先日 某テレビ局の放送で「整形なしの顔改造」(だったような?)という番組を見ました。
簡単に言えば、メスを使わずに顔の筋肉を鍛えて、たるみ、老け顔を解消しようというもので、いわゆるフェイスストレッチ(トレーニング、エクササイズetc.)を続けることで 使うべき筋肉を よく動かせるようになれば 自然に頬のたるみは上がり、肌の色艶も良くなり 顔が引き締まって 若々しい顔作りができますよ というものでした。
確かに ここ何年かみていて思うのですが、若い人たち(といっても特に幼年期から30代〜の方たち)の表情が乏しく、とても実年齢よりも老けて見える方が多いようにも思えているのです。 別に不満なわけでも 怒っているわけでもないのに、ちょっと見ると 機嫌が悪そう、怖そう、冷たそう、意地悪そうに見られることがある という お悩みをお持ちの方たちに こうした傾向があることも まま 見受けられます。
それで メイクでなんとかならないか というご相談を受けることもありますが、やはり お話しながら思うのは、そういう方たちは こちらが何を言っても 無反応なのですよね。
これには 私でもたまにむっとしますが、これは例の番組でもいっていたように、結局は小さいときからのコミュニケーション不足が原因のようなのですね。
人に腹立てるのは簡単ですが 思い起こせば 私自身 確かに笑顔とは縁遠い子供時代をすごしましたので、年令よりも背が高くて大柄であれば なおのこと、見る側にしてみれば恐ろしい?印象を受けていたことだろうし かわいくもなかったろうとは 思われます。
自分の存在が喜ばれるものであるという認識をもてて成長した人は、幸せです。
自分のやったり言ったりしたことの何かにつけて「いいねぇ」とか「じょうすだね」とか「よくやった」とか「すごいねー」といった言葉をかけられたり、「かわいい」「すてきだよ」「よくにあうね」「かっこいいよ」「だいすきだよ」などという 具体的なほめ言葉などをたびたび受けられた人は、おとなになっても なぜが素直で 愛らしげで 率直だったり、気持ちにゆとりがあったり、どことなく自信ありげで 安心感があるというのは、これまで 何人もの方たちとお会いする機会があった私の確かな印象ではあります。
また 自分に置き換えてみましても さもありなんと 思われるほど、私の若年時の思い出の中には そういう言葉やまなざしがあまりにも少なく、かえって自分の存在を否定されるような、そういう言葉や扱いをうけてきたことが たびたび思い出されます。
これは「人」にとって まぎれもなく不幸なことです。
しかし もっと不幸なのは、それを自分だけにとどめずに、次の世代にも同じ言葉や態度で接してしまうことがある(ほとんどそのようですね。)という 悪循環です。
ただ 気が付くときが早く、それをなんとか断ち切ろうとする場合もありますが、現在にいたるまで もうながいこと、そういう状況を繰り返しつつあるという人たちも いくらもあることでしょうと思います。
言葉というのは 言ったほうは忘れてしまいますが、言われたほうはいつまでもこだわってしまう場合があるものです。ひどい言葉というのは 暴力と同じですね。
でも うれしい言葉 幸せになれる言葉というのも、何の気なしに言ったとしても いわれたほうは いつまでも憶えていて 時には それが励みになるときもあるんです。
私も お世話になった方たちからの いくつかのそうした言葉で 救われてきしました。 そうした言葉のあれこれに 私が 確かに自分というものを客観的に見てみようという気になれたことは 今思っても 確かなことです。
人の顔の中に存在する大小の頬骨筋(きょうこつきん)は幸せな微笑みのとき以外は活動しない ということですが、この頬骨筋の滑らかで活発な動きが なによりも笑顔に必要だという情報は どうぞ 決して忘れないでいらしてください。
若い人たち 小さい人たちに どうぞ たくさんの良い言葉を!
老齢に勝てずにいる方たち、あるいは病魔に倒れて苦しむ方たちに また 疲れて苦しみの中に埋もれてしまっている方たちに そして 言われない差別に日々を過ごしている方たちにも、どうぞ たくさんの良い言葉を!
笑顔で暮らせることが どれほど その人自身を救うことか これもまた 私自身が 心底 実感していることですので 皆様に 是非お願いしたいことと願っております。
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