きょうは金羊日

 

1 危機感への個人的雑感

2 プチ欝脱出法

3 連絡の仕方、あれこれ

 

1 危機感への個人的雑感

  これまでのようであれば、当地のつつじは 桜が終わりになるころから 咲き始め、そのピーク時には、毎年 つつじ祭り と称して、バス通りから町役場までの間には、通りの入り口にある 花の木公園を除いて、たくさんの屋台やフリーマーケットの出店があったり、オープンステージ上での 老若男女による さまざまなグループのイベントが行われ、それらを目当てに 来場する人たちのために、交通整理の警官が たくさん行き来する5月の連休・・ になるはずなのだが、

 今年の桜は、暖かい風が早めに吹いたために、4月の入園入学のころには すでに葉桜となり、4月半ばには、もう つつじも見ごろになってしまった。

 順に 咲いていくではあろうけれども、連休のころには もう 終わりに近い花見ごろになりそうなのは、このあたりでは 誰でもが予想していることだ。

 現に 我が家の猫の額ほどの庭のつつじも 元気に 明るい色をたくさんに見せながら、蜂や蝶などに蜜を提供するために 日々、にぎやかしくある。

 こんな調子で、今年の連休は どうなるのか、つつじ祭りはやるのだろうか なんて 余計な心配をしてしまう。。

 ふと 気がつくと、当地のあちこちでの花の開花は だいぶ 例年よりも早かったように思う。

 寒さ厳しい冬を長々と耐えて、ようやく越してきたつもりの自分には、大変 うるわしくもありがたい 美しい花々が次々に咲き誇る うれしい時季ではあるものの、なにか どこか 妙だ。

 タコ氏 曰く・・

 植物は 環境の変化に敏感だから、あぶないと感知すれば、早めに子孫を残そうとすることもある。それで 開花が早まった 云々。。

 だとすれば、この数週間、立て続けに起こっている近隣の県や都の地震を、それに関連付けて考えたところで、大仰とばかりは いえないようにも思う のだが・・

 世の中には、人の不安を煽り立てる輩、集団も 当たり前にあって・・、先のようななことを言えば 自分も そんなもののうちにはいりそうで いやなのだけれど、ただ、個人的には、前述のタコ氏の言い分に 半分以上納得しているところがあるので、そういうことに 気が回らなかったあたりから感じている 妙な感じ、これを 笑い飛ばして 捨ててしまうことが なかなか できないでいる。

 でも まぁ だからといって、それじゃあ 非常持ち出し袋の点検をしたり 補充をしたりするのか といえば・・、これがまた なかなかできなくて。

 過日などは、非常用としている黄色いリュックの中身の食料の賞味期限を調べながら、あれ、これ だめだわ、あ これも、などといいながら、台所にもってきては、しょうがない、使ってしまおうということで、晩御飯にしてしまった。

 おなかに処分したのだから、補充しておかないと、と 思うのだが、・・・ここが われわれ(あえて われわれ=タコ氏&自分、自分だけじゃなくて の意)で、その先への行動が なかなか伴わないままでいる。

 これは いかんぞー と 思ったり、なんだか 落ち着かないなー と おもってみたりしながら、今も こんなことを 書いている。

 

 

2 プチ欝脱出法

  ちょっと 気持ちの落ち込むことがあって・・

 まぁ 原因は わかりきっているのだけれど、それに加えて、よそからのメールやら お知らせやらにも まいったなぁ・・と 思うようなものが、いくつかあったこともあって、一昨日あたりは 何をするにも 気が乗らないし、なにしろ 力がわいてこないので、立ったり座ったりも 億劫になる、など、少々 プチ欝っぽい状態だった。

 翌日の朝も、情けないほどの夢見の悪さも手伝って、気分は優れず、表の明るさが やたらわずらわしくて うんざりしていたのだが、個人的に、そういう状態が長く続くのは 何しろ とんでもなく いやなので!

 何とかしたいという気持ちにあせりながらも、外から見れば ぼうっと座って パソコンをながめているだけ・・という 半日を過ごしていた。

 だが しかし、(駄菓子菓子ってのがあったな)こういうときには、体を動かすのが 案外よくて・・ とくに 自分には。

 ということで、まず 掃除。普段の掃除に、しばらく ほうっておいた風呂場のタイルや台所の床などを ごしごしと拭きまくったり、押入れの中を引っ張り出して整理してみたりを やってみていた。

 まぁ それが 多少はよかったのか、あるいは なにかの弾みがついてしまったのか、気がついたときには、夕食の支度をしながら、なにやら 常備菜がいくつかできてしまっていた・・

 買ってきたキャベツの巻きが とてもきれいだったので、一枚ずつ さらっとはがれたのをよしとして ロールキャベツを、
 タコ氏が 自分でするわけなんかないのに、見れば買うたけのこの下ごしらえしたもので、土佐煮と たけのこご飯の具を、
 おきっぱなしだった大豆の水煮で、ひじきとにんじん、ごぼう、油揚げの五目煮を、
 ロールキャベツの残りのひき肉で、肉そぼろと信太巻きを、
 買ってきておいたおからが300g以上もあったので、おからのナゲットを、
 ・・・を 作ってしまっていた。

 さすがに 一気にそれだけを 米を研いで 炊き上げるまでの間につくったもので、かなりくたびれはしたものの、気がついたら 気持ちは だいぶ 軽くなっていた。

 なるほどねー・・ こういう仕組みなのね 自分って・・ という感じである。

 日中であれば、天気や状況にもよるけれど、散歩をしに行く というのもあるのだけれど、なにせ思い立ったのが夜だったので、つまりは 食べ物作りになったというわけだ。

 出来上がったものを、冷凍保存にしたり、器に移し替えて冷蔵庫に入れたりしながら、これで しばらくは 落ち込んでも食べ物には 困らないな、なんて思ってにんまりしてしまった自分が なんとも お安くお気楽に思えて、ちょっと 笑えてしまった。

 今朝からの曇天は 一日続いた後、明日にかけて雨になる予報だが、なんとなく、落ち着いて こんなことが できている。

 やれやれ たすかった・・ という 気分だ。

 

 

3 連絡の仕方、あれこれ

  かつてほどのことはなくなったけれど、時々、こんなところにも 取材の申し込みとか、当ホームページ内のサイトのひとつへの 他の場所への掲載依頼やら、ホームページを発展させませんか などなどの連絡が入ることがある。

 こういっちゃあナンだが、ひょっとして、世の中のあれこれに すでに手が回りきったのか(・・なんかほかの言い方があるだろうけれど、今とっさには思いつかない)、当方のような 超微弱小店もどきにまで 声をかけなくては 仕事にならないのか、なんて おもってしまう。

 まぁ よそ様のことは さておいて・・ 大体が、そういう関係からの連絡は、最近は 電話かメールがほとんどである。

 忙しいさなかに、電話をかけてきて、何事かと思えば、わたくし・・○○なんとか・・の △△と・・・もうします・・ お忙しいところを・・大変・・もうしわけ・・ございませんが・・オーナー様、おねがい・・できますでしょうか? という。
  (この ・・・は いらいらするほどの間延びした時間だ)

 そういう電話には、「今 出ておりまして、本日は 戻らずに帰宅するということです」云々ということにしている。 オーナー本人が・・であるが。

 あるいは ホームページの担当者様お願いします などというのもあるが、本日 こちらには出社しておりません、と 当方担当のタコ氏を目の前にいうこともある。

 相手も仕事なのだから とは思うのだが、もうちょっと 工夫した物言い、気色悪いばかりの丁寧さだけではない、当たり前の話し方をしてくれれば、ほかの答え方をしてもよいとも思うのだが、なかなか そういう問い合わせがくることはない。

 メールにしてもそうだ。突然のメール失礼いたします、からはじまって、自分の要求ばかりが書かれていて、最後まで読んだところで、どこの誰とも はっきりしない書き方のものは、読み捨てにすることにしている。これは当然。
 どんなに こちらによい条件が列挙してあっても、だ。
 なぜかといえば、返信しようにも 相手の名前宛てにかけないのだから。

 

 ネット上での安全のために 本名を明かさないというのはわかるけれど、当方は、ホームページ内に、かなりの情報を載せていて、そういうところへ 個人宛のメールをするのというのに、なぜ、自分の本名やプロフィールのわかるようなものを 連絡してこないのだろうか? おかしなことだと思う。

 かつて、とても 感銘した お話の掲載希望をメールでくださった方は、ご自分のホームページのアドレスとともに、改めてのご自身のプロフィール、そして、これこれの目的のために、このお話の掲載をお許し願えないだろうか・・と詳細を書いてこられた。

 その文章は 涼やかで率直な、親しみのあるものだった。

 すぐに、どうぞ お使いくださいと書くともに、そんな方の目に留めていただけたことを感謝し、先様のホームページを拝見して思ったことなどを書き添えて 返信した。

 こうやって 日々 誰の目に触れても当然のものを、発信しているのだから、どんな人が見ようと、それは こちらのあずかり知らぬことではあるが、何かの折に、コンタクトを取ろうとするときには、顔の見えない相手を思って、誠実であろうという姿勢が感じられることは、大変 好ましく、また 見習うべきことと考える。

 自分などは、あまりよい性格ではないので、そうきたか と おもうと、そのように返すという(思えばずいぶんとレベル低い)反応をすることが多いのだが、先の方のようなご依頼メールをいただけば、だからこそ、当然、丁寧に、できるだけ誠実に、たとえ お断りするようなことになったとしても、書いて送ることにしている。

 また ほかにも、メールを書いた送ってきたその人はよくても、そちらでの当方のものへの扱い方に どうにも納得できないというのもあり、そういう時は、残念ですけれど、と お断りせざるを得ない。

 それにしても、どうして 自分の正体を明かさずに、要望だけを突きつけるようなことができるのかなぁ・・と 思うが、つまりは それだけ 相手(世の中)を信用できない、信用してしまうと 面倒なことに巻き込まれたり、いやな思いをしたり・・などという、そんなことへの警戒があるのかもしれず、そうならば、なんとも いやなお便利グッズの 文明の利器なるメールや電話か、と 思わずにはいられない。

 

 しかしながら、書いて出しているものについては、だまって 使われることも あることもあり・・(現に、どこかで読んだなぁ・・と おもったら、かつて自分の書いたものがそのまま載せられていた なんてことが、偶然 たどりついたサイト内にあるのを発見したこともある)
 
そうなっているものを 見てしまったときの気持ちたるや、その人の書いた文章の前後からだと、自分の思いとはまったく別ものになっていたりしていて、そんなときは、気分的には かなり つらくなる。

 まぁ、表に何かを出す ということは、当然 波風を受けることの覚悟も同時にするというのはわかりきっていることだし、何度かのそうした経験もあるが、それでも、それでも、いやなものはいやだし、落ち込むときは 落ち込むものだ。

 そして それでも、・・それでも、普段は そんなこと、これっぽちも 思わずに、好き勝手に書いているのだけれど、たまに ありがたくも素敵な企画に参加できて お役に立てるようなことがあるとしたら、それが 何十回かに一度だとしても、やはり それは とても うれしいことには 違いないのだ。

 2001年から書き続けてきた このホームページを、自分は 自分なりに 大事に思っているんだなと、そんなこんながあるたびに 感じる。

 

 

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