Aurea Ovis

きょうは『金羊日』

2011年 6月

 

1 原発事故から学ぶこと

2 タコ氏の散髪

 

 

1 原発事故から学ぶこと

 不要な物を排出しないクリーンエネルギーを作る原子力発電所 なんて 聞こえはいいけど、やっぱり 脆く、危うい 毒のあるものということが、あの地震以来100日の間に、ぼろぼろと いろいろなほころびが露呈されることで わかってきている。

 これだけ あらゆる方面で、その危険性や後々にまで影響を及ぼす害やらが ほとんど 明白といえるほどに わかって来ていると言うのに、それでも なお、原発は必要だ という人々がいるというのが、自分には どうにも 理解しがたい。

 原発がなくなることで、経済や景気の低迷、生活の広範囲は不便などを危惧する声も聞こえてくるが・・

 たとえば、これが通常 ということが、今日から 突然、そうすることができなくなったとしたら・・?

 自分は どうするだろうか、多分 当初は、おろおろするだろうけれど、そのうち そうじゃない毎日に なんとなく 慣れてしまうだろうな と思う。

 電気が足りないのなら、足りない中で できることを するだけだし・・、食料に 不足がでてきたとしても、それを求めても 得られないということであれば、もう しょうがない、それなしで過ごすしかないし、そうせざるを得ないだろう。

 人って そういうものじゃないんだろうか?これまでも そんな風だったことは いくらもあったとおもうが・・。

 今の状態が維持できない、あるいは すっかり変わってしまう、などと言うことになったとしても、人は はじめは 騒いだり 困ったりするとしても、結局 現状に合わせて生きていくしかないのだから、そうやって 生きてしまうものだ。

 だから、電力の不足による 経済の不調、低迷、不活性化が起こったとしても、おそらくは 当初の混乱時期をすぎてしまえば、あとは もう それはそれなり となっていき、そこからは これまでとは違う形での 経済発展なり 景気の高揚なりがはじまるだろうことは、これまでの歴史を振り返ってみれば、わかることでもあり、また 過去から学べる 希望を持てることなのだと思う。

 人が生活するということは 本来 想像的なことだ。
先の人たちに 教えられてできていることに、その人なりの工夫ややり方が加わって、その人の日常が創られていくものだし、事実、今 どんな人も そうやって 生活している。

 足りないもの、足りないことを どうやって 不足を感じないでいられるようにするか、と あれこれ工夫するのは 大変だけど、結構 面白いことを思いついたりするものだし、そんなことについて 身内や友人と話し合ったりしていると、すごいアイデアなんかに出会ったりすることだろう。

 どんなことも、おもしろがって 楽しもうとする気持ちがあれば、人は 結構 どうしようもない なんてことすら、気がつけば乗り越えてしまっていたりするように、自分は 思っているので、
  だから、まだ そうなっていない先について、あれこれ 心配しないで、そのときがきたら そのときを、いかにして 過ごすかを考えるようにしたいものだ と 思うのだ。

 もちろん、だからと言って、そうなっていくことになる因みを、しょうがないこと とだけで済ませてはならないと思っているのだが。

 つまり、原発事故の原因の究明をあいまいにしたままにせず、本当に 悪かったことは 何なのか、一体 今回の原発事故の実際とは どういうことだったのか を、この事故に 直接的、間接的に関わった人々が・・ つまり 原発事故が起こったときに生きていた この国の人間たち全てが、すっかり 知るべきなのだと おもうのだ。

 近い過去に起こった スリーマイル島やチュルノブイリなどでの原発事故と 今回の福島原発の事故との原因や経緯、それに関わった人達の関わり方や対処の仕方などなどにおいての、違いや似た部分などを 丹念に検証することで、見えてくるものは大きく、今後 二度とおなじことを起こさない為に、非常に重要なものになるだろうことは、素人の自分が考えても 想像に難くない。

 御すだけの力のない者が、荒馬を無理に、あるいは意地になって御そうとするようなことをして、将来に及ぶ大怪我をしただけではなく、その馬まで駄目にし 使い物にならなくしたようなのが、原発事故 といえるだろう。

 過去に 幾度かの 似たような経験をしているにもかかわらず、また 同じ愚かな、そして 自分たちだけではすまずに すべての今 この地球上に生きている人々を含む生き物に、とんでもなく ひどい悪影響、害を与えてしまったのだ ということを、まずは 直接に事故になった原因を作った人々、その原因に対して適切な対処をしてこなかった人達、そして、それに関わる全てを 長い間 知っていながら甘く見続け、何も知らされなかった人達から吸い上げる汁のほとんどを 懐にせしめていた者たちが、何をおいても 一番に 認めなくてはならないことだ。

 そして、私たちは、どんなことをしても、何がどうであっても、今後、決して、未熟な力のまま、荒ぶる馬を力づくで 無策のまま 思うようにしようなどと 考えないこと。
 それが、 どんなに 愚かしく、怖ろしいことかを、とことん 知っておく必要があり、それを肝に銘ずるべきだ と おもうのだ。

 

 

2 タコ氏の散髪

  タコ氏といっしょになってから、ほんの数回、床屋に行ったことを除いて、あとは ほとんど、これまで 遠藤がタコ氏の髪を切ってきた。

 別に それが好きなわけでもないし、もちろん特技なんかでもないので、いつでも 同じような形にしかならなくて、だから 微妙に 不ぞろいで・・、という まさに素人の髪きりではある。

 元来、外見を気にするということについては、ごくわずかの意識しか持ち合わせないタコ氏なので 仕上がりについても これといって 気にするでもない。

 たとえば 出来を云々されてしまうと、素人の自分などは、怒っていじけて 二度とやるものか と おもってしまうのだが、そんな風に 何を言うでもないことで、何年もの間 続けてこられたのだろうとは おもっている。

 これまでは 肩まで伸びてしまうことも なかったのだけれど、今回は、肩を越すほどにまで のびてしまっていた。

 のびてきたな と 思った頃から、みているだけでも うざいので、切りに行くよう、なんども言ったのだけれど、うん うんと 生返事ばかりで 一向 出向くようすもないまま、今日にいたってしまった。

 この うんざりするほどの暑さの中、なにしろ 量の多さでは びっくりするほどの髪を 地道に ちょきちょきやる気になんて、ぜーんぜん ならないのだけれど、目の前で いつまでも 長い髪を 暑いところで ばさばさやられるのは、とにかく やたらに 暑苦しくてかなわず・・

 で、とうとう、 いやでしょうがないんだけれど、仕方なしに「切ってやる」ことにした。

 自分の場合なら 量なんか かわいそうなくらいにしかないので、ぎゅっとまとめて ばっさり切れば それで 終わってしまうのだけれど、なんだって こんなに なんのためにあるんだか・・ と 嘆きたくなるほどの 毛の多いタコ氏・・、かれこれ 30分くらいかけて ようやく仕上げれば、本人は すっきりさっぱり、反して こちらは 汗はびっしょり、腰も痛いという、なんとも おもしろくない気分でおわった。

 それでも、これからしばらくは多分、夏の暑いさなか、暑苦しい様子を 目の前にすることもなくなったのだから、これはこれで、とりあえず よしとしよう。

 ゴミ箱いっぱいに 黒々とした髪の毛が もっさりと溜まっているのを見るたびに、これを 何かできないものだろうか・・ などと おもってしまうのだが、売れるほどの見目麗しい髪でも 役立つほどの長さでもないので、結局 毎度毎度、何かにできないかなーと 思いつつ、やっぱり ただ 捨てるばかりではある。

 幼い頃は、源氏物語の若紫のようだと 子供の頃に亡くなった母方の祖母が褒めて喜んでくれたほどのつややかな黒髪だった我が髪は、病気を経てからは、まず 色が浅くなり、全体の量がとにかく減って、一本一本がとても 細く弱くなってしまい、後に 健康を取り戻してからも、多少の回復は見られたものの、やはり もう今は 年齢的な衰えも重なって、かわいそうなくらいのさびしい毛量になってしまっている。

 そんな自分からみれば、まぁ 若さ故ということもあろうが、断然 タコ氏の、黒くて多くてつやのある、健康な髪の毛は とにかく うらやましい限りではある。

 ふと、そういえば、初めて タコ氏の髪を切ったのも、なかなか 切りに行かないことに 業を煮やして それならば、と はじめたんだったな、ということを 思い出した。

 そして、今回も 結局は 見ているこっちがイライラの頂点に達して、じゃあ 切るから!と なったのだったな・・と 今 思い出している。

 こっちの限界点が低いのか、あっちの気にしなさの点が とんでもなく高いのか、その辺は わからないが、なんとなく、こうするとこうなる式で こっちの出方を待っていたような・・ そんな気がしないでもない。

 なんか、、してやられた・・のか?? なんて いまさらのように 思ったりしているが、それでも まぁ、先にも書いたように 当分は 暑苦しい長い髪を目の前にすることもなくなったということで、とりあえず この件については 落着した と言うことにしよう・・ と おもう。

 

 

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