1 手紙の束から
涼しくなって 動きやすくなったこともあり、実家の片づけを ちょっとずつ また始めています。
先日 持って帰ったものの中に、手紙の束があって・・、もう20年くらい前になるのか・・、以前の職場で 一緒に働いていた人たちから もらったものがいくつもありました。
当時、20代〜30代の彼女たちとの様々な時は、今思うと、まぁ 自分も 良くやったな・・と 思うようなことも 多々ありましたが、やぱり 夫々の人たちとのあれこれ、その一人一人とのやりとりや 自分とのかかわり方のありようなどが 懐かしく思い出されました。
今はどうなのか知りませんが、当時は 毎年 春になると、大手の会社から、高校を卒業してすぐに 入社した18歳くらいのお嬢さんたちが ほんの数ヶ月の研修の後、すぐにエリア内の各店舗に 派遣され、しばらく 様子を見ながら、常駐の配属になることが 多かったように思います。
ですから、こちらも 毎年 新しいお嬢さんたちとであうことになり、それは まぁ かわいくて たのしくはあるのですが、反面 正直に言えば、かなーり 様々な面で たいへんではあったのです。。
(もう 亡くなられた、少し年上の 生き字引のような美容部員(当時はそう呼ばれていました。)の人と二人で、また 自分たちの仕事以外のことが増えることを 毎年 嘆いていたものです・・)
そんな新入の人たちの中に、彼女もいたのですが、その彼女には、まず 挨拶から話し方、言葉遣いに電話のかけ方、手紙や葉書の書き方に始まって、漢字や文面なども、それから お客様への接し方や、とにかく まず 目上の人と向き合うという意識をはっきりさせることなどから・・ 実に なんで私が・・?と 思うような、高校を卒業した18にもなるような人なら もう 分っていそうな そんな基本中の基本から 教えなくてはなりませんでした。
目鼻立ちが整って、綺麗でスタイルもとてもよい、かわいいお嬢さんで、たまにずれたりはしても 一応の気働きができて、それなり ああ いい人がきてくれてよかった と、会ったときは 思いましたが、翌日からの彼女のあれこれに・・、たとえば お客様からの電話一つにしても、横で聞いていて 気が付くと 脇を冷や汗が流れていたこともありました。。
しかし、その人は 実に とても 素直でした。
以前 ひつじ小屋だよりにも どこかで書きましたが、人間「素直」が 一番だと 個人的には 思うのですね。
それは 言いなりになるとか 言うとおりにしてくれる というのとは違って、その人の「素」に直である ということで・・、つまり やはり その個人の資質が問われるのかもしれませんが、とにかく 根が正直だったのです。
ですから、この世界では 何もわからない自分だ という 自覚があって、右も左も分らない上、なにかすると いちいち お小言が降ってくる という、今思うと とても気の毒な毎日だっただろうにもかかわらず、それでも 彼女は 昨日教えたことを 繰り返して覚えるという、とても単純だけど、とても 確実なことを 日々重ねることを いとわなかったのです。
それは とても 優れた資質だと 私は思うのです。
時々 広いフロアに二人になったりすると、そうだ 昨日 コレをやって 遠藤さんに怒られたんだな・・なんて ぶつぶつ言っているのが 聞こえたりもしていました。
毎日を そうやって過ごして しばらくしたとき、お昼が 彼女と二人きりになった日があって、その時 「仕事は 大変?いろいろ うるさく言うから めんどうでしょ?」と 聞いてみたところ、「うーん・・、でも 楽しいです。いろんなことが 一杯おぼえられて すごく 勉強になるし、学校よりも ずっと ためになって 面白いです。」 と まっすぐこっちを見ながら 笑顔で 返事してくれました。
最初の うーん・・でも、というところを見ると、まぁ 私は かなり うるさいし 面倒くさいことを 言っているんだというのがわかりましたが・・、それでも 彼女は そういう返事をくれたのですね。 私も ちょっと 嬉しかったのを 覚えています。
その彼女とは 数年いっしょに居たと思うのですが・・、なんというのか 気があったのでしょうね、私も 仕事以外のことでも、料理や裁縫、掃除の仕方から、日常生活でのあれこれなども・・、大分いろいろなことを 成り行きで教えることになってしまったのですが・・、先日 持ち帰った手紙の束の中に 彼女からの物を見つけて あらためて 読んでみたところ、やはり「いろいろ 沢山のことを 教えてもらって感謝しています。」という文を読むことが出来ました。
今思うと 非常に頭の回転の良い子だったのだな・・と 思いますが、何よりも 本当に 先にも書いたとおり、素直だったのですね。
ですから、言われたことを まず え?と おもっても 一旦やってみる、で おかしいな とか 出来ないと なったときに、こうなるので おかしいと思います とか どうやっても 出来ないんです と 言ってくる。そこで これはね と 教えると、ああ そうか、と納得したり、それでも うまくいかないと どうしたらいいですかね と 相談に来る。
一緒に 彼女のやりやすい方法や 分りやすいように工夫して ひとつひとつ 出来ていくようにすることは、彼女も そして 多分 自分も 楽しかったんだろうとおもいます。
うまく行ったときに 嬉しそうな顔で報告してくれる彼女は やはり かわいくて、つい からかったりしたこともありましたが、何も知らないからこそ 何も出来なかったからこそ、そして 言われたとおりにできなかったからこそ、日々 工夫を重ねて努力することをいとわなかったからこそ、出産で退社する頃には 立派に後輩の指導をして、責任をきっちり全うした彼女があったのだと思います。
こちらが 今の仕事を立ち上げてからも しばらくの間は 手紙のやり取りなどあったのですが、あまりに いつまでも 指導者面をするのも どうなのかな と おもい、こちらへ移ったときから、あえて 連絡しなくなりました。
縁があれば また きっと 会えますし、つながっていたほうがよいのなら きっと そうなります。だから もう すっかり 大きくなった子供たちのお母さんでもある彼女に、あの頃のような干渉はしません。
(タコ氏などは きっと こういうことを言うと、連絡してみれば?なんて いうんです・・。
まだまだ そのあたり、若いんですよね、しっかり おじさんになりつつありますけれど。)
結婚します、結婚しました、子供が生まれました、二人目です・・ 何通も何通も そんな手紙や葉書が 残っていました。
嫌なことや 辛いことも きっと 沢山あったでしょう 彼女たち。
それでも ばったり 道で会えば 必ず 声を掛けてくれて、会えたことを喜んで暮れる彼女たち。
元気でね、・・ ほんとに ただ それだけを願います。
私と一緒にいたときは いいことばかりじゃなかったはず。 大変な時も いっしょに頑張ってくれた彼女たちだから、ちょっとやそっとのことでは へこたれたり 落ち込んだりなんかしないはずです。
もし いま 何かがうまくいっていなくても、彼女たちには そんなものを跳ね除け 乗り越えていける力があるはずです。(ちゃんと そのくらいは つけておきましたから。。^^v)
元気で、一日に 一度は 笑顔でいてください。笑顔でいようと していてほしいです。
お互い、沢山のお客様たちにも恵まれ、一緒に働いた人たちにも恵まれて、こちらからは ずいぶんと きついことやうるさいことも言い続けてきたにもかかわらず、懐かしがってくれた彼女達が、どうか 元気で 幸いでありますようにと・・
秋ですねー・・ そんなことを、思った 手紙の束でした。
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