12月になっている。・・・
別に 時の流れに 区切りなんてもの、有史以来一度もあったためしがないっていうのに、なんで 年末になると こう・・なんというか、あー もー 今年も 云々・・・って なるのかなぁ・・ と 毎年思ってしまう。
結構 古めの人間だから、なんとなく DNAレベルで そんな日本人が染み渡っているのかもしれないな なんて。

現在の日本は 世界的に見ると かなり平和な国のようだ。
それでも、様々に 妙な事件や凄まじく腹立たしい事件やら あきれるようなとんでもないことなどが 日々メディアを通じて知らされはするものの、でも 殆どの、事件の外にいる人々には それは やっぱり自国の中のことであっても 正直、それは他人事のうちではある。
これが 現在戦争中なんていったら ごく一部の人たちを除く、その他大勢組みの一般人なる自分などは、かなり緊迫と恐怖と不安で、日を数えることさえ忘れ、自分を守るために あれもこれもすっとばし、見向きもせず、その内 感覚なども麻痺していくのだろう。
毎日に、国民の殆どが飢えたり、不安や恐怖に怯えおののく日常が、この国に半世紀以上もなかった という平和ゆえの長寿大国日本なのだろうとおもう、そこに 様々な問題があったとしても・・。
自分が『平和が日常ではない』という日々を、生まれてから 今に至るまでずっと経験してこなかった という、このものすごい幸いを、最近 とみに強く実感している。

このところ、ご年配―それも かなり―の方、三人ほどと身近になることがあって、先のようなことが思われてならない。
ご高齢の方たちのおひとりは 年が明けると同時に100歳になられる方。もうおひとりは 現在 101歳の半ば。そして もうおひとりは84になられるのか・・、まだまだ 現役でお仕事されている方だ。
年明けに100歳になられる方は、実は 私の、なくなられた最後のピアノの先生のお母様で、御年90の時には、記念にとショパンのワルツを全曲CDにされたくらい お元気だった方で、現在は 家族の方たちなどに 手厚く介護されている。
お母様先生 と 自分はお呼びしていたのだが、最初のレッスンのとき、上で聞いておられたあと、レッスン後に一緒にお茶を戴いたときに、「貴女のピアノには指先にメロディーがある」とおっしゃってくださり、今でもその意味の本当を たぶん自分は理解していないと思うのだけれど、長いことピアニストを育てるための英才教育を施されてこられた方のその言葉に、かっと顔がほてった憶えがある。
先日、その方の娘さんになられる方と 久しぶりにお会いしてお話しする機会があり、ご様子を伺えば、それなりに暮らしております と。今は耳の聞こえに少々難があって、だから絵のもの、写真のものなどをお好みになっておられる とのことだった。
100歳のお誕生日には なにか おいわいさせていただきたい・・・と 考えていたのだが、もう物はいらない とのことなので、お好きな猫と音楽のカードなどを と思っている。
色の白い、ふっくらした方で、いつも前髪をくるりとカールさせて、ローズ系の口紅をつけ、お宅においでのときは、ロングスカートにストールなどを羽織り、時々そばのソファーに座って 紅茶のカップ片手に じっと レッスンを聞いていてくださった。
先生お二人に 聞かれていると思うと、もう 緊張の極みだったけれど、雑魚がどんなにがんばっても と、開き直るように 思うまま弾けば、いつも以上の細かい、冷や汗をかくような熱心なご指導を、こんなお月謝では 申し訳ないと思うほど お二人からいただけた。
それなのに、今は もう ぜーんぜん 練習もしなければ、弾こうともしないんだから、かつて ある人が言った「才能というのは、その人本来の才能に健康、チャンスや良い指導、ソレを受けられる経済力や環境、そんないろんな条件があって初めて才能というんだ。」という言葉に、苦いものを感じつつも 頷いてしまうのだ。
お話しながら、そんなことなどを思い出してもいたのだが、今は、自分などには 慮ることもできないほどの年月、100年生き抜いてこられたという そのことを 心からお祝いしたい と 思っている。

もうお一方、101歳の半ばという方は、大変にアクティブな女性で いつか当方の毎月のおたよりであった「ひつじ小屋だより84」にも、書かせていただいたことがある。
この方は 現在、ご家族とご一緒で、衰えてもお話などは しっかりしておられるそうで、
「死ぬことというのは 生きることと同じくらい大変なのよ。」と おっしゃられたとか・・。
きちんとした生活をなさりながら、なにしろ楽しむことがお上手のようで、きっと そんなことが、いつの間にかの日々の重ねを作り上げたのだろうと かってに思っている。
この方とは 直接お話したことはないのだけれど、当方の長男が直にお会いしており、彼をして、その時の印象を「見ればやはりお年寄りではあるけれど、何しろお話することに何の問題もなくて、普通以上のものを感じられたのが すごい。」と言わしめている。
一世紀を生きるということは、その間にあった様々な出来事を 一切 放棄しなかった ということでもあり、それは 今の自分には なんとも言うことの出来ない・・「生の勢い」とでもいうのだろうか、そんな風なものを 感じてしまっている。

お三方の最後、84歳の方は、ずっとお独りで生きてこられた男の方。
何のときだったか、話しながら、「私たちには 過去も未来もないんです。ただ 現在があるだけなんですね。だから どんな人も、大人も子供も、老人も若い人も、どんな人も、今しかないということに気付いて、今をちゃんと 生きなくちゃいけない。」 と おっしゃった。
コレには、うなってしまった。
「80を越えると、もう あとは 死ぬことしか考えない。明日のことなんて 考えなくなるんだよ。だから とても 気が楽。今 生きればいいんだから。」 と 私の亡くなった恩師が 言っていたことがあるけれど、ふと そんなことも思い出しながら、ああ いいなぁ・・ こういう年の取り方をしたいなぁ・・と 思っていた。
そう、そのお独りで生きてこられた方も、同じことを おっしゃったのだ。
私たちには 今しかない。過去はもうないし、未来はまだない。だから 今ある「今」を ちゃんと生きなくてはならない、と。
きっと その方の実感なのだと思う。そして その実感には 悲愴感などというものが 全くなくて、たぶん 当然のこと、そうなのだからそうするという、そういうことなんだろうと 思っている。
若いと なかなか そのようにはおもえないし、実際、若くなくても 自分のようなものには、過去はともかく、これからのことなどについては 行く末を思って、悶々とすることなど しょっちゅうで・・。
だから、未来も今はまだない、と聞いて、!そうじゃん!まだないものを 今 心配したってしょうがないや、と 腑に落ちたことは、ありがたいことだった。
不思議なことに その方のお話は、通常は なかなか 聞き取りが難しい。まぁ 時間の経過の結果だから それは誰にでもあることで当然なのだけれど、なぜか そういう言葉は 面白いほど きっちりと聞こえてくるのだ。
もしかしたら、分かれよ、気づけよ と そんな思いが あったのかもしれない。

そんなことなどが 余り日をおかずに続いたものだから、このところのぐうたらな自分が なんとも 申し訳ないような、みっともないものに思えて、実は 暫くへこみっぱなし状態。
一旦 腑に落ちたとはいえ、実生活内で そのように納得してやれるかといえば、これが また 小人の哀しさ、それとこれとは 別問題になってしまって・・・ まったく、である。
思うに、きっと 先のお三方にも そんな時も あったかもしれない と。
だけど、そう、そうなんだけれど、だけど 放棄せずに日を送ってきた という、そういうことなのかもしれない・・なんて 自分に都合のよいように考えたりもしている。

先日、友人のあかちゃんに会いに行った。まだまだ 一年にもならないのに、元気に活発に動き回って、ないたり笑ったり 忙しく表情を変えては、まわりのだれかれの差なく、幸せを振りまいていた。
彼女に どれほどの時間がプレゼントされているのかは分からないけれど、自分もかつては そうであり、先のお三方も かつてそういうときがあり、その時には、今現在に至るまでの時間の数なんて 思うことすらなかったはずだ。
そして、そこに なんの不安も なんの思い煩いもなかったはずだ。その時は 毎日があたらしく、毎日が未来で、毎日が発見や経験の喜びの連続だったはずだ。

毎日喜ぶというのは、正直 難しいと思うけど、いちいち 拾い上げるほどでもないような ちょっとした嬉しさ、楽しさ、うきうき感なんてのは 割りにあるなのは どなたも思い当たられるのではないだろうか。
生まれて間もない人たちや良い時々を重ねてこられた方たちと比べても、比べようもないことではあるし・・と、やっと、今は 今の自分をそのように生きるかな・・という気になってきている。
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