ひつじ小屋だより 79

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ひつじ小屋の風景69

赤ちゃんポストに寄せて

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『エレの引き出し』

ひみつのいえ 16

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考えるひつじ

まわりをみれば・・

ちまたのはなし

メイクアップ

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愛すること 27

きれいをおいしく!

ひつじ小屋の日々

編集後記

発行日 2007/05/05   発行人 遠藤由美子


 ひつじ小屋の風景69
 赤ちゃんポストに寄せて

 「赤ちゃんポスト」なるものが熊本県の病院のひとつで開設、始動された。

 様々な事情により、縁あって授かった命ではあるがどうにも育てられないために放棄したり、抹消するような状況になるくらいなら、と養子縁組などの一手段として考え出されたという「赤ちゃんポスト」設置にあれこれ意見が出ているが、それを作ってでもどうかしないといけない現実のあることを忘れてはならない。

 『命』に貴賎や質の違いがあるわけがないが、その命がどのような立場や状態に生まれたか(例えば婚外子とか肉体の状態など)によって 受け入れる側の認識が変わることが普通のような社会においては、その認識こそがそもそもおかしなこと、大きな「命に対する冒涜である」ということを、まずは問われるべきではないか と思う。

 あるコラムで、「責められるべきは子供を手放した母親だけではないことを、もっと深く追求しなくてはならない。」というようなことが書かれていた。「女性がひとりで安心と十分な守りの内に子供を育てられない環境にあるこの社会にも責任と反省は促されるべきであり、また、その子供の父親なる男が、母親が独りで育てられない状況にあるにもかかわらず母子を放置し、挙句の果てに母親が苦しみから子供に手を掛けるように追い込んむようであるならば、それは母親の行為よりももっと注目されねばならない。」ともあったが 同感である。

  さらに言えば、どんな状況下であっても、子供を身ごもったことを喜んだり受け入れたりできない母親になる立場の女性に差し伸べられてほしい厳しくも愛情深い手も この国では非常に少ないということも考えなければならないだろうと思う。
we love you,Mom!

 あるとき生まれた赤ん坊が、まもなく亡くなったとする。
  その時、残ったものたちは それをどう思うのか。何の意味も無かった と思うのだろうか。生まれてくるべきではなかった、何のために生まれてきたんだろう、生まれなければ良かった などと思うのだろうか・・。その本当は 誰にも分からないが、その赤ん坊にとっては、「生まれる」ということ、その父親と母親との間に生まれるということが、まず大事なことだったのではないだろうか、そしてそこで死ぬということが、その赤ん坊の仕事なのだろうと思うのだ。
  (だから、そういう子供には「良くここへ来てくれたね、ありがとう。ずっと忘れないよ。また 会おうね。」といい、残ったものはその子の人生を胸にして生きるのだ・・)

 どの人生にも どの人の過ごす時間の量にも 恐らくたいした違いは無いように考える。命は 自ら生まれ出ることはできない。その父となり母となるものからしか生まれ出ることができない。生まれた後のほうが見て分かりやすいので、なんとなく最初から命に貴賎や優劣があるように思ってしまいやすいが、実はそんなことはまったくもってとんでもない誤解で、まずは命というものが、人の手でゼロから生み出せるものではないのだ ということを、明確に しかと我々一人ひとりが認識しなくてはならない。

 人が赤ん坊になって母親の体内に宿り、そこから生み出される経緯については、もうすでに様々に知らされていることではあるが、では なぜそうなるのか については、我々の頭では これまで、そして今後もどんなにしても解明、理解することはできないだろう。一人ひとりの命は それほどに貴重で稀な"奇跡"的存在なのである。
 その輝かしい奇跡をわずらわしいもの、不都合なもの、邪魔のものとして排除しようとすること、それを悪魔的傲慢といわずして何というのだろう??
 豊かな国日本の中の歯噛みするような極貧がそこに在ることを、認知するべきである。

 人は 生まれて、生きて、死ぬのだ。それを十分に行うことが人生なのだ。
その時問題とすべきは「何をして」ではなく、「どのように」であると、特に 今この日本にすでに生きているものたちこそが 謙虚に反省、理解するべきであろうと考える。

 「赤ちゃんポスト」が、改めてそれぞれの命を感謝と敬意を持って受け入れるきっかけにもなり、また ポストの中に託されるかもしれない命に、さまざまな角度から 愛のこもった手の差し伸べられることを、心から祈っている。


『エレの引き出し』

 ひみつのいえ 16

「じゃあ、おまえだけかえれよ。ぼくはいきたいな。いこうよ もうちょっとだから、ね。」

 おにいちゃんは、ひつじとはとにいいましたが、ふたりとも エレがつかれているのをみて かえったほうがいいな と おもいました。

「おにいちゃん、きょうは これでかえろう。また つれてきてあげるよ。」
「そうそう。えれには ちょっと たいへんなことだったとおもうよ。だって まだほんとなら あるけないんだから。」

 ふたりにそういわれたおにいちゃんは そうかもしれないな と おもいましたが、
でも! そう。。! いつだって おにいちゃんなんだから がまんしなさい とか、えれちゃんのこと かんがえてあげて といわれているんです、

 今は そういうひとたちがいないのに、なんで がまんしなくちゃいけないんだろう・・と おにいちゃんは おもいました。

つづく・・

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考えるひつじ 3

  まわりを見れば・・ 

 時々、ストックしている記事がいくつかあるが、ちょっと前に、2003年3月5日付けの毎日新聞朝刊 '発信箱'に青野由利氏(科学環境部)の書いたものを見つけた。 

  難しい概念を表す あまり世間一般になじみの無い難解な言葉を使った製品の開発の話を聞いて「パラサイト・イヴ」」の著者である瀬名秀明さんの言葉を思い出した として『"作品に難しいことを書くと、編集者が難色を示す。でも読者は、かえって難しい話に惹かれる。"というのだ。学校教育もメディアも、難しさを嫌う傾向があるが、易しければいいとは限らない。難しさを解きほぐしていってこそ得られる面白さは必ずある。(中略) 知的好奇心を満足させる難問があってこそ、世界は楽しいのだから。』と書いている。 

 この、知的好奇心のゆえに世界は楽しいという言葉に、えらく納得してしまったのである。年々、難しい話や小難しい事に のっけから拒否反応を示すようになり、かつてはすらすらと読めて頭に入っていた同じ本の内容がちーっとも入ってこないなぁ と思っていたのは、わかりやすいものばかりを読んで難しさの解きほぐしをせず、己の頭を使い物にならなくしていたからなのだと やっと分かった次第だ。


  ちまたの話し


  ゆったり太筆で描けるものを と
水墨画の基本帳から 四君子を選んだとか・・。
その中の梅
「たたら角皿」
まだまだ 修行中・・  


〇 なんとなく
落ち着かないこの頃。
  なにをするにも中途半端な感じが否めません。ちょっと気が向いてその気になったからと、何かを始めても すぐに、なんだかコレをやりたかったんじゃなかったみたい、また後で、となるようなことが いくつも その辺に転がっています。 

〇 そんなときに、末っ子が焼けたから と 持って来た「たたらの角皿」
  きちんとした角ではない、その不定形さ。うまくやろうとなどしていない絵柄を見て、そうそう、別に誰に何を求めるでもないんだった、と 気を取り直し、ちょっと 落ち着きました。


  メイクアップ 

 ある方の追悼式に出席しました。
大勢の参加なさる方もそれなりのいでたちでお越しではありました。かつては そうした悲しみの席ということへの配慮から、着るものや化粧などにも気を遣ったものですが、昨今のそれには そうした気遣いはあまり無くなってきているように思えます。

  見るからに悲しみを表現するかのようなメイクや服装というのも滑稽ですが、ある程度の気遣いはあってもよろしいかと考えます。 黒いものを着ていればそれでOKと安心しているような方の口紅はいつもと同じなのでしょう、はっきりした赤、青み系のローズピンク・・など、それがはやったころとご年齢がうかがい知れるようなものをお使いの方が 割に当たり前に多かったのは発見でした。

  たぶん 口紅を変えて顔色が悪く見えるのがお嫌なのだろうと思いましたが、やはり 悲しみの席にはそぐわない。同じ口紅でも べったりそのまま塗るのではなく、きちんと輪郭を描いてから内側を塗り、ティッシュで抑えお粉を軽くはたいて艶を消せば、決して地味にも派手にもならず、品良くなるものです。(この『品良く』が こういうときのメイクのポイントですよー。) 

 若い人にも場にそぐわない服装とメイクでいらした方がありましたが、人となりが知れようというもの。自分の顔色や好みに気を遣うよりも、参加目的の再認識が先のようだな・・と 眺めておりました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛すること 27

♪ 初めてお目にかかったその方は、60を過ぎて尚、バリバリに働かれている元気でチャーミングな女性でした。たいした時間をご一緒したわけではないのに、なぜかとても深い話ができてしまったのは、きっとお人柄。気さくで陽気な中にも、しっかりとした基がかんじられたからだと思います。

♪ 我が家の娘の話からの'引きこもり'についてのその方のお話が、印象に残っています。「何も分からないのよ。誰も何もね。分かっていてもわかりあえる言葉を持たないのかもしれない。それはすごく辛いし、歯がゆいし、哀しいことよね。でも、生きているんでしょう?今。それは すごくありがたいことね。それだけで 十分じゃない?ほかに 何を望むの、彼女に?」

♪ そうなのです。彼女の人生は彼女のもの。私やそれ以外の誰のものでもないんです。その方は それをおっしゃった。「その年齢・状態だったらこうするもの」ではなく、彼女の人生を「どのように」生きるかは任せ、彼女を追い立てることをやめようと思ったきっかけになった出来事でした。

きれいをおいしく!
新じゃがと塩漬け豚の煮物

2〜3人分の材料新じゃが芋 10個、塩漬け豚(先月号に作り方掲載) 6〜8枚、ゆで卵 ひとり一個、だし汁、酒、醤油、黒砂糖、みりんなど

作り方;1 ジャガイモは皮付きのまま良く洗い、竹串が通るくらいまで煮る。一緒にも茹でる。
 なべにジャガイモと豚肉のスライス、皮をむいた卵をならべ、全体がかぶるくらいのだし汁を注ぎ、このみのあじ付けをし、全体に味がなじむまで煮る。 

 時々 無性に煮っ転がしが食べたくなります。それもジャガイモの!(お酒とすごく合います!)黒砂糖を入れると 甘ったるさもしつこさも無く、ミネラルなども豊富に摂れるので、煮物には欠かせません。 

 以前 とある飲み屋さんで出された「くずいもの揚げ煮」がとんでもなくおいしくて、是非やってみようと思ったのですが、それくらいのちょうど良い小さいおいもさんに出会わないのですねー。
  もし手に入ったら絶対やってみようと思っています。その時の煮汁はこってり、しっかり絡むような濃さでしたよ。

ひつじ小屋の日々
春の鎌倉散歩

 行ってきましたよ、「風の草花画」展。先々月からお知らせし、友人と一緒に行くのを楽しみにしていた鎌倉のギャラリーでの荒崎氏の個展は、相変わらず柔らかなそよ吹く風が、描かれた草花から会場全体にゆっくりと流れ、絵を見る人たちの心をやさしく解きほぐしているようでした。

 その後、大谷記念美術館で「マリー・ローランサン展」を、鎌倉文学館では鎌倉ゆかりの 私たちにも馴染み深い小説家や文士たちの軌跡を、それぞれとても優雅な建物や美しく丁寧に手入れされたすばらしいお庭とともに見て回りました。

 二人とも、文学館近くの小さなパン屋さんでおいしいパンを沢山買い、鎌倉に戻る途中のお気に入りの甘味処「無心庵」でクリーム餡蜜を食べ、近況を散々に語り合い、楽しい一日を過ごしてきました。

 美しいもの、心地よいと感じる物事を、一緒に味わえる友達がいるというのは 嬉しいものですね。

編集後記

・ かつて大変お世話になった方が亡くなられて、そのお住まいが取り壊された。
  しばらくして その場所には二棟の新築の家が建て始められ、木々に囲まれた大きな家のあった様子などが、時とともに 淡い記憶になっていく。

・ これも時の流れ、形あるものは全て過ぎ行くものとは思うものの、やはりその前を通るたびに、かすかに胸が痛い・・。

Aurea Ovis

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これは 登り始めの階段。

しかし・・

登りはじめたが最後

それが延々つづくとは 

誰が予想しただろう・・?

 

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