8月のお話  ゆめ

 

 僕は 家の茶の間にいて、時間は ちょうど朝の食事時だった。

 僕のそばには 弟がいて、妹もいた。おかあさんが ちゃぶ台の上に ご飯を並べながら、台所との間を 行ったりきたりしていた。

 味噌汁がおかれて、中を見ると 菜っ葉がはいっていた。

 弟は、菜っ葉がすきなので、まだ いただきますをする前だというのに、箸で 汁をかき混ぜながら 「やー なっぱだ なっぱだ。」と いっていた。

 おかあさんが すわって、僕たちに 座りなさい と 言った。

 それから、おとうさんが 入ってきて、いつものおとうさんの場所に座ったので、みんなで いただきます! といって、朝ごはんを食べた。

 ご飯は 白飯たっだ。湯気がたって ほかほかで あったかかった。

 おかずは ほしいわしの焼いたのだった。僕は いわしが好きなので、おいしい おいしいといってパクパク食べたのだが、いわしを食べるたびに 弟が、一匹、二匹・・と 数えるのだ。 

 僕は 数えられるのがいやで、おかあさんに、弟が いわしを数えるのをやめるようにいってよ、と いったのだが、弟は、「だって にいちゃんは もう よっつも食べるんだもの。」といって 口をとんがらせた。

 いわしも、菜っ葉の味噌汁も 白いご飯も とても おいしかくて いっぱい食べた。

 そのとき、表で 車のとまる音がした。

 お母さんが「車が来ましたよ。早く支度なさい。」と いったので、僕も 弟も 急いで 背負いかばんをしょって、玄関に出た。

 いつものように 運転手の三田さんが ドアを開けて、待っていた。

 僕は うれしくて ぴょんと跳ねるようにして 車に乗り込んだ。弟もまねをした。

 お父さんが 乗ってきてドアが閉まるとき、おかあさんが「今日は、午後に パンを焼いてあげますからね、早く帰っていらっしゃい。」 といった。

 車は すべるようにして いつもの道を走り、橋のところまで来てとまったので、僕は ドアを開けて 表に出た。

 弟も 降りるだろうと思っていたら、僕の後ろで ドアがバタンと閉まる音がして、振り向くと お父さんも 弟も 車に乗ったまま、煙のように すぐ見えなくなってしまった。

 あれ?どうしてだろう・・ と 僕は 驚いたが、ふと そうだ、俺は 浮浪児になったのだ ということに気づいた。

 僕は、どうしたものかとおもったが、とにかく うちに戻ろうと思って駆け出した。
かなり、あせっていたようで、通る道に、よその家があったのか、どうかも 思い出せないほど、僕は うろたえていた。

 ようやく、家に着いたけれど、そこは 焼け野原になっていて、そして 草がぼうぼうに 生えているばかりだった・・・

 いつの間に そうなったのか と 不思議な気がしながら、僕は おかあさん! と 呼んでみた。

 ・・ そして、その声で 目が覚めた。

 目が覚めたときは、いつも なんだか どこにいるのか と おもうのだが、辺りを見回して。。 やっぱり 川のそばの 柳の木の下の 草の中で 寝ているのだ。

 目が覚めて、柳の枝のほうに 細い三日月が かかっているのを見た。

 僕は、なんとなく 月の光の揺れている川面に向かって、拾った石を 思い切り投げて、「ばかっ!」と 怒鳴ってやった。

 

 


 このお話は・・ ご存知でしょうか。

 坪田譲治氏の ひるのゆめ よるのゆめ という中の、数話のうちの二つの話を 少しだけミックスしたのですが、「僕」が目を覚ましてから以降のことは、つぎの話の最後にしました。

 最初の話だけよりも、次の話の終わりの部分のほうが、「僕」の境遇をうかがい知るには早いと思ったからです。

 当方のお話のページにある、2012年2月の「虹とかに」の話を書いたのも この人です。 http://aureaovis.com/story0202.htm 

 やはり夢の話だったように 思い出されているのですが、 先の話と 今回の話との違いは、同じ夢の話でも、虹とかに のほうは、戦前にかかれたもので、今回のお話は 戦後に書かれたものと おもいました。

 お話の中の「僕」は、お察しの通り、つまりは 独りになってしまった少年なのですね。 両親も兄弟も、そして 家も すっかり焼けてしまって、どうしてだか 彼だけが 生き残った・・。
 生き残ったはいいけれど、”川のそばの柳の木の下、草の中で寝ている”ような境遇に陥ってしまったようです。

 言葉として 浮浪児 という語を記してよいのかどうかとはおもったのですが、一応、覚えているままに 書いておきました。・・ほかの言い方が わからなかったので。

 大戦のあとには たくさんの「僕」のような子供たちがいたといいます。
それはそれは、言葉に尽くせないほどの、苦しさ つらさ、哀しさ、わびしさ、そして 痛いほどの寂しさを これでもかというほど 経験したのではないかと・・思われます。

 朝食の様子が、詳しく書かれています・・、白い湯気のたったご飯に 良く焼いたほしいわし、そして 菜っ葉の味噌汁・・ 

 決して 贅沢なものではありませんが、その一つずつが詳しくかかれたものを読むことで、一人ぽっちになってしまった、まだまだ 親の手を必要とする成長途上の少年の日常が、推察されます。

 大人たちの都合ではじめられ 何年と続けられた戦争の犠牲には、そんな子供らが たくさん 生み出されていたのですね。

 そこから どうやって 生き延びていくのか・・、それも また 大変なことだったことは、考えるまでもないことでしょう。

 それが 自分だったら、あるいは 自分の子供に起こったことだったら・・
そう考えてみることは、決して、つまらない空言などではなく、それは、戦争を体験したことのない世代であればあるほど、求められてしかるべきことかと 考える次第です。

 あなたは、どうおもいますか?

 8月の、6日の広島と9日の長崎の原爆投下された日と、それを受けた後の15日の敗戦による戦争終結宣言の日を、今年も思いながら、今回のお話を書きました。

 

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