Aurea Ovis

きょうは『金羊日』

2010年 2月

 

1 犬さんの失踪

2 世界の息遣い

 

 
  葉山は
 すごく便利という場所でもないし、ワッカのついたものをを持たない自分の場合は ただただ 歩くだけが 近場においての移動手段になっています。

 (ちなみに タコ氏は マイチャリチャり)

 そうやって ぽてぽて歩いていると 色々なものが目に付き、気になるもので、先日も いつも通る道沿いの家に 白い張り紙があり、わざわざ近寄って 読んでみました。

 その家は 玄関側が道に面していて、その脇に 赤い屋根の犬小屋がある。そして そこには 大分年を取った犬さんが いたのでした。

 じつは、その犬さん、通るたびに ちろっと目を上げて こっちを見るので、そのたびに、今日は暑いねー とか、車に気をつけてくださいね とか 元気?とか・・ つまり 声かけをしていた間柄(?)で、向こうもそれなり、自分が近づくと 足音などで きづくのか、寝ていても耳を動かしたり、首をもたげてみたり、お愛想するほどではないけれど、それなりのアイコンタクトなどもしていたりしました。

 暑くても 寒くても、雨が降っても風が吹いても、年中 その道路っぱたのほこりっぽい場所にある 殆ど一日中 日陰になる犬小屋には、申し訳程度の毛布が敷かれてはいましたが、赤いヒモでつながれた犬さんは、最初に会ったときから 元気さを感じることがありませんでした。 

 ・・で、その張り紙です。ビニール袋の中の手書きのメモには、犬さんが 数日戻らないこと、15歳で かなりの高齢なため、目も耳も 殆ど働いていないようなこと、名前と呼び名、そして どこかで見かけたら 連絡してほしいことなどが、雨に打たれて滲んだ字のまま、書かれていました。

 犬種は 自分には分からないのですが、中型犬になるんだろうと思います。かわいいとか愛想がいいとか そういうんじゃないんだけれど、なんとなく 声を掛けたくなるような そんな感じの犬さんで、その道を通って実家に行き来しているため、少し前、いないな・・と 思ったころから 気になっていて、きっと ずっと日陰にいさせられたから、いやになっちゃって でてっちゃったんだよ、とか 犬さんも猫さんとおなじように その時が来たら 人の目の届かないところへ行くんだろうか、それで 出て行ったんだろうか とか、あれやらこれやれ 二人で話したりしていました。

 

 昨日、買い物に出かけた帰り、いつも通らない道を歩こうと思って、あちこちの綺麗に咲いている梅や川の鴨さんたちをみながら、のんびりあるいていたところ・・・!

 あれ?あの犬さん?! あの犬さんじゃないの?!

 よたよたと 頭をたれながら、道路の真ん中を おぼつかない足取りで歩くその犬は、まさに あの犬さん だと 思いました。

 こちらをチラッと見て 寄ってきたので、実際 あの犬さんだと やっぱり 思いました。だから どこ行ってたの?といいながら そばによると、犬さんは ふんふんと こちらの匂いをかぎます。わかったかな と思ったのですが、すぐに そばを離れ、ちょうど 脇に上がる坂道に入ろうとするので、一緒について行きました。

 そこで ずっとぶるぶる震えていた犬さんは おしっこをして、(あ、だからぶるぶるしてたのか と おもったのですが) 自分の足をぬらした後、すぐ また元の道に戻って行こうとしました。

 ちょうど その時 車がきたので、あぶないよ と声を掛けながら、道の端に寄せようとしたのですが、すぐにはやっぱり動けないので、すみません と 車のほうに言いながら、すこしずつ 首輪に手を掛けて 移動させました。

 車が行ってしまったあと、さて どーしよーか・・ と おもったのは、そこから どうやったら 犬さんに負担にならない距離で 出来るだけ早く家に連れ戻せるか ということ。

 これをお読みの方は ご存知と思いますが、なにしろ 方向だの道だのための能力に欠けるエンドーとしましては、その道と 一つ上の道との距離だの 犬さんを飼っている家との関係などが(こんなに毎日のように 歩いているというのに・・!)どうにもつかめない。

 そこで タコ氏に電話。「あのね、犬さんがいた。犬さん 連れて行きたいんだけど どうやったらいいかな。」「今 どこにいるの?」

 ・・さぁ、それからが たいへんで。自分の居場所をいえないんですよねー・・
どう説明したものかが 分からない。 自分ではわかっていて あれこれ 自分なりの表現で伝えているのに、どうにも それが 相手に伝わらない。

 そこへ タコ氏がつぎつぎに 海から戻ってるの?とか 川沿いの道?とか いろいろ聞くので、ちがうよー とか そうじゃなくて なんていっているうちに どんどん 訳が分からなくなる。

 そうこうしているうちに また 車がきて、あぶないよ と言いつつ、電話を切ってしまった。

 もう しょうがない、自分でわかるとおりに歩いていくしかない、と 犬さんの首輪に手をかけたとき、「すみませーん。」と 言う声が。

 はて?と目を上げると、ちいさなおばあちゃんが これも 足元おぼつかない風で リードをもって 申し訳なさそうな顔で やってきたのでした。

 なんとなく あの犬さんは、その境遇に怒ったり気の毒に思ったりした人が 最期だけでも気持ちよく過ごさせてやろうと 連れ去ったんだ なんて 勝手に思っていたので、このおばあちゃんが 持ってきちゃったのかしら?なんて 思ったのだけれど、どうも そういう風でもなさそう。

「おばあちゃんの犬さん?」 「そうなの。薬を飲むのを嫌がって でてっちゃって。」
「具合悪いから?」 「そう、もう年なんでね。毎日 飲まなくちゃいけないんだけど、嫌いでねー。」

「じゃ この近所にお住まいなんですね。」「そう、すぐそこ。」

「私、ひょっとしたら 知ってる犬さんかと 思っちゃって。」「どんな?」
「ほんとに 良く似てます、この犬さんと。よく 前を通る家の犬さんが いなくなっちゃったって張り紙がしてあって、ずっと気になってたんですよね。だから さっき この犬さんを見たとき、あ あの犬さんだって おもっちゃって・・。」

「ああ、いなくなっちゃったんだ。」「ええ。」 「年寄り?」「そうだとおもう、だって 座ったり立ったりとか 移動するときが ものすごく 大変そうだったし、なかなか座れなくて ぶるぶるしていたし・・」「ああ、それじゃあ もうかなりの年だろうねー。」「そうですねー。」

 なんて あれこれ話したのですが、結局 やっぱり その犬さんは あの犬さんではなくて・・、そう 後から考えると あの犬さんは その犬さんよりも 一回りくらい 小さかったような・・。それと もうちょっと 毛づやも良くなくてよぼよぼしていたのを 思い出しました。

 気になっていたんで、色も同じだし たぶん おなじ犬種だろうから つい あの犬さんだと 思ってしまったんですね。

 ちいさいおばあちゃんとは 分かれるときに、お互い気をつけようね(犬さんとはべつのはなしになったので) お大事にと 言いあってさよならしました。

 
 葉山には 犬が多いです。猫より 多いのでは と 思うくらいです。
ですから、朝晩のお散歩時間には、見慣れた犬さん達が行き来したり、いつも通る道沿いに犬小屋があれば 顔見知りにもなります。

 特別 犬が好きというわけではないけれど、なんとなく 人なれした犬さんとは 心が行きかうようなところがあって、おたがい 控えめながらの認識をもっていると思っていたりするので、具合悪そうだったり、くたびれていそうだったり、つまらなそうだったりするのが、それなりに分かるような気もすることがあります。

 そういう犬さんのうちの一匹が あの犬さん なのですね。
その家の人たちのことなど 何も知らないのだけれど、あの犬さんは 知ってます。

  帰る道々、どこ行っちゃったんだろう・・とか、痛かったり 辛かったりしてないといいんだけど、ちゃんと 食べられてるのかなー・・なんて 思っていました。

 

 家に戻って タコ氏に 事情を話しました。 行こうとおもったけど、どこ歩いてるのか分からないから といわれました・・。はい そうですねー・・ 自分だって どこにいるって いえなかったんですから。

 で いろいろ 説明したのですが、どうしても わからない。くたびれていたのもあって その時は それ以上話しませんでしたが、グーグル地図で 見てみる?といわれ、あ ここ、ここをあるいてー と やったのですが、地図は確かに現地ではなく・・、あれ??? 自分 どこ歩いてきたんだろう? ということに。

 もう、しょうがない、そういうものということで、自分なりに納得してしまいますが、いそいでいるときなどは ほんとに 困りますよね。

 さて・・ どうしたものだか・・。

 あ それとは 別に。先に 葉山は犬が多い と 書きました。皆さん それなりのお暮らしの方達が多そうなのですが、その割りに 犬さんの落し物の始末が おできになっておられないようで、うっかり ぼんやり考え事などして 歩いていると、とんでもないことになりかねません。

 良いところで、とても 気に入っているところなのですが、今まで暮らした夫々の場所のうちで、これほど 落し物の多い土地って ありませんでした。

 葉山に住んでいて 犬を飼っている方たちの意識、良識を 問いたいところです。

 ほかより多くいる犬 ということは そういうものも ほかより多いんですから、それは飼い主の責任として 当然 始末すべきだとおもいますし そうしてほしいと 強く要望します。

 そうでないと 道に迷ったエンドーが うっかり踏んでしまいかねません。

 あの犬さんは どこにいるんでしょうね・・ あったかくして ちゃんと 食べていればいいんだけど。

 どの飼い主さんも、ほんとに 気にしてほしいです。ずっと 一緒に生きてきたんなら、ほんとに ちゃんと 最期まで 見届けてほしいと つくづく 思います。。

 

その後 気が付いたときには、例のビラは 無く・・、そして
赤い屋根の犬小屋の主が 戻った様子もありません。

どうしたかな・・と やっぱり 今でも気になっています。

あの犬さんにとって 一番 良いようであればいいな・・と 

ただ そう思うばかりです。

 

 

2  世界の息遣い

 
 白や濃いピンクの花が、春一番の大風にふかれて 梅の木がまばらになったな、とおもったら、あちこちで 青い空を背景にした 黄色いミモザの房が 目立ち始めました。

 そういえば、一昨日の朝は まだ上手とはいえない 幼げなうぐいすの声をききましたよ。

 どうも 子供の頃から どうしてだか 風の日は 風が強いほど、風の動きを追いたくなるようなところがあって、どうにも じっとしていられないという そんな感じになるのですが、ひょっとしたら これをお読みの方のなかにも 同じように思っていらした方、おありかもしれませんね。

 子供と風って なんだか 何かがおなじなんじゃないかな と 思うことがあります。
まぁ 言うところの弁によれば、気圧が関係しているのだ とか、幼いほど、自然のサイクルに同調しやすいからだ とか、色々に言われているようですが、自分に関してのみで言えば、ただ 単純に 目に見えるものが 突っ立っていない、動いている という それが 気になって仕方が無いというだけのことではあります。

 木々がしなって 風に圧されて傾いたり、緑の葉の裏白がひらひらぱたぱたしたり、それが沢山あれば 山全体が 右に左に わぁっと動いたり・・、
  畑の作物が 圧されるままに低姿勢になったり、花たちが 大迷惑そうに、せわしなく 風をよけ続けたり・・、
  開け放った窓から カーテンが表に 飛び出そうとしていたり、空き缶が にぎやかな音を立てて 道路を走り抜けたり、沢山の雲たちもいそがしそうだし、そんなものが動いては困るんだけど、でも 空でさえも 全体に大きく揺れているようで、そんな中に 自分が出て行けば、やっぱり 自分もその中の一つで、みんなと一緒に 風に吹かれて あわあわしている・・

 そんなことが なんだか とても 楽しくて、おかしくてしょうがないときがあるのですよね。

 自分のいる 自分を囲んでいる世界が すごくはしゃいで、息が荒くなっているような感じは、「世界全体が生きている!」と 思えるんです。

 心臓があって それが鼓動しているから 生きている生き物たちと、心臓は無くても 生きているものたちが、おなじところで 生き続けていることを 実感します。

 大人になれば、わざわざ風の日を選んで 表に出かけるなど しなくなるんだろうな と 思っていたし、まぁ そういう時も 勿論 ありますけれど、でも やっぱり 何回かに一回は、特に 何という用事もないのに、ざわつく世界に ちょっと 出て行ってしまうのは、ひょっとして まだ どこかに「子供のしっぽ」が残っているからなのかもしれません。

 

 かつて、実家にいた 沢山の猫たちの一匹は、風の日 というと、他の猫達が わずらわしそうに表を見ているというのに、人をよんで ガラス戸を開けさせ、ぱっと 表に飛び出しては、家の庭を ぴゅー!ぴゅー!と 音がしそうなくらいの速さで、いつまでも 興奮して 走り回ったりしていました。

 もしも その時 小さな子供がいたりしたら、きっと 同じように 表に飛び出しては 猫を追っかけたり、転がる植木鉢を捕まえようとしたり、勝手に開いたりしまったりする木戸を 笑って眺めたり、なにもなくても 風と一緒に どこまでも走って行こうとしたかもしれません。

 人間が 特別な生き物ってわけでもなんですよね。
風の日も 雨の日も 晴れの日も 曇りの日も、霧や霞のたなびく日も、どんなときも 目を表に転じれば、そこに 自分も 生きていることが わかるときがあります。

 その時の自分は やっぱり 大きな おおきな 自然の、ほんの「ちいさな一細胞」なんだって 分かります。

 自分のために 自分を良くしようとすることは、うんと先に行けば、つまりは この世界を 大事にするってことになっていくのだろうな と ぼんやり 考えたりしています。

 

 暖かな日差しと雨と風で、世の中は どんどん 春になっていきます。

 今は もう 満開の桜が 待ち遠しくてたまりません。

   

 

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