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『モキヨがおしえてくれたこと』という三女の描いた絵本が、先月1日に文芸出版社ビジュアルアートから出版された。
ただ、それを知ったのは、もうその月も半ばを過ぎたというころであり、事情を聞けば超低予算で作ったということもあり、店頭に置かれるのは1月一杯。あとはネット販売ということだったので、取り急ぎ思いつく限りの各方面へ、事の次第を知らせつつ、よろしければお買い上げをとお願いに奔走した。
幸いに 作者の意図したところを汲んでくれた諸処において、例えば横須賀のいくつかの小学校や逗子や葉山での読み聞かせのグループ、複数の病院や少年院、またそれに準ずる施設などで、そして絵本を求めて止まない
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海外の貧しさの中にある子供たちの世話をする会などで、授業に取り入れられたり読み聞かせの本として活用していただいたりしている。
心に辛いものを抱えている人たちにこそ読んでほしいという娘の意向は、確かにそちこちで多少の効を奏しているようにも見え始めている。ありがたいことと感謝するばかり・・。
先日、私はある方にその絵本を贈らせていただいたあと、少しお話をすることがあった。
親である私からの影響もあって、その子供たちにもそれぞれ賜物があるのではないかという面映いお言葉を頂戴したが、しかしながら手放しでそれを嬉しがるよりも、そういうものを持っていたところで、よほどの縁でもない限り、普通に暮らすには辛いものがあるのだけれど・・と現実的なことを思って、ただ もごもごと言いよどむばかりだった。
子供たちは、それぞれ面白い才能を持ち、ひとりひとり自分の子、自分は彼らの親でありながら、見聞きするたび いちいち"すごいなー"と思ってしまうのだが、やはり食べるために働かなくてはならないという段になると、それぞれどうにも いわゆる"良いところ"とは無縁の職業や暮らしぶりになってしまう・・。
しかしながら思うに、一般的な事がうまくできず、世の中でそれがなくても生きるには困らないというものに、日々の自分を生かしていくとしても、まぁ、それはそれなりいいんじゃないかと、軽い諦観にも似た傍観者気分に納まりつつある自分がいる。
生活や地位、学歴や職歴などをより高い水準のものに と願うのは決して悪くはないが、ただ、やってみて自分もだが、そういうことに対して特に関心がもてないという幾人かもいるにはいて、そういう部類の我々としては、もう他所様の願うような人生設計など放棄せざるを得ず・・というか、別のところを見てしまっていて、あまり云々もできないというのが実際のところではある。
人が生きていれば 当然迎える その時期相応の老化、疾病、加齢現象などにたいして努力で手に入れる健康や若さなどへの抗いは当然のことという観念がいきわたってしまっていることで、不自由な人、疾病を抱えている人、老いていくことを受け入れている人な どが、さも努力不足のように公然と語られるのを昨今見聞きするが、そういうかの大国のようなこの国の現状に 自分はなんともいえない不安と息苦しさを感じている。
「いろんな人たちがいて当たり前」と言う言葉は、そういう現実の前では空転するのだ。 |
小さいミカンが好き
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人に理解されやすいあれこれに関わりなく、そこにその人がいる ということを、その人がどんな人であっても受け入れていくことのできる社会があることが、何にもまして必要であるということを 一体どれほどの人が 本気で思っているだろうか・・?
言い換えれば、自分の身内が疾病や障害とともにあったり、仕事を持ってもうまく働けずに生活に汲々としたり、人とのコミュニケーションに事欠くようであったとして、その身内を抱えた側が そういう人を どこかで見下したり、向こうへと見放してしまうことはないだろうか?
私(と私の子供たちの何人か)は、つまりそうやって向こうへやられる側の立場にあるようなものなのだ。幸いにこんな私を面白がって?楽しく暮らそうと選んでくれた連れ合いによって、人並みに近い生活をさせてもらっているのだが、ともに定収のない我々を、回りの一部では 危ぶみ 且つ否定的に見ているのを 私たちは ちゃんと知っている。
しかしながら、我々は、そのように生きるしかない。
一度に一つのことしかできないものは、そのように生きるしかないし、できもしないあれこれに欲を出せば、そのうち壊れていく事は再三経験している。
『いろいろほしがるからむずかしいのね。
ほしがりすぎて、じぶんがほんとは
なんだったのかってこともわかんないのよ。』
(絵本「モキヨが教えてくれたこと」より)
'みんな一緒'がだめな人だったモキヨの生みの親である娘は、ある時、家族を見放してからしばらくの間 独りで暮らしてきた。様々な人との出会いや別れを繰り返し、早いうちから 人というものの良いも醜いも合わせての辛酸嘗めてきたけれど、それが このような穏やかで、ものの中心に誘い込むような風をそっと吹かせるようになるとは、彼女を産んだ親である自分ですら 露ほどに思いもしなかった。
人は やはり 生まれたときから その本人だけの道を生きるものなんだなぁ・・と、今回つくづく思った次第である。
願わくば、夫々に賜ったものを無駄にせず、人様の役に立てて生きるように!
(生きにくい世に半世紀以上もいる自分も そう生きているように・・!)
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