先日、トイレから出ようとして 扉を開けたとたん、明るい涙型の 白く光る小さなものが、足元を ふぅっとすり抜けて、飛び出していった。
嫌な気配がなかったからなのか、なにか「あれ・・」というような、ちょっと 気恥ずかしい気持ちになって、だまって 扉を閉め、そのことは 少しの間、誰にも 言わないでいた。
その後、実家で 皿洗いをしている時に ふと それ思い出し、引きこもりの娘に言ってみたところ、それ ちょいちゃんじゃない? という。
ああ、なるほどね、そうかもしれない、 と ちょっと 腑に落ちた感じ。
あれは でも 真っ白だったよ、光り輝くってかんじくらいの・・
それじゃあ、ぼっちゃんかちーすけじゃないかな
ああ、そうか、そうかもね、
かつて、その娘が かなり荒れていたころ、彼女は 人と接するよりも ネコのことばかりを優先して・・ という よくあるパターンだったのだが、そのとき、わが家には8匹のネコがいた。
その猫たちの食事や病気のときの世話は、一日中 家にいる彼女に、つまりは 預けられたようなところがあり・・、いらいらしつつ、怒鳴りつつ、時に ねこっかわいがりしつつ、娘は それぞれが 土に還るときまで、まず人より先に せっせと 気持ちを傾けていた。
自分は その頃、フルタイムの仕事だったため、子供の一人ひとりすら よく見ることもできなかったくらいだったので、ネコのことは 8匹いる、というだけで、それぞれをあれこれ思い出すような 記憶に残るエピソードは 少ないのだけれど、それでも 目元のアイラインが きれいに流れるようなラインで入っていて、多分 自分が美人だ と 知っていたんだろうね、と 今でも よく話題に上る ちょいと(生まれたときは ほんとに ちょっとしかなかったので、ちょいとと命名。のち すくすくと育って もっと→うんと、なんていわれていたけれど、でも ずいぶんおもくなっても 皆は ちょいと と 読んでいた・・)
胸から腹にかけての毛並みの白さと明るいベージュの濃淡の縞模様が ちょっと素敵な、風の日が大好きな ヘーゼルナッツの眼をしたちーすけ
、
もともとは 多分綺麗なネコなんだろう・・ と 思うのだけれど、なぜだか いつも ほこりっぽくて、戻ってくるたびに、みんなに あっちでぶるぶるしてきなよー とか、そこで 寝ないでよー とかいわれるほど、なんとなーく 薄汚れて、白いはずが すすけてグレーになっていたぼっちゃん、
夏と冬とでは とても同じネコとは思えないほど、極端に体形(膨らみ方)のかわる 白地に部分が黒の、どうにもよくわからない、ちょっとやさぐれ風のダリオ・・、
アメショー入りで毛並みが綺麗で、最盛期には6キロもあったけれど、性格は しごく穏やか、なにしろ 人語を解する、唯一のお利口ネコにして、長男の朝の起こし役を担っていた、最期まで 静かで賢かった 大人ネコのシマ。
そして、生育が途中でとまってしまったちいさなおちっと、ダリオと色配分が 真逆なベーさん、そして 一番最後まで 我が家にいてくれた、名前を呼ぶと あん?と返事をして 皆に可愛がられ、惜しまれて逝った あんこ・・
自分は あまり 手をかけるようなこともせず、ただ 戻ればいるので、会ったネコから ただいまーと声をかけ、出かけるときは じゃ いってくるねー とか 気をつけなさいよーとか・・ 子供と同じように 声をかけていただけなので、向こうが此方を これといって認識しているのかどうかについては、とくに 気にもしていなかったのだけれど・・
真夜中に死んだシマは、離れたところにいた自分が坐っていた横のガラス戸越しに、ふぅっと 影を見せ、ああ、シマだ・・と おもったら、次男からのメールで、今 シマが死にました・・ と、
また 実家の台所で、洗い物をしていたら、足元を ふわっと軟らかいものの触れる感じがしたので 眼をやれば、なにもなく・・、娘は それ、ちょいちゃんだよ、といい・・
静かな夜に 一人で新聞を読んでいたりすると、向こうの椅子の上に 柔らかくやさしい、ひそやかな寝息を立てるものの気配を感じ、眼を上げて 見やったり・・
他にも なんどか そんな風なことが有ったりしたので、今回の トイレからの涙型の光るような白いものにも、怖さや気味悪さなどとは縁遠い、なんというのかな・・ あれ、なんでトイレなのかなー それは困るよ・・みたいな、そう苦笑してしまうような おかしな気持ちになったのだった。
娘が それなら ぼっちゃんかちーすけじゃない?と 言ったことに そうだな と おもったけれど、思い出してみれば、ぼっちゃんは いつも すすけていたので、それなら あれは ちーすけだったのかな と 思ったりしたのだが・・
実は、我が家にいついた猫たち というのは、その8匹のまえにも、数匹いて・・
その最初の頃のネコと言うのは、綺麗でかわいらしい 一匹の小型の日本ネコだった。
ふと、子供達が 履き出しのところに あつまったので、何事か とおもって 後から見ると、かわいらしい 白いネコが おずおずと、でも きっと 大丈夫とおもって・・かどうか、親しげに 子供達のほうに よってきていた。
へー 可愛いネコだねー というと、子供達は。。 といっても その頃は まだ 娘たち三人だけで 息子達はまだいなかったのだが・・、食べる物 やってもいい? といって、こっちがうんともなんとも言わないうちに 長女が 給食の残りを取り出して!(また のこしたんかい?!) 鼻先に持っていくと、当然のように ぱくぱくと おいしそうに食べだした。
それから、そのネコは 子供達の友達になり、とくに 上の二人が学校や幼稚園に行っている間の 三番目の娘のよい遊び相手、話し相手になった。
しかし、そのネコは 面白いことに、とても 素直?で。。
洗濯物を表に干しているときに、どこからか 三女の声がするな と おもって 庭の右手にある ちいさな竹林をのぞくと、竹林のなかにある 小広いところに お人形さんのテーブルをおいて、その向こうとこっちに 小さな娘と白いネコが 向かい合って、おしゃべり?していたり・・
その頃の家の前は、秋になると 一面のコスモス畑になり、大人の胸の高さにまで、ピンクや白や濃い牡丹色のようなコスモスが たくさんに群れて風に揺れていたのだが、そうなると 子供達は コスモスに隠れてしまうのだった。
三人の娘たちが、コスモスの中をかき分けながら あそぶのだが、上の二人が出かけた後は、よく 三番目の小さい彼女は、コスモス畑の中に置いた、小ぶりのベンチにすわって、お気に入りの絵本を眺めたり、ひとりで お話を作って、そばに坐ったあのネコに あれこれ 声音を使って 話して聞かせていた。
あるとき、そうとは知らず、コスモス畑の近くの洗濯物を取り込んでいたら、三女の話す声がして、じゃあ だれかいっしょなんだろうか と おもって見やると、やっぱり あのネコが 隣に坐っていて・・
小さな娘は 上の姉たちが いかにひどく自分をいじめるか、どれほど、嫌なことを言われたりされたりしているか・・ 事細かに ネコの背中を撫でながら、ことさら ひどく辛い思いをしている風に ため息混じりに話していたのだ。
聞いていると だって それは しょうがないでしょ、というようなことも、なかにはあって・・ 思わず わらってしまいそうだったのだけれど、彼女の真剣さに、それは いかになんでも まずいだろうと思い・・、そっと その場を離れたことがあった。
あの コスモス畑は・・・、それから 数年、私たちの楽しみの場所だったけれど、気が付いたときには もう 数軒の家が立ち並び、あの、猫たちとのことも、そこをみて 思い出すようなことも なくなってしまっていた。
話しが 遠くなってしまったが・・、ふと 自分の足元をすり抜けていった 涙の形の白いものは、ああ そうだね、あの 白いネコだったんだな・・ と 思ったのだ。
なぜかといえば、あのネコは とても 不思議なネコで・・
三女にとくに なついていたのだけれど―ネコは 子供が嫌いというのは あのネコに限っては 無かった―彼女が 水疱瘡で辛い思いをしていた時に、家の中には入れなかったその猫は、ベランダの彼女の寝ているところに一番近いところに いつもいて、娘が めざめると すぐ、下にやってきて、私たちに 娘が起きていることを教えたり・・
娘が具合が悪い時は いつも そんな風に 娘のちかくにいようとし、まだ 十分に自分の説明もできないようなちいさな娘のために、それはそれは よく面倒を見てくれた?のだった・・
そして、あの時の自分は、少々 体調思わしくなかったのだ・・
ネコとは 面白い生き物だな とおもうのだが、おそらく 犬や他の動物たちにもそういうことはあるのだろう。
ともに過ごした時間の多少はあるにしても、なぜだか 何かの拍子に ふと 此方のことを 素通しでみているようは・・
時に そんなことを感じさせる、人語を解さぬ 同じ空間で生きるものたちから、いなくなってはじめて、どれほどの「もの」をもらい続けてきたのか、と 思うことが多い。
たくさんの喜怒哀楽をともにした時どきを残して、彼らは みんな 土に還り、やさしく降る雨の還りとともに旅立ち・・
そうして きっと また いつか、自分は 彼らのいるところで、静かに新聞を読み、縫い物や織物をし、お菓子や料理を作って洗い物をしながら、穏やかに、あたたかく いるだろう、と・・
そんなことを たまに 夢見てしまったりすることも、ある・・
優しい彼らに、もっと 言っておけば良かった、ほんとに ありがとう って。
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