2 落ち込み A
秋らしく 風もない穏やかな夕暮れ。
目の前の小山の木々も 緑の物も だいぶくすみガ入り、水気を失ったものたちは、日ごとに赤みを帯びた茶色に移ろっていく。
夕べは ちょっとしたことがあって、自棄酒と言うのをやってみた。・・のだが、
だからといって 何がどうもなるわけでもなく、おそらく 自棄酒すると発散できて ちょっとは 状態良くなるかも なんて そんな錯覚?があったのだが、ぜーんぜん そんなのなくて・・
やっぱり 鬱々とした 相変わらずの自分がいる。
思い当たることは 山ほどあって・・、だけど そのどれひとつとっても 自分ひとりでは どうしようもないことばかりで、だけど 結構 自分って 誰にも言えないんだなーと、つまり そんなことに気づいてしまった というのが、夕べの発端のような気がしている。
まぁ 確かなことではないのだけれど、多分、今までだったら こういうときは 恩師のところへ行ったな・・と 思うけれど、すでに 帰天された方に会うすべを知らず・・、で こうして 鬱々としまくるしかないというのは、もう 重々承知の上。
ひとつ、思い当たったことの最たるものに、どうも 自分がいい人をやり続けていることに くたびれてきている というのが有るように思ったのだが、こういうと どれほど良い人なのかと 思われてしまうので、誤解のないよう説明すると・・
ノー と 言えない人、ではあるのだな・・ 自分は、と いまさらにして思うのだ。
いや、言えることは言える、言おうと思えば、穏やかに 申し訳ないけれど・・と 言うことは出来るのだけれど、それは たとえば 技術的に無理とか、それをすることで相手を不具合な状態にしてしまうとか、OKすることで はっきり 他に迷惑や混乱の波及が行くというような、ごく当たり前に それとこれのかかわりがはっきりしていて、だから ここで断らないと 大変なことになる というような、そういうことに対しては、自分でも恐ろしいくらいにはっきりと 出来ません と言い切ってしまえるのだが・・
そうでないこと、どっちでもいいような、まぁ やれるからやるかな とか、できないことはないし・・とか、つまり 相手の要求度の方が こっちの気持ちを超えているような場合、つまり「気分的に載らない」という じつに簡単な理由では 断れないのだ・・ ということに気づいてしまった・・のだ。
そして それを 今、困ったなーというくらいに 抱えてしまっていて、でも ノーと言えないので、本気で やだやだ と 言っているのに、長いこと その調子でやってきてしまったから、回りは そのやだやだといいながらもやってしまっている自分を いつものこと、としてしか見ないので、たいして やだやだとおもっていないと思ってくれている・・のだと思う。
そうは言うけれど でも結局やってくれる人 と 思われてるなー ということだ。
ほんとに すんげー やなのに・・ と ぶちぶち言ったところで、だけど やっぱり 結局 自分は やってしまうのだ・・! ここが なぞ。
いい人で いたいんだろうなー と 自分のことを 思ってみているが・・、いいのか?
いまさら いい人やっても と おもうんだけど、この調子で 自意識がなくなるまで生きていくのかなー と 思ったら、なんか もんのすごーく むなしくなって・・しまったのだ。
そうおもったら、目の前で せんべいを 盛大な音を立てて かじっているタコ氏とせんべいのにおいに、やたらむかついてしょうがない。
(こういうのを とばっちり っていうんだろうな)
「いまさら」 と 「そうおもったら」の間に 何の関係が有るんだろうか・・?自問。
こういうときに 相談と言うほどでもないけれど、ちょっと話に行ける人が居るというのは、本当に すごくラッキーなことなんだ と 心底感じている。
自分は そういう人を失っても、しばらくこれということもなく 過ごせていたのに、今になって・・ 恩師が逝って 3年以上も経って、ようやく ああ、こまったなぁ・・ と 本気でおもったりするのだ。。
でもね、大人だし・・ そ、大人だし・・ ね
だから 何とかしなくちゃいけないのだ、一人で。だって それが 大人だから。
・・と 今 ようやく思えるようになりました。
祈らなくては、と 思っている。 自分を 拾い上げてやらなければ、だれも やってくれないんだから。 ちゃんと 大人になろう と 半世紀以上もすぎて ようやく 思う自分が、なんとも 哀しい・・ 秋ではあります・・