今朝は、ずいぶん久しぶりの雪が降っていた。
このあたりでは、雪が積もるなど ほとんどないし、雪と言っても、水雪なので、風情も何もなく、ひょっとすると 雨の粒が見えているような、そんなものではある。
このところ、去年の暮れから つい先ごろまで入院していた母のあれこれに、かかずらわることの多い日々を過ごしつつ、合間に 仕事して・・などとやっていたので、ふと 坐った周りを見ると、なんだか 薄汚くおもえて、こんな 寒い北風の吹く日だというのに、何を思ったか 自分、いきなり 窓を開け放って、掃除など始めてしまった。

当方の掃除と言うのは、いくつかあって・・、ひとつは徹底的に綺麗にしまくるというもので、これは、払う、拭く、掃除機をかける、また拭く・・を、なんども繰り返しながら、いらない物をより分け、捨てて、並べ替えたり整えたりなどを、勢い込めてやってしまう というものだ。
これは・・ 実は 本当に 気力、体力的には大変なのだけれど、そのためもあって、非常に ものすごーく 満足度が高い。
ほかには、片づけ物をしつつ、掃除機をかけ、目に付くところを拭いていくという、わりに 普通の掃除と、上のほうは なるべく見ないようにして、床の上に 茶殻をしぼったものを撒いて、ほうきで掃く・・などという、手抜きの掃除などがある。
この、じっとしてると なにやら 冷たい空気が体内に沈み込むような 寒い今日、突然にしたのは、二番目の掃除に 台所の床拭きを組み合わせた、プチ満足な掃除だった。
これをやったからといって、なにがどうなるというなどということは、何もないのだけれど、年末から二週間、病院通いに明け暮れて ほうりっぱなしだったことを、母の退院後、ようやっと 気になりだして やり終えたことなので、なんとなく さっぱりして今、ちょっといい気分でホッとしているのだ。

以前は 掃除が嫌いだった、というよりも どうするのがいいのか が わからなかった。
いろいろな 本を読んだり、人から教えてもらったりしたりはしたけれど、あるときから 自分のやり方というものが できてきたように思う。
考えてみると、どうやら 自分は 無計画に、つまり ある日突然、必至になって掃除する というのが、しょうにあってる というか・・、
正確に言えば、つまり、行き詰ったり、どうしても気分転換したかったり、これをしなくちゃいけないのだけれど、すごくやりたくない、などと言うときなどに、まるで いいわけのように いきなり掃除を始めるようなところがあるな・・ と わかってきてから、自分の掃除が出来上がってきたような気がしている。
目に付くところは 大概 同じところなので、そこは もう これでもか と言うくらいにやるのだけれど、そういえば、とおもうようなところは、数回に一回という掃除振りなので、結果、たいして 綺麗になってもいないのかもしれない。
思うに、自分においての掃除と言うのは、どうやら 誰かが来るから というよりも 自分の精神衛生上の問題への対処のような、そんな気がしなくもない。
まぁ どうであれ、きれいになるのは いいことだし、すっきりした部屋で、あったかいお茶など飲んで、のんきに カタログなど眺めているのも、いいではないか、と 思うのだ。

しかし・・ この、綺麗になった部屋、というのも、わずかな時間でしかなく、タコ氏がもどってくると、なぜだか いきなり、どうして こんなに?!と言うほど 散らかり始め、物があふれ、はたまた 脱ぎすてられた物をたどるとタコ氏に行き着く・・ という、しかも 脱ぐたびに 何かが落ちるようで、なぜだか 枯れた葉っぱとか草の実とか なんだかの屑とかほこりとか・・が落ちている という、そんな散々な状態になってしまうのだ・・
これが、当方の長年の悩みのひとつであることを、一応、ここに 明記しておこう。
まぁ これだけ年を取れば、そんなこと、息子達が生まれたときから 繰り返したことなので、そんなもんか とも思いはするものの、それにしても・・ 子供とは 到底いえない 髭面のおっさんが、ばたばたと もどってきたとたん、気持ちよい空間にしておいた部屋のイメージが 一瞬で ガラガラと壊れ 散り砕かれるのを見れば、自分でなくたって 誰だって、掃除のむなしさを これでもか と思い知らされるに違いない。
こういう、がさつさとともに、それでも 掃除して すっきりした部屋を作り上げることを繰り返しつつ生活している自分を、ふと、なにやら そそっと褒め称えてやりたくなるのは、間違っていないだろうと ひそかに思うところではある。
|