暑くなってきました。例年より遅い梅雨明け宣言、本格的に「夏」ですね。
先日、連れ合いが家の上下の南側に ターフを取り付けました。不透明のものなので、目の前の小山やその緑たちをしょっちゅう見ることができなくなりましたが、それを取り付けたとたん、すっと熱気が引くのが分かります。こんなもの一枚で・・とおもいますが、暑さに弱い者にとっては、全く持って大助かりです。
ちなみにこのターフ、紫外線防止率99%なんて書いてあった外国(どこだったか・・?)製キャンプ用品の類だったように思いますが、自分にとっては なにしろとてもありがたいです。
私は、エアコンというものがだめで、それに体が慣れるということが どうしても無い。人工的な涼しさの部屋から出てくれば、もう身体に重石がついたような重圧感をずっしり感じてしまうのです。とくに夏場の公共の乗り物や施設の冷房など 建物やそのもの全体に空調が施されているというところは いるだけで実に辛いという時があります。
でも、もともと ものすごく暑さに弱くて、暑いだけで体が思うように動かなくなるので、ある程度の涼しさの確保はせずにはいられないのですが、しかしそれでも風を入れる、団扇や扇風機を使う、涼しい所への移動、ごく弱い冷房という程度で済ませています。
勿論、真夏の日中のお客様のためには せっせとエアコンを効かせて、部屋の温度を下げる努力をするのですが、もしその時に風があれば、窓を開け放っておくだけで、こちらはわりに涼しい時もあるので、暑さを気になさらない方やエアコンの風を嫌うお客様は、冷房は消してください と言われます。そういうときに、ターフがあると開けていても表から全く見えませんし、涼しい風を入れることもできるので、開放感たっぷりに窓を開け放してのお手入れができるというわけです。
'暑さ'もストレス、生きものを消耗させます。ただ、暑いというだけで・・。
そう思うと、直射日光を遮ることができなかったり、蒸し暑さにただただ耐えるしかなかったり、意識や身体に異変を感じたりしながらも通常をこなさなくてはならないとしたら、それはどんなに苦しいことかと思います。様々な環境や社会・政情の下、そんなことを強いられている人々に、せめて一枚のターフがあれば・・と、本気で思います。
そんなものよりもっといろいろに必要なものがあったほうがいいにきまっているというのは、十分承知しています。それでも、暑さで身体を壊す自分には、暑さのレベルが上がっても、それをしのげない辛さが どんなにしても やり切れないことはよくわかります。
小さかったり弱かったりしたら命にだって関わる。ターフ一枚ごときでとも思うものの、やっぱりせめて、とも思います。 |
漆芸の風狂
渡部誠一近景 より
2007年8月3日〜7日
国立市 ギャラリーわとわ にて
銘々皿 墨花
(写真をクリックしてごらんください)
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盆
月下門
(写真をクリックしてごらんください)
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自分の住む葉山ではありませんが、丘の上の実家に行くために通る道は、以前は うっそうと木が茂り、登っていくにつれて緑は濃くなり、木々をわたる涼しい風に、木漏れ日がそれこそ白い花びらのようにちらちらと眩く降り注いで、少々急な坂道ですが それがあるから暑い最中、汗をたらしながらも楽しく通えていたのに、数件の新しい家と小ぶりの集合住宅が建って、車を使う人が多くなったせいでしょう、道幅を広げるために それら木陰を作っていたものたちがすっかり排除され、たんに 日ばかりが照りつける 行くも戻るもきつい坂道になってしまっていました。 |
そうにまでする理由が どうにも分かりません・・。車一台、通すだけでよいのに、何もかもをばっさりと切り払ってしまったために、日中の日盛りに歩かなくてはならない人は、照りつける太陽光とそれををまるまる受け取るような格好になった舗装された道の照り返しをもさらに受けながら、暑さにあえいでその坂を上らなくてはなりません。さほどの距離は無いにしても、実に苦痛を余儀なくされます。
銘々皿 妙墨 (写真をクリックしてください)→
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ターフ一枚の涼しさはそれを利用する人のためだけですが、緑の重なりによる木漏れ日つきの涼やかさは、そこを通る誰にでもの、そしてどんな生き物のためのものでもあります。
先日も「ものを外に捨てるのはいけないことだと分かっているのに、エアコンなどの熱気を表に排出して それをいけないと感じる人が少なすぎる。」というコメントを読みましたが、これだけ地球や市街地の温暖化に拍車をかけているものが何なのか、誰でも知っているというのに、それを増長するようなことばかりし続ける人の愚行をどうおもってよいのか・・、どうすればよいのか、考えても考えても 分からずにいます。
冷え防止用のジャケットが手放せない夏なんて おかしいと思うのですが・・??
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