なんとも凄まじい嵐に見舞われたバレンタインデーの 明るく晴れわたった翌日、思い
もかけない恩師の訃報が私にも伝えられました。
なんと言ったら言いのでしょうね・・。それは 驚きました、・・驚きはしたのですが、でも、だからといって涙が溢れて仕方がないとか、悲しかったり辛かったりというようなものはなぜか、一切 まったくありませんでした。昼食時に連絡を受け、二口くらい食べたあとの電話だったのですが、耳にした後も さしたる動揺もなく普通に食事を済ませ、デザートまで戴いてしまいました。

そうかぁ・・、とうとう逝ってしまわれたか・・。やっと解放されたんだなぁ。
81年の歳月を 病気なしで暮らしたことが どのくらいあったのだろうかという恩師は、もう 人前で痛みを悟られないようにすることも、疲れを隠す必要もなく、痛みのない新しい身体を得て 初めて生き生きとし始められているような、どういうわけか そんな確信のようなものがあって、だから ああ、よかったなぁ・・と 本当に安心しました。
暑さ寒さのおりおりには どうしておいでかと なにかにつけて気になっていたり、気がかりのために出向いていったり、そこにおいでになるということで かえって距離を実感しながらの行き来だったのですが、いざ こうして亡くなってみると、面白いことに、どこそこにいるという現在位置が具体的にないので、何かにつけて いつでも思うとすぐそこにいてくださるようで、今までで一番 恩師ご自身を自分の身近に感じられています。
それもまた、どういうわけだか とてもうれしく安心なのです。

知らせを受けた日から、何かのときに ふと お話くださったあれこれを 脈絡なく思い出すことがあり、それを まるで大きくて甘いおいしい飴などを ほっぺを膨らませて舌の上で ゆっくり幸せに転がすように、何度も何度も 思い返したりするようになりました。
難しいことは 決しておっしゃらなかったし、難しいことであっても 私にわかるように話して聞かせてくださった。とてもわかりにくいことであっても、言葉を選んで、その時わからなくても いつかすとんと腑に落ちるようにわかるような言い方をなさる方でした。同時に、できないことを無理に要求なさることもなく、でも ほんのちょっと上のランクを目指すための言葉かけをなさることは ありました。
そう、例えば・・「ちょっとやってみる?」とか「やれそう?」とか、そういわれると ひとりの時は できないよー と思っていたようなことも、う〜ん・・、できるかも・・とおもってしまうから不思議です。
はい、じゃあ やってみます。なんて いつの間にか答えてしまっていて、あ 乗せられたかな?と 思うことも 何度かありましたね。
いつも人のことばかり気にかけていらして、ひと月まえに 私が最後にお目にかかれたときも「元気?おばあちゃん、具合はどう?子供たちは?仕事はできてるの?」と 苦しげな息の中でやっぱり いつものように 私たちのことを心配してくださいました。
ご葬儀の日は とても穏やかで 2月半ばとは思えないほどののどかな陽気。
何年か前に 恩師のお祝いのために集まったときも、3月のきらきらに晴れた 空の青い日だったことを思い出しましたが、なんだか 天の祝福を目の当たりにしたような気がしたものです。恩師は そういうことが 実にあたりまえと思われる方だったのです。

「人には幸せになる義務があります。最終的には私たちは幸せを約束されているのですから、それを信じて 生きてください。」という恩師の命の言葉が、今また新たに心の中に響き渡っています。
恩師に出会い、多感な時期をしっかりと導いていただき、こちらの苦楽を自分の事のように時に憂え、時に喜んでくださり、会えばいつでもそばに座らせて、命の糧となる言葉を惜しみなく注いでくださった。それほどに恵まれた自分が なんだか申し訳なく思えてなりません。
本当に稀な出会いを稀に出会ったんだなぁと そのあまりの幸いに感謝するばかりです。
どうか安らかに!どうか歓喜のうちに! 沢山、たくさん ありがとうございました。
いつも 帰るときにしていた挨拶で しばしのお別れを言います。
「また来ますね。」 「うん、またね。」
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