Aurea Ovis

きょうは『金羊日』

2011年 8月

 

1 ブリッジ マジック

2 夏休みの図書館にて

3 二つの会

4 あまりにも・・

5 一番怖いもの

 

1 ブリッジ マジック

 葉山 御用邸脇を通る 下山川。実家に行く時は いつも、そこにかかる下山橋の真ん中のバス停から バスに乗ります。

 橋が 海に流れ込む川をまたいでいるので、バスを待つ人達は、よく バスが来るまで 川の中を覗きこんだり、川であぞぶ 鴨や白鷺、烏やすずめ、つばめにとびに鳩などの鳥たちを見ながら 待っています。

 先日、いつものように バス停に向かって行くと、橋の欄干にもたれて、年配の女性と 若い男性が 仲良く寄り添い、川をながめながら あれこれ 指差したり 水の中を覗き込んだりして 話しこんでいました。

 なんだか ふたりとも とても楽しそうで、おばあちゃんと お孫さんかなー と 思いながら そばを通って 少し先のところで バスを待つことにしました。

 おばあちゃんは 孫息子に 何かを尋ねたり、知っていることを 話したりし、お孫ちゃんは おばあちゃんの話を うなずきながら聞いたり、自分からも いろいろな話をしたりして、二人の会話は ちょっとの間も 途切れることがありません。

 すごく 熱心に話しているなぁ・・と、ちょっと 聞くともなしに聞いていたのですが、二人とも 何かのたびに よく笑い、へ〜、とか ああ そうなんだー とか、ああ それはねー とか・・、そう会話している間も 二人のあいだには 隙間なんか 全然なくて、白髪頭の ちっちゃいおばあちゃんを 背の高いお孫ちゃんが 除きこむようにしていました。

 なかなか来ないバスを じりじりした太陽の下、日傘に隠れて待ちながらも、いいなぁ・・ あんなふうに いつか 自分も 孫たちと 話しができるようになるかなー なんて 思っていたら、ふと 二人は向き合って ちょっと 他人行儀な風になりました。

 「いろいろ 教えてくれて 有難う御座いました。」
「いいえー、私のほうこそ、思い込んでたことが 一杯だったわー。勉強になった。」
「僕、もう少し ここにいるし、来年も また 合宿で来ると思うんで、そしたら また 会えるといいですね。」
「そうねー。私は 一日一回は ここを通るから、そのうち また 会えるんじゃないかしらね。会えたらいいわね。」

 青年は・・ そう お孫ちゃんじゃなかった、青年は、日に焼けた顔一杯の笑顔になって、大きくうなずきながら 片手を上げて、くるりと振り向き、私の横をとおって 坂の上の、某大学ヨット部の合宿所に 向かっていきました。

 年配の女性・・ そう、おばあちゃんじゃなかった 年配の女性は、手提げ袋を 持ち直して、これも また くるりと向こうを向くと、すたすたと 角を曲がっていきました。

 二人とも 一度も振り返りませんでしたが、それぞれの背中を見ていた私には、二人が とても 満足そうなのが わかりました。

 背の高い青年を見上げて まぶしそうに 身振り手振りを加えてお話しする 年配の女性と、自分の胸くらいまでの背丈の 年配の女性に 体を傾けながら、一生懸命 話す若者の様子は、やっぱり 本当の おばあちゃんと孫のようだったので、見ていた人達は、一様に、それぞれが 別々の方向に じゃあ、といって 分かれていくのを ちょっと びっくりした風に 見ていましたが・・

 でも、そこにいた人達みんなが、なんだか とても 心地良い風を うれしく感じていたと思います。

 橋は、向こうとこちらをつなぐもの。
古くは 神と人とを結びつけ、あるいは あの世とこの世の渡らせになり、見知らぬ同士を 一瞬 見知った仲にする・・
  時どき 橋の上では そんな 素敵なことも あるようです。

 あの二人、また 会えているでしょうか・・  そうだといいですね・・

 

 

2 夏休みの図書館にて

  図書館での待ち合わせの間、たまたま手にした本を読もうと、ちかくの楕円テーブルの それはかわいらしく小さな椅子に 腰掛けた。

 そこは、子供達のためのスペースだったので、なにしろ 椅子もテーブルも低く、大人の自分が坐ると 少々 頼りないかんじも・・。

 楕円のそのテーブルには 濃い目の納戸色の円形スツールが、テーブルのまわりをかこむように 8個くらい並んでいて、自分の坐ったテーブルの 隣のテーブルには 3年生くらいの女の子が、本にかぶさるようにして 夢中になって読んでいた。

 彼女の邪魔をしないように と、こっちのテーブルについたのだが、しばらくすると 3人の小学校高学年と思われる男の子たちがやってきて、それぞれに 本を置いて、小声で 話し始めた。

 「どうするんだよ?」「いいよ、これでやってみようよ。」「まにあう?」「やるしかないだろう?時間無いんだから。」「どれでやる?」「これでいいんじゃないか?」「材料 たりないじゃん。」「うちにきいてみるよ。」「うちも兄貴が手伝ってくれるって言ってたから、大丈夫だと思う。」「じゃあ、とりあえず 手順な。」

 後から 混ざってきた二人の少年たちを加えた5人の少年たちは、いちおう 図書館の中だからということでしょう、それなり 気を遣いながら、ひそひそと  そんな話しをしていたので、なんのことだろう と 耳をそっちにむけてみれば、どうやら 夏休みの宿題についてのことらしく、しばらく 様子を見ていたところ、どうも ガイガーカウンターを作るつもりの様子。

 どの程度のものができるのか、彼らがどのくらいの知識やテクニックを持っているのかは まったく わからないし、大体 そんなものが 子供の夏休みの宿題で つくれるようなものなのかどうか・・ と おもってしまった。

 ・・が、調べてみると 手作りキットのガイガーカウンターなどもあり、そんなものは 1万円弱で 簡単に手に入ったり、作ったりすることができるらしいことを 初めて知った。

 それならば、なにか そういった方面に詳しいようであれば、ひょっとして 身近な物でも 作れてしまうのかも・・なんて 思ったり。

 当方、えっらく物理の化学の科学の・・なんてのに、とことん弱いので、一体 何をどうすると そんなことができてしまうのか、なんて これっぽっちもわからないし、なにがどうしたって そんなものを 作ろうなんて気にも ならない方なので、小学生の子供達が そういうものに興味を持って、実際に作ってみようとすること自体に、驚きとも感心ともつかないような 気持ちになってしまった。

 そのときのことを 思い出しながら・・、当節は 子供が 夏休みの宿題に、ガイガーカウンターなんかを 作ろうと思いついてしまうような・・、そんな時代、そんな状況になってしまったんだなぁ・・と、少々 複雑な気持ちになった。

 連れが来て、席を立ったのだが、人為的に 漏れ散らされた とんでもない量の放射能の危険とともに、これからの子供達は 生きていくんだな・・ と 思いながら 後を振りかえると、あの楕円のテーブルで、5人仲良く、せっせとノート書きをしている彼らが、それであっても 楽しそうに、忙しそうに しているのを見て、なんの根拠も無いけれど、彼らのこれからに ほのかに明るいものをかんじてしまったのは、やっぱり お気楽な自分だからなのだろうか・・

 どんな ガイガーカウンターができるのだろう? それは ひとりに一台のかな? それで 毎日 自分たちの身近なところのデータを取るんだろうか、

 もうちょっと おばさんして、彼らに 質問してみても良かったかな、なんて 思ったりもしている。

 しかし・・ ガイガーカウンターをねぇ・・ 夏休みの宿題に作るとは ねぇ・・
うーん、なんという世の中になったもんなんだか・・ 

 ・・と しみじみと 考えてしまっている。

 

 

3 夏の二つの会

 このところ 二つの小さな集いに参加することが続きました。

ひとつは 放射能汚染について、そのものについての勉強会と 日常における対策などについて。

 もうひとつは、66年前に広島で被爆を体験したかたの話し。

 先の会には 若いお母さんたちやその子供達がいっぱいで、自分も含め 年配の人達もきていましたが、なにしろ 若い世代が 多く、皆 自分の子供に どんなことに気をつけてやればいいのか、なにを 食べさせて、どの様に生活させればよいのかを、高木学校から出前講師として お話くださった板橋志保さんに つぎつぎと 質問を投げかけていました。

 それを聞きながら、ほんとに 原発事故による 放射能の拡散とその影響=害のはびこる中、子育てをする人達は とても不安なことだらけだろうに・・ と 切なくなりました。

 だって・・ どうすればよい ということの、何一つとして 確信できるものが無いのですから。
野菜ひとつを取ってみても、放射能の影響を考えて 皮を厚く剥いて 調理するか、それとも やっぱり その栄養を取ることにして、外側をよく洗って 皮付きのまま、あるいは 皮を薄く剥いて 食べるか・・、それを 日々選ぶのは 家庭の食をあずかる 母親たちなのですから。

 そして 今は それくらいのことしか 対処することができないのですから・・ 
これは ほんとに 難しい選択の連続、重い毎日だろうな、と 成長期の子供達を持つ各家庭での親御さんたちの 心の負担を 思っていました。

 一方、被爆体験者の話は、小1時間のものでしたが、当時 16歳だったという、その方の話は、自分にとっては かつて 身近に聞いたことに 重なることもあり、衝撃的とか 驚くなどのことは 余り無かったものの、前日に 動画で「男たちのヤマト」を 見たこともあったからか、16歳という 多感な時期を 戦争とその悲惨な終結、その後の混乱期を たくさんの人の死 とともに、過ごした数年のことを思ってしまいました。

 事細かに話されたわけでは有りませんでしたが、その言葉と言葉の隙間、話しと話の間に見え隠れしていた 当時16歳の少年のおびえや苦しみ、辛さや不安に、どうしようもない 苛立ちにも似たものをかんじながら聞いていました。

 毎年 夏になると イベントのように、二つの原爆投下の日と終戦(敗戦)記念日について、唐突に かたられてきていましたが、引きこもりの娘が いつか、人なんて 事故や病気などもぶくめて なにかあれば 簡単に死んじゃうのに、なんで わざわざ 元気なもの同士、ころしあうんだろう・・ と言ったのには
本当に そのとおりだ、と うなずきました。

 3月の大震災の後、コンビニで 散乱した商品を 棚に並べ、レジに並んで 普通に買い物する日本人の姿に、外国人たちが 驚いていたといいますが、それほどのものを 連綿と血に受け継いできた我々のはずが、なぜ、あのような 愚かな事を 国民に強い、またそれに従い・・ 死んで行ったのか・・
 人を 狂気に追い込むのは 一体何なのか、それに 立ち向かうには 何が必要なのか、

 私たちは、改めて 考え、そして あの大震災の後だからこそ 尚のこと はっきりと見えてきた 人を 破滅に向かわせるもの すべてに NO というようにしなくてはならないのだ と 思いました。

 私たちが 正しい選択をするように、とくに 上に立つ者たちが 賢明な判断による より望ましい道をえらぶように、祈り願いつつ、自分も 日々のちいさな物事の選択に、見極めるまなざしと それを選ぶ責任を持って 過ごしていかなくてはいけないな・・と 思っているところです。

 

4 あまりにも・・

一昨日の、京都の大文字焼きで、岩手の松の薪に鎮魂の思いを書いたものを用いてもらおう と 送ったにもかかわらず、被災地の松の放射能が怖いからと京都に断られたのは、哀しくなりました。

実際、調べても放射能は検出されなかったのに、何で断るかなぁ。

あんまりにも無知で哀しいですよ。

・・という メールを 今朝 受信する。

 2011年、大分市の芸術家藤原了児が、東北地方太平洋沖地震の津波で流出した陸前高田市の高田松原の松に被災者がメッセージを書いた薪を送り火として燃やすことを陸前高田市に提案。これを受けて陸前高田市では松とメッセージが集められ、その後、大文字保存会の松原公太郎理事長に打診、保存会も受け入れの意向を示した。

 しかし、薪を燃やすことにより放射性物質を含んだ灰が飛散する可能性を懸念した市民から抗議や意見が寄せられたり、過去、護摩木に他の地方の材木を使用した事例はないことなどから最終的に保存会は受け入れを中止し、これらの薪は陸前高田市で8月8日に迎え火として使用された。

 一方、受け入れを中止したことに対する抗議も相次ぎ、福島県伊達市の仁志田昇司市長は「根拠のない不安感を助長させ、風評被害を広げ、結果的に東北の復興が遠くなる。決して容認できない」と強く批判しており、保存会と京都市に対し、抗議文を送ることを明らかにした。

 その後、900件以上の批判や苦情が相次ぎ8月10日に受け入れを決定、新たに薪500本を取り寄せ、8月16日に送り火として燃やす。 .以上 Wikpedia より

 

 詳しくは 知らない自分ではあるが、大文字焼きと呼ばれるようなものなどについては、古くから伝えられ 行われてきた お盆の行事の一つで、大々的な宗教行事。精霊の迎え火でもあり、また 亡くなられた方たちの魂を送る火でもある ということは、なんとなく 聞いて知っている。

 亡くなった方たちのためのものではあるが、また 今を生きている人間たちの、それは 心の平安の為でもあろう宗教的な行事を、自分大事の思惑が 先走って?(あえて?マーク・・) このたびのことを残念に思う人達の心に にがいものを 残して、その日は 過ぎていったわけだ。

 
 なかなかに 人と言うものは、おかしくも やがてどころか、すぐさま 哀しく、情けない 生き物ではある・・ 

 当方、お盆の為の迎え火、送り火をすることはないが、いつものように、思い出し供養を できる限りすることにしている。

 11日の月命日、被災地では キャンドルナイトをするようだ。
ここでも、いくつかの火をたいて、多少に関わらず、ご縁のあった方たち、先立たれた方たちを 思い、祈ることにしよう。

 

 

5 一番怖いもの

  この数日、あの 絶望させられるような 猛烈な暑さの日々が いきなり はるかなかなたに遠くなり、降る雨も手伝って 突然の季節代わりのような、そんな日が続いている。

 まぁ この涼しさも 特例のようで、予報によれば 明後日あたりからは、再びの真夏を迎えそうな様子ではある・・   尚のこと つらくなりそうだ・・。

 

 今年の8月は、長いなぁ・・ と ふと 思っていた。

 夏と自分は とくに 相性が悪く、子供の頃から 夏休みのある夏が、本当に うんざりするほど 重苦しくて 嫌でたまらなかった。

 大人になると 体力のあるうちは まだいいけれど、それも 峠を越した今となると もう ただただ 苦痛以外のなにものでもない季節として 自分に迫る数ヶ月となっている。

 先日見た動画に、数年前のものではあるが、やはり この季節に放送された原爆被爆者や戦争体験者から 寄せられた手紙についての番組があった。

 様々なそのときの克明にして 詳細な記述もさりながら、ひとつ、とても 印象に残った言葉があった。

「何が怖いって、自分が一番怖い。だって 何するか わからないんだから。」

 今は 大きな店を構えて 平穏に暮らしているそこの主人は、そういって なかば 狼狽したような表情、あるいは 取り繕うような、あるいは 余りに困りきって 不安げな様子を見せながら そう 語っていた。

 軍に徴兵されたのだろう、”上からの命令でやったことなんだもの、自分でなんか やろうとなんて 思ってなかったのに、やれっていわれて やった・・。

 そのときは そうしないとだめだったんだ。だけど やだった、今だって ずっと やだよ。”

 そして、何かを振り払うように 言った。

 ”だから、だから 自分が一番怖い。やっちゃ駄目だってわかってるのに、言われて やっちゃうんだ。自分が 何するかなんて、そのときまで わかんないんだ。 自分が 一番怖いよね、もう やだ。もう あれは やだよね。” 

 この言葉通りではないけれど、そんな内容だった。

 思いもよらない 自分のそのときしてしまった 瞬時の行いに、彼は 敗戦後、66年たっても、その間を 生き延びて80歳代の今になっても、変わらずに 苦しみ続けている。

 

 人は 悲しいほどに弱い生き物だと思う。自分の無事の方が 絶対的に 大事なのだ、誰でも。
 だから、それをしないと 自分が危ないというときは、容赦なく 目の前のものを 全力で 苛む・・

 それを、、だれが 断罪できようか・・。
決して 許されはしないけれど、だからといって 動物的に生命の危機に反応したことを、その時の その人の切羽詰った そのときの心情を、誰が そのものと同じように 理解できようか。。

 しかし・・ しかし、である。
しかし、やはり それは あってはならないことなのだ。

 ただ・・、こうも 思ってみるのは どうだろろうかと 考えたりしている。

 彼は 自分だったのかもしれない・・ と。

 66年前のあの時代、もしも 自分が 彼の立場にあったら、自分は どうしただろうか・・ と 考えてみても・・ と 思った。

 ひょっとしたら、自分は 言われても やらなかった、やれなかった かもしれない。そして そのかわり ひどい目にあったかもしれない。言われたとおりに しなかった ということで。

 あるいは、やっぱり 痛いのは 絶対嫌だから、きっと やってしまっていたかもしれない。それで 自分が今 あるかどうかは わからないけれど。

 他に 方法があるのだろうか・・、他に なにか より望ましい方法と言うのが あるのだろうか、今は まったく 思いつかない。

 あの時代に限らず、どの時代にあっても、人は 思いもよらぬ方法で、自分を押し切ってしまうことがあるものだ。

 誰の命令でもなく、ただ、そうしないと 自分に危難が降りかかるから、ということで。
 どうにも抗いがたい者に、強いられて、それをしないと 自分が危ない ということで。

 人は、どうしようもなく、弱く 危険な生き物なのだ・・ と 思った。

 

 一方で また、人は とんでもなく びっくりするようなこともするものだ。

 自分も苦しい中、相手のために 持っている物を 苦しみつつも分け与えたり、信ずるもののために、我を捨てたり、たとえ まがまがしい戦禍にあっても 人を思いやり、励まし、助け、そして 時に わが身に代えても 相手を守ろうとすることも、あったりするのだ。

 気付くべきは、その二つの面、怖ろしいものに服従し、望みもしないことに手を下すことも、どうにもならない困難な状況にあっても、先に希望を人を 見出していくことも、同じ一人の人間の中に 存在することがある、ということだ。

 だから・・ 彼は 自分だったかもしれない と、私たちは 考えてみる必要があるのでは ないだろうか・・ と。

 

 人の行動は、ある部分、その人が それまで 生きてきたもろもろに起因するのではないか と 考えている。

 中でも どの様に育ったか、どんな考えの傾向を受けてきたのか、どのような人達の中で育ったか・・、そんなことも その人の行動の半分くらいは 裏付けるような気がしている。

 もちろん そればかりではないには 違いないだろう。
だから、まだ 自分で より良い判断に基づいて 行動できない人達のために、先に生まれた私たちは、心して 生きなくてはならないのだ。そう生きようとしなくてはならないのだ。

 まぁ 時には、幼い子供の方が 打算や思惑などに浸りきった大人などよりも、率直に 正しい行動をすることに、躊躇の無いときも 往々にしてあるが。

 

 とにかく・・ 私たちは、「それ」を 他人事で 済ませない、自分のこととして いったんは 考えてみる、多分 それが、この世界で 生きていくために、今も これまでも これからも 必要なことなんじゃないかな・・ と、あの 動画を見た後からこっち、そんな風に 思ったりもしている。

 

 

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