ひつじ小屋の風景 58 Locks of Love
もうすぐ5歳になるという娘さんが、それまで殆どはさみを入れず、腰まで届くほどになった長い髪をばっさり切って、「Locks of Love」(ロックス・オブ・ラブ)に寄付をしたという記事を毎日新聞で読んだ。
ロックス・オブ・ラブというのは、病気によって髪を失った子供も含めた人たちに、かつらを作って提供するというプログラムのことで、ロックという言葉には鍵という名詞と同じつづりながら、
「髪の束」という意味もあるという。
記事を書いた人は、現在アメリカ在住の子育て中のお母さんで、日本とアメリカとの子育てなどに関わる夫々の違いなどの日常のあれこれをつづっているのだが、今回の長い髪を切ってかつらにして寄付するというプログラムに参加したのは、近所のお姉ちゃんがやったのを見て、娘さんが自分もやりたいと言い出したからだと書かれていた。このプログラム、かの地ではよく行われているようで、美容院でのヘアカットは、洗髪とカット代は無料になるところが殆どとか。お金はチップを払うだけというものの、それもいらないといわれることが多いという。
その方は、20年以上以前に当時10歳だったご自分の妹さんを白血病で亡くされ、放射線治療の影響できれいな髪がすっかり抜け落ちたおしゃれだった当時の妹さんを思って、「とても辛いことだった」と書いておられる。
"あの時、かつらをもらっていたら、どんなに喜んだろう。「Looks of Love」のホームページには、かつらを提供されたこともたちの嬉しそうな笑顔が載っている。娘の髪が、一人の子供の笑顔を作り出してくれると思うと、とても嬉しく思う。"(記事原文より) |
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ぬれちゃうよ
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そういえば以前、産経新聞でも歌手の西田ひかるさんがこのプログラムのことを書かれ、自分の持っているものを役立てるのにお金や時間のほかにもこういうことがあるという紹介とともに、それが日本でも行われるといいのにと言っておられたが、同感である。 |
私のかつてのお客様のお一人は、ちゃきちゃきの江戸っ子のような方で、にぎやか朗らか、忙しいやら楽しいやらで、その突然逝ってしまわれた知らせを聞いても、誰一人信じられないほどだったが、聞けば首部の腫瘍のせいとかで、後から聴いた話では、やはり髪がすっかり抜けて、それはそれは痛々しかったと・・。
着物が好きで、きれいが好きで、大笑いやおしゃべりが大好きなその方は、踊りの名取でもいらしたし、御髪を失ったことはさぞかし口惜しく苦しいことだったろう・・と、思い出すたびに胸が痛む。あの方にも 当時そういうプログラムによるプレゼントがあったら・・と、いまさらながら思うのだが、きっと同じように思われる方は いくらもおありではないかと思う。
手のひらサイズの豆皿をいただきました。
使いかけの紅茶のバッグを置いたり
料理中のおたまをおいたり、
味見用のお皿になったり 大活躍。
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「Locks of Love」のホームページを眺めていると、かつらの装着の前後では顔の表情がすっかり変わり、あたかもその毎日そのものを喜び、愛おしささえも感じているようなのがよくわかる。髪の毛があるのが自然、当然という思いが無意識のうちにあるのを、そのホームページに掲載されている人たちの写真を見た自分の感じ方から今回改めて知ったような気がしたのだが、辛い治療に耐えた代償に髪を失うということもあるというのは、いかにもやりきれない思いがしてならない。
もしも、今 自分につややかにして豊かな髪の毛があれば、きっと即座に切って送り届けるところだが、そうもいかず、ご覧くださる方は少ないかもしれないが、せめて話の種にでもなればと 書いている。 |
例えば、一日1ドル以下で家族全員が暮らさなくてはならないという国の人々があるが、物があふれ、物を持つことにそれほどの努力や苦労を必要としないこの日本では、それゆえの持っているものへの執着激しく、形のある無しにかかわらず人に捧げる、役立てるということを時々に思うこともなくすごしてきていることが 日常になってしまっているようにも思えるのだが いかがなものだろうか。
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Dady, I love you !
イラストをクリックして 出展元をごらんください。
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持っているものをそれが必要な人に見返りを期待せずにシェアすることは、ともに生きることの まずは基本的な行為ではなかったか と考えるが、自戒も含めて物欲日本に警鐘を鳴らしたく思った「Locks of Love」についての記事だった。
『エレの引き出し』
ひみつのいえ 5
おにいちゃんはエレを見ました。えれに いまのはなしがわかるかな と おもったのです。
えれは むずしそうなかおをしてじっとはなしをきいていましたが、おにいちゃんのかおを見ると だいじょうぶ というように しっかりうなずきました。でも それは マントのひとのはなしがぜんぶわかったというよりは、ねむっているひとをおこすような大きなこえをだすと たいへんなことになるらしい ということがわかったといううなずきではありました。
でも おにいちゃんは いったいぜんたい なんのことやら・?? ひみつって、ひきだしって・・ え?なに?なんのこと? とつぎつぎにききたいことがでてきていました。
でも いまは だまってきいていなくてはなりません。大きなこえをだしたりはもちろん、どうも このぶんだと いろいろしつもんしたりおしゃべりしたりすることも あまり よくはないみたいです。
おにいちゃんは こころのなかが ききたいことだらけで ばくはつしそうになるのを いっしょうけんめいおさえながら おとなしそうに はなしをきいていました。
ふと、マントのひとは おともなくたちあがると おいで というように てをうごかしました。
つづく・・・
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