正月二日は とんでもなくきれいに晴れ上がった青い空に眩しい光のおまけつき、なんだかすごく得したような一日でした。
なにしろ単細胞で簡単に出来ているので、空が青い、光がきらきら、いい風、優しい影、緑がきれい、花が実が・・なんていっているだけで、どんどん幸福な気分になるという「お得な性分」なのですね。でも、まぁ なんだっていいんです、それが好きだと思えればそれで幸福・・、そんなレベルです。
上の二人の娘たちがまだ幼稚園に行くか行かないかのころ、ふと思い立ってそれぞれにかごを持たせ、春の良い日にお弁当を持ってピクニックもどきをしたりする休耕田に散歩に出かけたことがありました。おもちゃのかごくらいの小さなものでしたが、ふたりはそれぞれ腕に通し、たいして興味もなさそうに 仕方なく親の思いつきについていってやるか・・というような、そんな感じで歩いていきましたが、目的地でみた一面の蓮華の花に、さっきまでの面倒くさそうな顔はどこへやら、最初こそあれこれおしゃべりしていたものの、そのうち黙々と蓮華を摘んではかごに入れ、山と雑木に囲まれた暖かな光に満たされた蓮華畑の静けさの中、とうとうかご一杯に摘み集めてしまいました。
二人は、とても満足そうでしたが、やはりちょっと疲れたのでしょう。おやつも特に持っていっていなかったので、それでは帰ろうということになり、もと来た道をおしゃべりしたり、歌ったりして歩いて戻りました。
途中で出会った見知らぬ奥様方がおしゃべりをやめて、普段は少々敵対気味の娘達がどういうわけか手をつないで並んで歩くのを見て「かわいい!」「かわいいわねぇ。」と言う声を聞きながら、なんだかすごーく幸せな気分になっていた親の自分でした。
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コロコロと良く太った小さな上の息子と幼稚園の帰りに手をつないで歩いていたら、ふと息子が手を振り解いて走っていくので何事かと思ったら、なだらかな斜面一杯に咲いている青いオオイヌフグリを、その太って丸々したちいさな指でそうっと摘んでは片手にまとめ、もうこれ以上握れない というくらいになったとき、くるっと振り向いて「はい、ママにあげます。これすきでしょう?」といって見上げたその顔のほっぺが、ずっとしゃがんでいたために少し赤らんだのを見て、なんとも言えずかわいくて幸せに思えました。 |
家の裏が一面のコスモス畑だったころ、今は二人の子供の母親で、「モキヨが教えてくれたこと」を出版した三番目の娘がまだ幼稚園に入る前、よくおねえちゃんたちのお下がりの上っ張りを着て、コスモス畑にいくつか置いた小さな木のベンチに腰を掛け、彼女の小さな悩みや苦しみを一番仲の良い猫に話して聴いてもらっていました。
その猫は大変賢くて、多分言葉を理解していたのだと思います、娘の言うことをきちんと座っていつも、いつまでも聞いていました。コスモスは背が高く密生していたので、そばを通りかかっても声はすれども姿は見えず、聞くともなしに彼女の悩みを聞いては気の毒にもかわいくも、またおかしくも感じ、なんともいえない愛おしくおもったものでした。
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末の息子はすぐ上の息子と6つ違いで、一番上とは一回り違いましたから、どちらかというと一人っ子に近いところがありました。子供のころの10年前後の年齢差はかなりのもので、時にはかわいがられはするものの、たいがい赤ん坊扱いか邪魔者扱いという散々な位置にあり、何かにつけてストレスも多く、言葉数も少ないために言いたいこともままならなくて、よく悔しそうに泣いたり腹を立てたりしていました。
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それでも 上の子達が学校に行っている間に買い物に連れて行くと、自分のほしいお菓子を片手に「これ、姉ちゃんの。」「これはみーちゃん。こっちはちーちゃん。おにいちゃんはこれ?」と夫々の好きなお菓子(と思われるもの)をかごの中に入れたりしていました。
今はもうひげ面の彼は、その昔は長くてゆるく巻いている髪のせいもあって女の子のようにかわいくて、良く行くお店やさんでは、皆さん、名前を呼んで買い物に行くのを待っていてくれたり行けば何か持たせてくれたり・・。戦利品?を一杯抱えて、一生懸命丘の上の我が家までの坂を小さな足で登っていく息子を見ては、この子らの親と選んでいただいた幸いを感謝したものです。
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今年戴いた年賀状にも、彼らと同じくらいの、あるいは生まれて間もないあどけない笑顔の、ちょっと見ないうちにずいぶん大きくなったお子さんたちの写真がありました。
子供だからといって常に天使なわけはなく、時には帰るのが嫌になるようなことも幾らもありましたし、実に今現在の彼らは、先のようなどでは決してなく、それぞれ、迷いの最中に困難に直面したり、誰の言う何事かと思うような理解しがたいような言動があったり、焦燥と戸惑いのうちにかすかな光を捉えようとしていたり、背負うものが増えると知ってもなお重荷を負うを選んだり、日々のこまごました事どもを疲労とともに淡々とこなしたり・・、そして親の自分はそういう彼らを、今はもう何の力も持ち得ずに、ただ黙って見つめているだけになってしまいました。
今朝の磨かれたように真っ青に光る空を眺めながら、なぜ子供たちの小さかったころを思い出したのかな・・と思います。正月二日の青空はどこまでも澄んで高く、この高みを目指すことが自分の気持ちのままを生きることに思え、そこがきっと自分のいた場所だったんだ・・と感じたりしていました。だけど、それは何も自分だけのことではなくて、誰でもがそこから来てそこへ帰るのではないか・・と。つまり「時の船」は、あの青を渡ってここへ一人一人をおいたのだろうとなんて、思いながら空を眺めていました。
日々の労苦や懊悩は、まるで通奏低音のように絶えず私たちにあるけれど、それでも決してすっかり絶望しきれないのは、あの空に通じる私たちに共通する「豊かな光に包まれた記憶がある」からなのではないでしょうか。かつて自分のいたところに還ることを目指すのは、そこが命の源にして母胎のようなものだから。だから安心して日々を悩み、小さな幸いを何かにつけて喜ぶ「お得な性分」で、この一年も過ごしたく思った正月二日でした。
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