10月のお話  かみなが姫

 


 ずっと昔、
奈良に都のあったころ。

 ある海辺に 小さな村がありました。その村長夫婦には、長いこと子供がありませんでしたが、それでも 子供を腕に抱くことを願い続けていたところ、女房が40を過ぎたころに、ようやく ひとりのかわいい女の子を授かることができました。

 ほんとうに かわいらしい子供で、誰が見ても 微笑まずにはいられないほどだったのですが、どうしたことか いくらたっても その子供の頭には 一本の髪の毛も生えませんでした。

 両親は、どれほど心配し、どれほど悩んだことでしょう。とくに母親は、自分の何かが良くないために、この子に髪の毛がないのではないか と 心に苦しく思い、どうか 娘に髪の毛をおあたえください、そのために 自分に出来ることを教えてください と 朝に晩に 観音様におねがいしておりました。

 

 そのころ、海は たびたび荒れることがあり、その月の海は 特に ひどく荒れたので、村人たちは 何日も 船を出すことも出来ずにいました。

 このままでは、みんな この村を捨てなくてはならなくなる と 漁師の一人が 荒れる海に 無理に船を漕ぎ出していきましたが、大波が次々に押し寄せて、船はもみくちゃにされ、男は青息吐息で 浜に戻ってきました。

 ようやく一息ついた男は、荒れる波の中、船の縁にしがみついていたとき、海の底の岩の間に、金色の光を見た、と言いました。

 皆は顔を見合わせて、きっとそれが海が荒れる原因に違いない と言い合ったのですが、だからといって その金色に光るものが何であるかを確かめてこよう という者は ひとりもおりませんでした。

 その時、騒ぎを少しはなれたところで見守っていた長の女房は、心を強くして 皆に言いました。

 「私が行ってみてきましょう。私が その金色に光るものがなんなのか、探ってきます。」
  しかし、いくら海に慣れているといっても、女が そんなことをしては・・と 回りは 一生懸命 なだめにかかりました。すると 女房は言いました。

 「行かせてください。年を取って 観音様のおかげでようやく授かった子というのに、なぜか一本の髪の毛も生えない娘が憐れでなりません。ずいぶんと願った後に ようやく授かった子供です。でも このうえまたさらに お願い事では あまりに図々しく思います。それでも、どうしても 娘の髪を戴きたいので、この命と引き換えに その願いをかなえていただけきたく思っているのです。」

 女房の必死の願いに、皆は 何も言うことが出来ませんでした。しかし、それなら 朝になったら自分が行ってくるから、と 長が女房に言い聞かせ、皆は ひとまず浜辺を離れて それぞれの家に戻っていきました。

 

 その夜更け、強い風に 波しぶきが雨のように降りかかる暗い浜辺に、一人の女が立っていました。

 あの女房は 髪を後ろで一つにまとめてしっかりと結び、観音様に どうか お力をお貸しください と 願って、小さな小船で 壁のようにそそり立つ波も怖れずに、沖へ漕ぎ出しました。

 真っ暗闇の中の 絶えず吹き付ける強い風や 次々に襲ってくる大きな波は 言葉にいえないほどに恐ろしいばかり。それでも 女房は 一生懸命 大きな声でお経を唱えながら、力の限りに櫓を操り、とうとう 海の底に金色に光るものの見えるところまでたどりつきました。

 確かに 暗闇の中に ちいさく金色に光るものが 見えます。女房は 意を決して飛び込み、金色のものを目指して、どんどん 深く 潜っていきました。

 ようやく 岩の間に光るものの近くにきたので、手を伸ばしてそれをつかんだ・・ と 思ったとたん、女房は ふっと 意識が遠くなってしまいました。

 

 翌朝、 海は 本当に 久しぶりに 静かに凪いで、柔らかな朝の光に溢れていました。

 目が覚めて、女房が居ないことに気付いた長が あわてて浜辺に走っていくのを見て、村の皆も 急いで浜辺にでてきました。
 そして、浜辺に倒れている ずぶぬれの女房を見つけたので、皆で介抱すると、女房は 息を吹き返し、そして いいました。

 「私は、一生懸命、観音様にお力添えを願って 荒海に漕ぎ出して海に潜り、ようやくあの金に光るものに手が届いたところで、気を失ってしまいました。それが 一体なんだったのか 確かめることもできないうちに・・!」と さめざめと泣きました。

 皆が なんと言って慰めてよいものやら 胸の詰まる思いで 互いに顔を見合わせるばかり。しかし、その時、激しく身をよじって泣き伏した女房の束ねた髪から、ポトリと何かが落ちました。

 それは 観音様の彫り物のある 小さな金の櫛でした。
では これが 海の底で光っていたのか、それでは、観音様が 女房をお守りくださったのではないか と 皆で その櫛を押し頂いて拝みました。

 

 その晩、女房の枕元に 慈悲深いお姿の観音様がお立ちになり、女房にこうおっしゃいました。

 「荒海も恐れずに 娘のために 命を懸けて 櫛を取りに行ったお前の信心に報いよう。これから 毎日、娘の頭にこの櫛を当てて なでなさい。」 

 観音様に言われたとおり、その日から 小さな娘の頭を 金の櫛でなで続けたところ、数日後に 子供の頭には 柔らかな産毛が生えはじめました。

 女房は 娘の髪を 毎日丁寧にすいてやり、娘の髪は 少しずつ伸びていきました。そして ますます愛らしく育っていったのです。

 数年たって、娘が年頃になるころには、娘の髪は 身の丈よりも長く、美しく豊かに輝く黒髪となり、皆は 娘を『かみなが姫』と 呼ぶようになりました。

 姫がくしけずった時に 抜け落ちた髪の毛でさえも あまりに美しいので、たまさか ソレを拾い上げた人などは、姫の美しさを写したようだ と言い、大事に取っておく人もあったほどでした。

 

 ところで、そのころ 都には 右大臣に藤原不比等という人がいました。
ある朝、不比等が 出かけるとき、門の上に巣をかけているツバメの巣から、朝日に きらきらと光るものがあるのに気づき、そっと引っ張ってみたところ、それは 美しい艶めく一筋の黒髪でした。
 「なんという見事な髪の毛だろう。このような髪であるからには さぞかし美しい姫君であろう。」

 そして、不比等は いそいで使いのものを呼び集め、皆で ツバメの道を逆にたどって、その黒髪の主を見つけて 連れてくるように と 言いつけました。

 使いの者たちは 長い旅をしてたずね回り、ようよう かみなが姫にめぐり合い、携えてきた 右大臣様からの手紙を 村の長夫婦に読み上げました。
 村長の夫婦は、大変驚き、どうしたことかと思いましたが、娘の幸せになる なんともありがたいこと と 急いで支度を整え、娘を都へ送り出しました。

 初めて村を後にしたかみなが姫は、心細さに胸がつぶれる思いでしたが、母親が、必ず身につけておいで と手渡された あの金の櫛の観音様に祈り、無事に 都にたどり着くことができました。

 美しいかみなが姫を見た 藤原不比等は大層驚き喜んで、すぐに自分の養女に迎えると、さっそく 帝に 引き合わせることにしました。

 帝は かみなが姫を一目見て とても気に入られ、おそば近くにお置きになりました。そして、それからしばらくして かみなが姫は 帝のお子を産みました。

 二人は 仲睦まじくありましたが、どうしたことか、姫は ときどき 空を眺めては ため息をつき、時に 涙を浮かべることがありました。

 帝は それをごらんになって、姫の思いをお問いになったところ、姫は 懐から母親にもらった金の櫛を出して、帝にお見せし、その櫛について 母親の話してくれたことを 帝に申し上げました。そして 自分ばかりが こんなに幸せで、両親や村の人たちは どうしているかと思うと 心が晴れることが無い といいました。

 帝は、姫の話しと思いに 大変心を動かされ、それでは と 姫の郷のある紀伊の国(和歌山県)の国司であった紀道成に、郷近くのよい場所に 寺を建てることを お命じになりました。

  道成は 命を受けて、高名な仏師に 立派な仏像を作らせ、それを納めることにしましたが、その仕事の最中に 事故のために 亡くなってしまいました。 そこで そのお寺を「道成寺」と名づけ、村の者たちだけでなく 近隣の人たちもお参りするようになり、村は 盛んになっていった ということです。

 かみなが姫は その後、生まれ故郷に 年老いた両親たちをたずねることを許されますが、数日の後 また都に戻り、その後は そこで 一生を終えたということです。



 
  さて、このお話は ご存知でしたか?

 実は このお話を思いだしたのは、今月のひつじ小屋だよりにも書きました、葉山の近代美術館のミュージアムショップでみつけた 「かみなが姫」の本を見たからなのですね。

 秋野不矩さんの挿絵というので、ぱらぱらとめくっていたところ、ツバメの巣の場面があり、そこから ふわーっと 一気に 昔読んだお話が 思い出されました。

 どんなお話だったかなぁ・・ と その本を 立ち読みして、買わずにもどってきたのですが、ざっと こんな感じかしら という そんな調子で 書きました。

 今回 藤原不比等 とか 道成寺 とか 紀道成などという固有名詞を 改めて覚えたのですが、では 実話に近いのか と 調べましたところ、どうやら そのようでした。

 かみなが姫は 藤原不比等の養女となって「宮子」と名づけられ、文武天皇の寵愛を受けて、後の 聖武天皇を産んだ と言うことです。

 先のお話には 書きませんでしたが、長いこと 宮中では 低い身分にもかかわらず 帝の寵愛を受けて 子までもうけたということで、大分 肩身の狭い思いがあったらしいことが思われるような箇所もありました。
  故郷が恋しくて と その鬱々とした心を書いた文もありましたが、実は それゆえの居づらさ、居にくさ・・ そんなものもあったように思われました。

 帝と一緒に 旅行がてら、故郷の海辺の村近くに行き、そこを訪ねてきた両親と最後の再会を果たした宮子は 帝と一緒に また 都に戻ります。
 そして 実の子を 自分の手で育てることも叶わないまま(当時のそういう人たちには よくあったようですが・・)高齢になってから、ようやく 大人になった息子と初めて対面する などという・・ なんとも 哀れなこともあったようでした。

 そうそう、お話の中に出てくる 金の櫛 ですが、これは 実は 金の小さな仏像 ということで、それを 奉るためのお寺が「道成寺」というのが真相のようなのですが、ここは 秋野不矩さんの挿絵のあるお話に近づけて 金の櫛 とし、おまけをつけて 仏像の彫り物も書いてしまいました。

 ・・しかし・・、髪の毛 大事ですから。女性でなくても。
そして、子供に何かあったときには 親というのは みな そんな風に思うものでもありますのですから・・、あの母親の気持ちは よくわかります。

 余談ですが・・ うちの3人の娘たちの二人は、赤ん坊のころ 本当に 毛が薄くて 少なくて・・ 女の子なのにどうしよう と 結構 真剣に悩んでいたことがありました。が やはり 時がたつにつれて わずらわしいくらいにつやつやと 健康そうな髪の毛になり、そして又、時がたつにつれて反比例している 色艶失せ、細く 腰の失せつつある髪になった当の親は、毎朝 その現実と向き合っては ため息をついています。 年は取りたくないですねー・・

 かみなが姫さん、さて 幸せだったのでしょうか。
 
 あなたは どう おもいますか?

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