒りや悲しみが、お話の中のことではあっても、人々の供養で、消えていけば(浄化されれば)いいな と おもったので、後半のあれこれは、毎度のごとく 遠藤が付け加えたしだいです。

 どうなんでしょうね、そうなりましょうか? あなたは どうおもいますか?

 

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