きょうは 金羊日

12月

 

1 道連れ

2 ブレイクタイム

3  進歩するために

 

 

1 道連れ

  いまどきは もう 4時半を過ぎれば、ほとんど あたりは暗くなり、ついで日が落ちると 一気に 空気が冷えてきて寒くなります。

 実家から戻るときは、たいがい そんな時間をすこし過ぎたころになるのですが、歩くのを除いてなら、バスに乗って15分程度の行き来とはいえ、それが週2度となれば、交通費のことも考えるので、行きは ともかく、帰りくらいは 多少の節約をと、二つ先のバス停から 帰りのバスに乗るようにしています。

 そのバス停までの間、歩道があるといえばありますが、人がすれ違うのも 片方が身を寄せるか、手前で 相手の通り過ぎるのを待つか、というほどのもので、反対側にいたっては、そんなものを歩道とはいえないようなところを、車の減速を期待することもできずに ただただ せっせと歩かなければなりません。

 先日、いくらかは歩道と呼べるほうの道を、薄暗さの増しつつある時刻に歩いていたところ、反対側の歩きにくい方を、杖にすがって、曲がった腰のために、前を見てあるけないのでは、と 思うようなおじいさんが、すこしずつ 少しずつ、歩みを進めているのを見ました。

 だいじょうぶかなぁ・・ とも おもったのですが、そのおじいさんの腰からは、くらくてもよく見えるほどの 赤い紐がたれていて、その先には、中型になるのでしょうか、薄いベージュ色の賢そうな犬が、寄り添って歩いていました。

 犬は、おじいさんの足元を まるで おじいさんの行く先の安全を確かめるように上手に行ったりきたりしながら、あれでは かえって あぶないんじゃないか、と 思えるくらいの近さにいたのですが、おじいさんは、そんな犬の行動に 特に注意を払うでもなく、黙々と歩みを進めるだけのようにみえました。

 それを眺めながら、ふと、そのおじいさんと犬は、何も言わないで居るけれど、お互い きっとコレまでの時間を そうやって歩いてんだろうなぁ・・と 思ったのでした。

 それは、なんというのでしょうねえ・・、一人と一匹なんだけど、そこに なにか もうひとつ、その二つの存在の間を行き来するような なにか・・、

 それが 一人と一匹の危うさに付き合っているような、そんな気がしたのです。

 結構な車の流れのあるところの、向こうとこちらでのことですから、もちろん おじいさんにも犬にも、こちらのことはわからないと思いますが、こちら側からは、後すこしで 闇にまぎれてしまいそうなその様子に、なぜだか、そんなものを感じて仕方ありませんでした。

 うまく いえないのですが・・、怖いくらいの頼りないおじいさんの歩みと、ひょっとすると 転ばせてしまうかもしれないほど気遣って?いるような犬のまとわりとに、そっと 添える手があるような・・ 

 そんなことを、実家からの重い荷物をもって、狭い歩道に立ったまま思って、ながめていました。

 あのおじいさんとあの犬さんと、、どうか 無事でありますように、と 祈りつつ・・、バス停にむかって 振り返り 振り返り、ゆっくり歩いていきました。

 

 

2 ブレイクタイム

 数日前あたりから、今日の都心には 初雪の予報が出ていた。

 ここは、都心よりも ずっと南、海沿いなので、どう期待したところで、雪をみることはないだろうと予想した通り、いま 外は、しずかに 音も立てずに 冷たい冬の雨が降っている。

 で、自分は 何をしているかというと、youtubeで クリスマスキャロルだのクリスマスソングだのを ずーっと流しながら、重たい重たい腰をようやく上げて取り掛かったフルーツケーキなどを焼き終えて・・それらを冷ましつつ、ビスケットをかじりつつ、あちこちへのクリスマスカードを書いている。

 ほんとに 静かで・・、人というのは おもしろいな、とおもうのだが、雨が降っている、寒い、それだけで 人通りは ほとんどないし、車の行き来も あまりなくて、
 ほんとに 静かで・・、とても それが 心地よい。

 クリスマスの音楽も、そっと ささやき程度に聞こえるように流している。

 部屋の中が暖かいかというと、そこは 暖房嫌いの当方、寒がりのタコ氏がいないこともあって、ホットカーペットを半分 ほんのちょっとだけあったかくして、フリースの半纏などを着こんでもこもこになりながらのお篭り気分を味わっている。

 表は 寒く、冷たい雨が降り続き、部屋の中は、ケーキを焼いたあとのぬくもりと、かすかなホットカーペットと半纏のぬくぬくで、ちょいとした巣穴の雰囲気。

 こういう時は なにがいいかな。ホットワインか、ジンジャーミルクティーか、ラム酒入りのコーヒーとか、普通にうすーいコーヒーとか・・、毎朝のように ココアにコーヒーをちょっとたして、にしようかな。

 あったかいものを飲んだら、それぞれのカードを仕上げ、明日は それらを投函しよう。
 明日は 雨も上がって、日差しも戻ってくるだろう。
 明日の外歩きは、きっと 空気の乾きも感じずに、いい気分でできるだろう。

 ・・さて、お湯がわいた。お茶にしよう。

 

 

3  進歩するために

 クリスマスが近くなると、これまで どんなお話を書いたかなと、当ホームページのお話のページを 開いてみます。

 なんの気なしに、2005年のクリスマスの話=ケストナーの『飛ぶ教室』からの抜粋=を読み、あとがきを眺めて、ああ そうなんだよなー、これこそ、いまの世の中(すべての人々)に必要なことなんだろうなぁ・・と 思いました。

 『私たちは どんなときでも 正直でなくてはなりません。骨の髄まで正直で。
 何事も ごまかさず、またごまかしてはなりません。
 たとえ 不運にあっても それをまともに見つめるようにしてください。
 何か うまくいかないことがあったとしても 恐れてはいけません。
 不幸な目に出会っても 気を落としてはなりません。
 元気を出しなさい。不死身になるようにしなくてはなりません。

 私が今言うことを よく頭に入れておきなさい。

 賢さの伴わない勇気は 不法です。勇気の伴わない賢さは くだらんものです!
 勇気のある人々が賢く、賢い人々が勇気を持ったとき、はじめて 人類の進歩は確かなものになるでしょう。』    

 (エーリッヒ・ケストナー作「飛ぶ教室」 高橋健二訳 より)

 http://aureaovis.com/story0512.htm

 賢さの伴わない勇気は 不法である、と。勇気の伴わない賢さは 下らん!と。

 現代の 私たちの日常には、果たして 賢さの伴った勇気というものを 見ることができるのだろうか、と 思ってしまいましたが、たぶん そういうものを 自分の外に見出そうとするのは、それは、ちょうど 青い鳥を探して さ迷い歩くに似て、実のところは、自分の中にこそ、青い鳥を見出すべきという、メーテルリンクのお話のごときではないか と思ったり。

 おそらく、と 推測するばかりで、納得して理解しているわけではないのだけれど、
骨の髄まで 正直であったら、他に迎合することも、流れに飲まれるばかりでもなく、悩みや痛みを抱えながら、どうしても 正しきを求めざるを得ず・・、ために それが 勇気ある言動となって、賢明を明かしする・・のかもしれないなぁ・・ なんて、思ったり。

 社会が、人が、あいつが こいつが、あの団体が、あのグループが、と 何かあるたびに、自分を取り巻くものたちに その因みを見出しているうちは、おそらく この社会、現状を立て直したり、理不尽なもろもろに打ち勝つなどということも、たぶん、できないまま、ずるずると「いまのまま」を継続していくのだろうなー・・ とも 思います。。

 つぎつぎに報道される この国に起こったさまざまな問題を、それぞれ自分のこととして捉えることができるようになれば、そのときの小さな一人ひとりの正直な言動こそが、賢さの伴った勇気、勇気の伴った賢さとなって、「人類の進歩を確かなものに」していくように思います。

 今年も 後すこしで終わります。
 過ぎ去った時を惜しんだり、懐かしがったりするばかりではなく、そこから学んだものがあれば、その幸いを 是非、来るべき年に生かして、私たちの日々に、進歩といえる歩みを、私たちが 自らの手で興せるように、と 祈ります。

 どうか よいお年を!!

賢きは

星に従う勇気もて

 

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