Aurea Ovis

きょうは『金羊日』

2009年7月

1  きょうは「ごろ曜日」

2 戴きます!

3 あめよー!

1  きょうは「ごろ曜日」

 どうも 調子が良くない。

 最近 ひどい霧の日が何日かあったが、そのあたりから なんとなく 体が重だるいようなときが増えてきていて、気温や湿気の具合で ずいぶんと 体調の良し悪しが違うようになっている。

 もともと 夏は もっとも体調を崩しやすい時季とわかっているので、自分なりに気をつけてはいるのだけれど、湿気だの気温だのは 部屋に篭って エアコンででも調節すればよいこととは思うものの、なにしろ そのエアコンと すこぶる相性が悪いので、結局 どうしても ということがないときは ごろごろしているようになっている。

 あるそろそろ100歳になろうという方は、毎日 お食事がおいしいということで あまり好き嫌いもなく 召し上がっておいでで それなりにお元気だとのこと。
 その方は、お若いころは 数度の手術をなさって そのたびに 大変な思いをなさったということだけれど、とにかく それがあったために、ちょっと 疲れると すぐ「私は弱いから」といって 横になるのが習慣だったとか。

 「私たちだって そう出来ればいいわよね。だけど 女の人って ちょっとくらい 頭が痛かったり、具合が良くないからって 毎日のことを ほうっておいて 寝てばかりというわけには 行かないじゃない?どうしてもっていうこと以外は なんとか 頑張って やっちゃうわよね。
  それを できるから元気なんだとか だいじょうぶなんだとか言う人もいるけれど、だって 寝ていたら 家の中からなにから 大変なことになっちゃて、結局 その後始末は、寝ていた自分にきちゃうんだから、やっぱり 何かのたびに 寝てばかりというわけには いかないわよね。」

 ・・と、お世話なさる方は おっしゃる。  はい 本当に その通りですよ。

 子供達が小さいときなどは 特に、何かを言いつけて そのようにできるでもなし、本人たちに気持ちはあっても、なにかするたびに 汚れ物が増えたり、ものが溢れたり・・ ソレを知りながら やっぱり いつまでも あちこち痛いから 調子が悪いから といって、寝たままというわけには行かなかった・・。これは 思い当たる方 多くおいでのことと思う。

 仕事を持っていれば、回りにかかる迷惑や 引き受けていることへの責任を思い、せっせと薬を飲んで、かなり 無茶なことをしつつも こなしてしまったりもした。

 今、子供たちの手も離れ、連れ合い氏だけのことに関わずらわっていればいいということにはなったけれど、これがまた、今まで 家のことなど 何一つやってこなかった・・!という人だったので、一緒になった当初は よく 遠藤の不満が ずっしりとしたGとなって 部屋いっぱいなったこともあったが・・、

 たびたびのお仕込みにより、今は 電話一本で お米をとぎ、たまに 夕食の支度や 後片付けの手伝いをするようにもなりはしたものの、世の男子厨房に入らずタイプの方については、お連れ合い方のご苦労が ほんとに偲ばれる。

 当方の長男も次男も、料理は結構好きだし上手。次男など 魚を三枚におろすなんて、親の出来ないことも ささっとやってのけてしまうし、長男も 遠藤が風邪を引いたときなど、冷蔵庫をちょっと見て、あっというまに 食べやすい食事を作って 置いていくようなこともする。

 男女に関わらず、食べることは 生きることの基本と思えば、いかに おいしく、体に、口に喜べるものを その食材に合った生かし方で食べるかという、そんな楽しみを持てれば、自分だけでなく 人様のためにも役立つし、また 毎日を楽しく過ごせようというもの。

 人の親ともなれば、まずは 基本の料理くらい、自分の子供たちに教え込むのが のちのち 本人のため、そしてまた その連れ合いのためにも いちばん幸いなことだろう と 考える次第である。

 ・・ えーっと 話を もとにもどして・・

 そう、調子が悪いといっては 今日もごろごろしていた・・

エンドー。

 つまり この分だと やっぱり 自分は 150歳まで いきちゃうのかなー
(以前 仕事場で一緒だった若い人たちから たまに そういうことを言われていました。) 

  そうなったら どうしよう。知ってる人なんて だーれもいないし、自由に動き回ることも出来ないし、自分で何をやってるかもわからないで、それで 年ばかり取ってしまっているって状態なんだろうなー・・やだなー、 
  なんてことを、頭の隅っこでおもいながら・・ やっぱり ごろごろしていたのでした。

 強い湿気をともなう気候は だれにとっても 気持ちの良いものではないだろうが、とくに お具合のよろしくない方たちには お辛いことだろう。

 どうか くれぐれも お大事! と お見舞い申します。

 今は まだ なんでもない方たちも どうぞ お気をつけください。   では 御元気で!

 

 

2  戴きます!

 この頃は 大分 明るくなって来ているので、夜も7時くらいにならないと 暗くならない。
 (これが 冬場などは 5時というと もう真っ暗になってしまう。)

 出かけて戻ってくると(近頃では 薄明かりを残したような時間の道を歩いて戻るのだが)、そろそろ 遠くにも 近くにも 家々に灯りがついて、それぞれの家の前を通るたびに、味噌汁の匂いやカレーの匂い、焼き魚などのおいしい匂いが 次々に流れてくる。

 そして、台所で調理している人と たぶん テーブルのあたりか隣の部屋くらいになるのだろうか、少し離れたところの人との他愛ないやり取りの数言が 通りすがりに耳に入ったりすると、なぜか ほっとする。

 この、ひとつひとつの灯りの下に、人がいる。それも たぶん 家族といえるような 数人の人たちがいて、これから 囲むであろう 食卓に 次々並ぶ料理を 一緒に食べるだろうことを想像するのは、自分にとっては ちょっと しみじみすることなのだ。

 歩きながら 道沿いの家々のあれこれを 通り過ぎて行く・・。

 テラコッタ色の屋根の家では、子供が泣いている。夕暮れ時の子供は 人恋しくなるのだというが、きっと 回りが 食事の時間にあわせて なんとなく ざわつくのを察知して、自分が ちょっとの間、相手にしてもらえなくなることに気付くのかもしれない。自分に向けられる視線の減ることのないように、一生懸命 存在を主張したくなるのだろう。

 青いスペイン瓦の家では、小さな子供が まとわりつくのか、母親のとがった声が 響いてくる。 台所は危ないし、急いでいるときには 耳に声は届いても その内容を満足させるような返事は ちょっとのあいだ 後回しになる。 
 子供も たぶん わかっているのだろうだけれど、それでも やっぱり ちゃんと こっちを見てほしいと 思ってしまうのではないだろうか。

 通りに面して台所のある ペパーミントグリーンの家からは、なにかを手伝っているのだろうか、少女の声が 母親を呼んでいる。うまくいかなかったらしく 不機嫌になりつつある娘の声に、予定変更の指示を出し、母親は手順を説明する・・。

 三階建ての四角い家の黒いドアが開けられ、ただいまー の声がする。開いたドアから おいしそうな匂いが漂ってくる。ばたばたと階段を駆け下りる小さな足音。犬がせわしくほえている・・。

 どこかの家の食事が整ったことを知らせる声に、裏返ったような少年の声が 面倒くさそうに返事する。

 そんな それぞれの家の日常繰り返される ささやかな幸福の一端に ほんのちょっとだけ触れることが出来ると、なぜか とても よかったな・・と おもってしまうのだ。

 この 一つ一つの家々の灯りの下に、数人の人たちが 食事を囲むことが出来ている ということを考えるとき、その恵まれた日々を 彼らに代わって 感謝しよう。

 きっと 誰でもが それを 当たり前と思う、三度の食事。その時間。
だけど どれほどの者達が その幸福をかみしめ 感謝することだろう。
 
たくさんの命と労力、手間と時間、その全てが 「自分」が明日も生きるために 供されているということを、一体 どれほどの者達が 毎度 食事のたびに 思うだろうか・・。

 夕食時、道に溢れる 家々の灯りと様々な食卓を想像できる匂い、そして 交わされる会話を 通り過ぎながら、さて 今日は 何にしようかな と 自分の台所へ戻っていく。

 食事を作りながら、食事しながら、それが 突然 とてつもなく ありがたいことに思えてきて、そういう食事を用意できることを感謝すれば、「おいしい食事を作ってくれてありがとう」 という返事があり・・、だから 私たちは「戴きます!」と 感謝し、「ご馳走様でした!」と 再び感謝するのだ。

 この幸いが いつまで続くのかは 誰も分からない。だけど この世の物事には 必ず終わりがあるのだから、きっと こうした「当たり前」も いつかは 個人レベルではなく、国レベルで あるいは民族レベル、そしてまた 生き物というレベルで・・、失うこともあることを、どこかで 認識しておくべきだろう と 思っている。

 おいしい食事を作ろうと思う。それも できるだけおいしく戴こうと思う。せっかくの食材、決して無駄には出来ないし、すっかり骨身にしなくては、戴く価値もなくなろうというもの。

 かくして、料理の上達は 必然となるのである。・・なんて ね。 (でも これは本当!)

 

3  あめよー!  

天気概況
平成21年7月27日09時21分 横浜地方気象台発表

神奈川県ではこれから27日夜遅くにかけて雷の発生する恐れがあります。また、東部と西湘では27日昼前にかけて、濃い霧のため所々で見通しが悪い見込みです。落雷、突風、降ひょう、急な強い雨、視程障害に注意して下さい。

落雷、突風、降ひょう、急な強い雨、視程障害・・ うーん すごいぞ! 
これ みんな 一度に来たら、それはそれで なんか 超スペクタクルっぽくて いいかも・??なんて。 不謹慎野郎ですなー。)

・・ しかし、いまも 不穏な雲行き。
エステの後は タオルがいっぱい・・。どうしても 洗濯は免れない、というか 後にしたくない。さっさと さっぱりさせたい。

そう、乾燥機って手もあるけれど、自分には どーしても!お日様で乾かすのが洗濯の常道と決まりがあって・・。

 洗濯物は「お日様の”にこにこ”」+「風さんのお手伝い」で乾くもの 
なのであります。

あー でも、危なそうだなー・・ いれた方がいいかなー、どーしよーかなー・・

ま、でも そんなに気にして 表ばかり見ていなくても ここは いいんですねー。

な・ぜ・か? 

ちょっと 降ってくる → ”一軒先のおばあちゃん”登場 → あめよー!
→ エンドー、あわてて取り込む・・ という こういう図式になっておりますので。

それまでは 安心して やってることを 続けていて良い ということになってます。ま おばあちゃんが おうちにいてくれるときだけではありますけれど。
  (これからも ずっと”おばあちゃん”が 元気でいてくれることを 願って止みません。

それにしても いつになったら このじめじめしっとりがおわるんでしょうねー・??

お肌には 悪くはないのですが、洗濯物が ぱりっぱりにかわいてほしーエンドーは、もう そろそろ 我慢の限界点付近にまで 行き着きつつあるのですが・・、さて どーしたものか。

・・と、そっちは 悩み考え込むのも そこまでにしましょう。
先のない悩み方が出来ないので 自分は、行き着くところまで 行ったと思ったら、とりあえず 一旦 打ち切り ということにしています。

で、目下の新たな悩みは コレまで経験したことのない、霧による 体調変化。

年のせいか・・
(いいですねー こういう言い方、なんでもこれで おっけーになっちゃいますからねー。あと 更年期だから♪ これもいい言い訳です♪実際は あまり 実感できてはいないんですけど、一般的なその年齢層に組み込まれている自分ですのでね。)
霧のような 細かい水粒がいっぱいの時に表に出るようなことがあると、だれでもおなじですけれど、全身 しめっぽくなりますよね。どうも それがよくないみたいで、やたら でかけたあとが だるかったりして くたびれるんですよねー。

もともと しめっぱいことは 好きじゃないんですが、実際にしめっぽいのも 堪えられなくなってしまったみたいな・・? なんて 感じではあります。

でも ま これも 一応 悩み倒してみれば なにか 道が開ける?のかも なんて。

はー・・ しかし、人間 日々 悩みの中に いきていますなぁ・・

この数週間、何ナノ一体?というくらい 日々 新たな出来事が勃発し続けていて、なんだか そればかりが 追っかけてくるような、そんな風なのですが、うーん・・・ これも これほど 次々出来上がってきてくれてしまうと、なんか 悩む間も与えられていないような・・、つまり その場しのぎが常套手段になんか なっちゃってて・・、

いやいや それでも 十分対処にはなっているとは思いますけどね。
まぁ それも 生きているからこそ であって ね。

ほんと こういうことが いくつもたびたび続くと あー 人間がいきるって こういうことなのねー なんて。

だけど そういうことにも ちゃんと あの”おばあちゃん”みたいなお知らせが あるものなんだなー なんて 最近 おもったりしています。

どんなになっても きっと そのお知らせ、無くなることはないんだろうなー と。それは、なぜかといえば、やっぱり いちいち 悩むことをやめないでいる(堂々巡りのしょうもない悩み方とかであっても ね。)という ある意味での誠実さに 答えてくれる何かがあるからなんだと 自分では 思うのです。

 お、ちょーっと 明るいかな?? 
まぁ しばしのことではありましょうが、でも ほんのちょっとのお日様も ありがたいですものね。ほら これだけでも ちょっと 嬉しかったりして・・♪

じゃあ きっと 今 "一軒先のおばあちゃん”は お茶を入れて お十時ですね。
では 私も お相伴に あずかりましょうっと ^^v

 

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