きょうは 金羊日

8月

 

1 「よきサマリア人のたとえ」について

2 切れぎれの記憶を

 

 

1 「よきサマリア人のたとえ」について

 先日、タコ氏が 送ってくれたアドレスをクリックしたところ、さるツィッターで 当方のお話のページの「よきサマリア人のたとえ」を取り上げているのを 知った。

 当方のホームページは、ひっそりと・・ つまり、どこにも属さず、なんの広告もいれずに ただ アドレスのわかっている方だけに、よろしかったら お慰みにお読みくださいというだけのものなので、それ以外のところで、こういう展開がされているとは、まったく 思いもよらないことだった。

 聖書を読んだことがあれば、子供用のものであっても かならず、でてくるお話のひとつが、この『よきサマリア人のたとえ』なのだが、簡単に言えば・・

 強盗にあって 身包みはがされた上、瀕死の重傷を負った人が、人通りの少ない山道に 倒れているそばを、三人の人物が通りかかる。

 最初の人は、身分もあり、人を導く立場にありながら、面倒なことに関わるのを嫌がって、気づかぬ振りで 倒れている人のそばを通り過ぎてしまう。

 二番目の人は、倒れている人と民族は違うけれど、お互い 良い関係にあるにも関わらず、面倒を背負い込みたくなくて、倒れている人を そのままにして行ってしまう。

 そして、三番目に通りかかったのが、倒れている人の敵とされている民 サマリア出身の人だったのだが、彼は、ひどいめにあった敵を 気の毒に思って、自分の馬に乗せ、近くの宿屋に連れて行って介抱し、宿の主人に 金を渡して 言うのだ。

 「この人を 介抱してください。自分は 出かけるけれど、帰りに寄るので 治療にもっとかかったら、そのとき 払いますから。」 といった。 

 ・・で このたとえは 何についてのものか というと、最後の問いかけにあるように、倒れていた人にとっての隣人とはだれか・・?を わかりやすく 話したものである。

 聞いていた人は、それは 最後の倒れている人の敵であったサマリア人です。と答えるのだが、それをうけて キリストは、あなたも 同じようにしなさい、と言うのだ。

 この話について、知ったことを付け加えて、お話のページに乗せたところ、地味な話の割には、クリック数が多く、ちょっと びっくりしたものだったが、2004年の8月に 当方のお話のページに付け加えられてから9年もたったある日、思いがけないところで 話題になっているのを知って、とても 不思議な気持ちがしている。。

 その いくつかの ツィートのなかに、自分は 仏教信徒だけれど、このサマリア人のやったことは 素直にすごいと思う。そうできればいいけれど なかなか 自分にはできないだろう・・ というコメントが入っていた。

 たしかに、お話の後の 当方のコメント欄に書いたように、たとえば、いったい いくらのお金を主人に渡したのかというと、聞いたところでは、当時の普通に働いて得ることのできる2か月分の金額だった、というところなどを読んでしまえば、それを もしも自分だったら できるのかどうか、実に 考えてしまうと思う。

 当時は、字を読むことのできる人たちは ごく 限られた人たちだけであり、また 学ぶことそのものや、修学、修行のできる人たちも、社会的に決められた一握りの人たちだけであって、民草のほとんどは、およそ 人並みの扱いなどうけにくかったために、難しい話よりは、こうして 人々の日常から想像しやすい事柄を選んで物語にすることによって、さまざまな教えが話されたと聞く。

 さて、つい これも先日、また この よきサマリア人のたとえについて、話を聞く機会があったのだが、そこでは また 面白い解釈をしていて。。

 人は、仲間だからとか 良好な関係にあるからといっても、自分が面倒に巻き込まれそうだとおもうと、やっぱり 損得を考えてしまいやすい。

 三番目のサマリア人のような人は、そのやったことなどを考えれば、じつに 奇特な人 といってもいいだろうけれど、それと同じようにしろ というのは、あまりに難しいとためらってしまっても、それは 特にいけないとか言うようなものでもないだろう。

 でも。。、この話は、そんな風に 大枚はたいて人助けをしなさいよ、というものではなくて、うんと簡単に言ってしまえば、われわれ日本人が 今は あまり言われなくなってしまったけれど、少し前までは よく使っていた言葉、困ったときはお互い様、という、ただ それだけのことを 言っているのではないか・・ というのだ。

 で、自分は、あ そうだな。と そのとき 簡単に納得してしまった。

 実は その助けた人のしたことが、どれほど すごいものであったかといえば、・・たとえば、ぶどう酒と油で傷の手当てをする、という場面があるのだが、当時は 両方とも貴重なもので、それを 見ず知らずの、それも 敵の命を救うために、惜しみなく使うというのは、宿屋の主人に、2か月分の労賃を手当ての報酬として おいていくことも合わせて考えれば、とても 思いもよらない 大変なことなのだ。

 果たして、介抱したサマリア人は、相手からの返礼を期待しただろうか、といえば、おそらく それは ないのではないか と思っているのだけれど、そうであれば なおのこと、なんで 見ず知らずの何も持たないもののために、それだけのことが できようか、とおもったところで、べつに ひどく心が狭いわけでもないだろう と 思う・・

 もちろん、これは たとえばなしなので、実際に そういうことがあった というのではない。ただ、困ったときは お互い様、という中には、たとえば そうすることで、自分が損をしたとしても、それで 相手が助かるというのなら・・ というのが、あるようにも思えている。

 ところで・・、今日も ひどく暑い・・
そして、この暑さの中、こんなことを ここまで書いてきたら、どうやら限界のようで、ちょっと 尻切れトンボではあるのだけれど、まぁ おあとは お読みいただいた其方様に お任せさせていただこう、と。

 お暑い中、どうか お大事におすごしください。 ご無事な日々を 願っております。

 

 

 

2 切れぎれの記憶を

 せめて 年に一度くらいは、こんなところでも 先の大戦に関わってのことを、すこしでも 書くようにしよう と、実は 思っています。

 ここ数年、戦争を体験した方たちの高齢化にともない、戦争体験についてのあれこれが 風化しそうであることが 危惧されているので、当方の両親たちにも、今のうちに 聞いておいたほうがいいだろうと おもい、この間から 水を向けるのですが・・

 9日で93になった父が話すことは、毎度毎度 同じことのみで、ちょっとでも そのとき これはどうだったの?と 聞くと、話が混乱して 時の前後がなくなってしまう状態。

 母には もう 戦争があり、その戦争を経験したのだ、という記憶も かなりかすかなことになってしまっていて、・・ ただ、ごくたまに話すことはあっても、これは おそらく 母の持ったイメージだろうなー という、実に 曖昧なことを 言うばかりではあります。

 もっと 早くに きいておけば、、というのも もちろんありますが、父にきけば いつも同じことの繰り返しで もう 耳タコ状態なだけで、新たな話というのは まるで 期待できず、母にいたっては、花火は嫌い、爆弾の音みたいだし、火花が散って 降ってくるようだから、というのや、山の上からみたら 下のほうが 真っ赤だった、とか、砂嵐って すごいのよ、二枚のガラスの間に 砂が積もるくらいで、家の中でも じゃりじゃりして とても いやだったわ、・・とか、そうした 本当に 個人的な、感覚的なものばかりだったのですが、最近は、そんなことがあったということそのものが、もう なかったことになってしまっています。

 まだ そんな風ではなかったころ、たぶん 宿題か何かで 話を聞いてくる というのがあったときにも、結局 母からは これという話は 聞けず、そのころ 父は 毎晩 帰りが遅くて、自分が起きている間に戻ってくることもなかったので、数日の猶予があったにも関わらず、自分の宿題は 出来上がらなかったことがありました。

 大人になって、夏が来るたびに、そんな話題があちこちから言われ始めると、父は なかば 得意げ?に 自分の体験談を 事細かに繰り返し、母は ただただ 黙ってしまうようになったのは。。 もう 十年以上も前のころからだったようにおもいます。

 一回、地名を挙げて ここには行ったことある? こういうこと、しってる?と 答えやすいかな と 思うような質問をしてみたこともあるのですが、意識的になのか、あるいは 本当に そうなのかわかりませんが、母は、しらないわ、を 繰り返すばかりでした。

 そして、最後に お茶を飲みながら、もう いいにすることにしたの、と 言ったことがあり、それをきいた自分たちは、すこしばかり むっとしてしまったのでした。

 ・・が、母だけでなく、もしかしたら、同じように、なかったことしたいと おもっている、あるいは おもっていた戦争体験者は 多くあったのかもしれません。

 だれでもが、ぜひとも後世につたえなくては! と 思えるかどうかは、・・わからないと思うようになりました。

 とくに 記憶をたどって 人にわかるように話すことが、そのときの体験を もう一度なぞることにもなったり、その事実が とっくの昔のことであったとしても、話すことで いきなり そのとき、に引きずり込まれる・・などということを 体験してしまったりすると、やはり なかなか、そのことについて、改めて話すというのは、難しいことかも知れません。。

 いやなものを 根掘り葉掘り聞くのも・・、あまり そういうことは しないで来た自分なので、たしかに、母の経験してきたことは、母だけに留まって、そこで風化し・・そして 誰にも言われなかったために、ある意味 なかったこと、になるのかもしれないのは わかるのですが、そこを 是が非でも と 食い下がって、問いただすというのも、自分の場合は、できないことではありました。

 ぶつ切れの それぞれの記憶をつなぎ合わせて・・、いくつかの かつての品や記事やらと照らし合わせて・・、とても 個人的な、ものすごく個人的な 戦争体験を、いつか 読めるようにできるかな・・ と 考えたりもしています。

 

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