Aurea Ovis

きょうは『金羊日』

2009年6月

1 Summer Bag

2  結婚するということ ― 愛すること

3 大声 二種

4 手帳考


1  Summer Bag

 
  そして
、また 金曜日を通り過ぎてしまった。。 やれやれ。

 その金曜日には ナニをしていたか ・・ 思い出してみると・・・、おお、そうだ、こんなものを こしらえていたのでした。

 これは なんでしょう??? と 問うまでもなく、
はい そうですね、バッグです。

 夏仕様のものがずっとなくて、だけど 夏物なんか わざわざ買う気にもならなくて、なんとなく ごまかして 何年も過ごしてきたのですが、一番のお気に入りのオールバックスキンのポシェットが、ずいぶんの使用に耐えかねて、切れてしまった(!)あとは、年間使用(ファンデーションみたい・・)の 茶とグレーの二つだけをつかったり、面倒な時は 風呂敷みたいなものにしてみたり、勿論 ペーパーバッグ=紙袋 なんてのも 当然あったり・・

 つまり、ぜーんぜん しゃれっ気ってもののない、ものが入って運べればいい、という最低機能のみを追及(??)したような、そんな お出かけタイムが当然になっていました。

 しかし。。 ここへきて、やっぱり どうにも それでは と思うようになって・・ (といったって 特別な何かがあったかといえば なーんにもないんですけど・・)

 とにかく、探しものをしていて、そのさがしものは 見つからなかったかわりに、今を知っておられる方からは どうにも想像もつかないような、かつてすんごーく スマートだったころの、今の自分では『「絶対」に入らない』ジーンズ(なんと・・!ウェスト60です!)の残骸が出てきたのです。

 そう、白なのでね、キレイなところを 小物に使ったりしたその残りのヒップ部分のみ。
最初に 小物を作った後のその形を見て、あ バッグ 作ろう、とは 思ったのです。

 ・・思ったのですが、着手しようとすると そのたびに気持ちがくじけたり、面倒くさくなったり、別に これでなくてもいいじゃん なんて おもったり。。 で 30年くらい ほっぽりっぱなしだったわけです。 

 (余談ですが・・ 30年って 凄いです。かつて 自分が それほどの体型をしていたなんて、自分自身 とーっても 信じられない。それほどの差を 肉襦袢として 今 日々 当然に維持しているんですからね〜。年月って ほんっとに怖いっすー。)

 作るときは、自分のすることですから・・ 型紙なんて ざっとしか作らないし、作って裁ちはしたものの、別に作ることもなかったなぁ・・とおもうような結果で、ジーンズのそのものを 内袋のための布の上において、ざくざくと切って袋にし、ただ 袋にしただけでは どうしても 底の部分がだれてしまうので、ここは ちょっと手を掛けて、底板を 内袋と外袋の間に止めつけました。

 で、先に書いた お気に入りだったバックスキンのバッグの肩ヒモなどは無事だったので、それを 再利用。出来上がりました・・のですが、どうにも ジーパン から 脱却できず、それでは と ずーっと持っていたにもかかわらず、数回の活用タイムにしか恵まれなかった 茶色の薄手のスカーフを ベルト部分に通してみた のが、上の写真です。

 使ってみると ポケットが深くて 表にも裏にもそれぞれ二個ずつついているし、底板を入れたことで 形もだれず、内側にポケットを作り忘れたとしても、まずまずの出来だ と。

 まぁ こういうのは 思いつきだし、だめだったらソレまでのことだし、ほんとに バッグとしての経費というのか かかったお金は、ゼロだし・・、エコを気にしたわけじゃなくて、ただ もったいないなー というだけのことなんだけど、それにしても 意外に きちんと感もありましてね。もんのすごいところへ行く以外は どこでもOK、活用範囲が広そうです。

 あー、やっと 夏物 といえるような バッグを持つことが出来たー!

 暫くぶりの縫い物で、手縫いが多かったこともあって、型紙を取ったり布地を裁ってから出来上がりまで、2時間もかかってしまいました・・が、やってよかったです。

 ちょっと・・ いえ 結構 まんぞく! 嬉しいな♪

 ・・・と こういうことをやっていたので すーっかり「金羊日」のことを 忘れていたのでした。

 反省。

 

2  結婚するということ ― 愛すること

 当方のこのサイトの中に、『幸せになる義務』という本にまつわって書いているページがある。その、5回目のテーマは「愛すること」で、それを書いているうちに、そこで あれこれ書くよりは 別にまわして書き足したほうがいいな と 思ったので、・・で ここに書くことに。

 

 2007年の2月に亡くなった恩師は、本当に いろいろな話をしてくださったが、中でも 愛することをテーマにした話は、やはり いつになっても 忘れがたいものである。

 先の頁での 今月のテーマ「愛すること」では、人を人として 愛すること についてであって、それは 日本人一般に浸透している 愛=恋愛 という捕らえ方とは、大いに 見解を違えるもののように思う。

 しかしながら恩師は、恋愛を経てたどり着く ひとつの形である結婚についても、よくお話くださった。

 そのうちの一つ・・

 『結婚するっていうのはね、この世の中にいる たくさんの女から たった一人の”この女”だけを選び、たくさんの男の中から たった一人の”この男”だけを選んで 一緒になる ということです。

 そしてね、選んだことの責任を 生涯 お互いに取り続ける ということです。

 人はね、大体 どんな人も 何年かいっしょに居れば どこか 飽きてくる。面倒くさくなったり、なにも特別に扱うことを必要だと考えなくなる。
 そういうときに 相手に不満を感じて 浮気したり、相手をないがしろにして 傷つけあったりする。

 だけどね、そうなったときにこそ、もう一度 その相手を 選んで愛していこうとする、自分の選んだ相手を もう一回選んでひきうけるということ、それが「結婚」なんです。

それはね、単に好きだというだけでは 続かない。
意志をもって 自分の結婚したその相手を愛していこうとすること、
意志的に愛する というのが 結婚なんですね。』

 そうです、まったく その通りです。そして そうであるように と すべての結婚において 願っている。

 好きになるのは 実際 ほんとに簡単。何の訓練も条件も必要ない。一目ぼれなんて いくらでも出来てしまう。そんなのは 誰に限らず 同じことだろうと思う。

 ただ それだけでは 愛し続けるためには 弱すぎる・・。

 (実に、思い出すたびに 頭が自然に垂れて来る自分ではある・・。)

 

 当方のお客様には こちらできれいになられて 結婚なさった方達がたくさんおいでになる。 そのお一人お一人の結婚が どうか 恩師のいう、意志的な愛を持って 継続されていくことように と 心から、本当に 心から 祈りつづけている。

 

 

3  大声 二種

 この何日か、○○党の宣伝カー(広報車というのが最近の言い方のようですねー。でも 人間が古いもんで、このままでいっちゃいます)が 講演会のお知らせをしながら 町中を 行ったり来たりしています。

  講演会のお知らせなんだから 別に声を張り上げることも、よろしくお願いしますの連呼も いらないだろうに と思うんですけどね、ああいうのは なにか そういうものというのがあるんでしょうか、どうしても 大きな声で、いついつ どこそこで これこれが 今の云々をあれこれ と、しつこく 何度も ”よろしくお願いします”つきで ふれ回っています。

 一方、廃品回収を呼びかける業者の車も、トラックを運転しているおじさんとは 似ても似つかぬやさしげなテープの声が これでもか というほどの大音量で呼びかけつつ、いつまでも同じところにいるかのようにのろのろと車を移動させています。

 まぁ 両方とも似たようなもので、人の関心を引こうというには 今ひとつ 工夫が足りないと 毎度思うのですが、先日 そんな2台の うるさい車で こんなことがありました。

 家の中で 片付け物をしていたときに、通りの右側から 廃品回収車が近づいてきていたのですが、ちょうど 家の前のところで ○○党の宣伝カーと すれ違いました。

 廃品回収車が「ご不用になりました・・」といったところで 宣伝カーが反対側にすれ違いながら「○○党の△△でございます。」

 いいですねー なんという絶妙なタイミングでしょう! 一人で受けてしまいました。

 このくらいの面白さがあれば もうちょっと人の耳に確実に訴えるんじゃないか と思うんですけどね。 いかがなものでしょう?? 


 先日、逗子で買い物をしているときに 店内にいるにもかかわらず、なにか 大きな お〜〜〜〜! という声が聞こえてきたので、何事かと思い 表に出てみたところ、鎌倉は 円覚寺さんの雲水さん達が数人、人や車でにぎわう道を せわしげにこちらに向かって歩いてくるのが見えました。

 私は 彼らの托鉢姿、結構好きでしてね、その時も ああ、皆さん 元気だなぁ・・と思いながら 眺めていました。

 ・・と、一人の雲水さんと行き会った初老の男性、おもむろに お尻のポケットから財布を出して、いくらかのものを 雲水さんに渡そうとしました。

 雲水さん、お布施は素手で受けるものではありませんので、ポシェットのような黒い ちょっと粋な袋物を 両手で押し頂くように 男性の前に出しつつ、低頭。

 初老の男性、これはこれは とばかりに 少し後じさりして 丁寧に その袋の上にお布施を置いた後、軽く会釈をして 立ち去ろうとしました。

 すると 雲水さん、おおきな 良く通る声で その男性の後姿に向かって読経を始めます。
男性は 立ち止まって振り返り、雲水さんが 自分のために手を合わせているのを見ると、そこに 直立不動の姿勢をとります。

 浪々と響く 雲水さんの声に、回りの人たちの目も 自然とそちらへ向かいます。

 ちょっと 小太りの雲水さんは、少々 長めに読経をつづけ、きっと 思いがけないことだったのであろうその男性は かぶっていた帽子を取り、改めて 自分も手を合わせて 雲水さんに向き合います。

 人と車の行きかう スーパーの出入り口のわきで、いつもの日常とは ちょっと違った空間が そこに出現していました。

 読経がすむと 二人は お互いに深く礼。 その後、潔く くるりと振り向いて また 足早に過ぎ去っていく雲水さんを、男性は 少しの間 じっと見つめていました。

 そんな二人を 私は すぐ近くで だまって 見ていたのでした。

 他の 雲水さんたちは それぞれ 八百屋さんや喫茶店、洋品店や新聞店などの店頭で 読経していましたが、お布施を渡す人は 少なかったようでした・・。

 すれ違った雲水さんに お布施を と おもった初老の男性は、そういうもの という生活観があるのでしょうね。 なにか とても いいなぁ・・と 思ってしまいました。

 あの初老の男性にも 雲水さんにも よい時がたくさんあるように と 私も いっしょに心の中で 祈りました。

 自分ばかりを主張する声は やはり 誰が聞いても うるさくわずらわしいもの。

  ここは ひとつ、自分は後回しにして、人様の幸いを願うために働きかけるための声の使い方を考えてみる というのは どうかな と 思ってみたりした出来事でした。

 

4  手帳考

 ・・また 金羊日の金曜日を 忘れてしまった。

そうそう、先週の金曜日は出張だったので、戻ったら書くんだなんて思っていたんでした。それがねー、何か一つのことをすると、予定なんて どっかにぶっとんでいるんですよねー。

 これが 年だから といえればまだ良いのですが、もともと そういうところがあって、ほんとに何かしていると、予定していたことなんかが いつの間にか どこかへ・・なんてことは 昔っから しょっちゅうです。 まったく、いつも それで まわりに迷惑などをかけてしまうのでね、紙に書いたり、前日に 声に出してなんども反復したりして、たまには それで事なきを得るのですが、でも また ちゃんと?忘れるんですよねー。やれやれ・・です。

 ・・と いいわけはコレくらいにして。

 毎年、もう11月頃から 翌年のカレンダーや手帳が あちこちで売り出されますね。
以前の仕事でも、化粧品の販売でしたから、11月の売り出しのときなどには メーカーのカレンダーや手帳が届いて、まぁ 適当に皆で分け合って 使ってました。

 でも やっぱり 自分の場合は、手帳を 最後まで使い切る ということが、一度もありませんでした。書いても まったく 意味を成さないので、手帳というものを利用する気がないんですね。

 カレンダーは 一度 壁にかけてしまったりすれば、まぁ ちらっと眺めて日にちの確認などはしますけれど、それに 気に入ったカレンダーは ちょっとした 絵とかイメージフォトがわりですからね、それは それで 利用してはいるんですね。

 でも 手帳には まったく縁がありません。

 余りのかわいさなどで つい買ってしまったとしても、まぁ 使ったといえるのは 長くて3ヶ月あったかどうか・・です。
 あとは 空白のまま、まーっしろのまま。かばんに入れてはいるものの、どうしてもというような買い物のメモくらいで、結局 なにもつかわないで・・、(あ たまに 待っている相手が遅いときなど、破いて折り紙なんかしたりしたことは ありましたね。) そして、そのうち 手帳を持っていることすら わすれてしまって・・ というようでした。

 そんなですから、あるときから きっぱり 手帳を持つことをやめました。でも だからといって 自分が困ったことは 対してありません。まぁ こんな自分ですので、コレというほどの用事もないのですけれど ね。 今までのところ カレンダーに書き込で ソレですんでいます。

 わかんなくなったり 困ったりしたら 聞けばいいことなので、細かく覚えていても 特に自分の場合は、記憶することそのことに疎いので、憶えきれないほどの予定は持たない、なんていうと ちょっと かっこいいみたいですけど、まぁ しょうがないかな と。

 自分の場合ですが、手帳をもたない、とか 予定を気にしない となると どういうことが起こるかというと、まず 気楽です、それも 結構。で 次にどうなるかというと、なるべく 予定を立てない、手帳に書くほどのことは 簡単に約束しない なんて風になります。
 これ あくまでも 自分の場合は、ですよ。

 しかしね、以前、あるセミナーで 教えていただいた先生のお一人が、まさにそういう方でしてね・・

 その方は、英語は当然堪能でいらしたのですが、珍しいことに スェーデン語に精通しておいでで、英語はともかく スェーデン語を ネイティブのように話す日本人って めずらしいですから、かなり いろいろなところで 活躍されておられました。

 小柄で、とても元気な意欲的方で、声も大きく、はきはきしていて、それでいて 人に対する細かい気遣いをなさる、人間的な魅力に溢れた方でしたね。

 その方が あるとき、ご自分の手帳を開いて見せてくださったことがありましたが、その翌月のページは 真っ白だったのです。

 「僕はね、今の時点では 来月の予定は まったく何もないんです。たいがい いつもこんなもんなんですよ。でも まったく心配していないです。必要とされるなら ちゃんとお声がかかりましょうからね、そうしたら どこそこへ何時に行く と書き込む、それで ほら。」と 前のページ 「こんなに 真っ黒になっちゃうんですよ。」

 まぁ 遠藤の場合とは まったく違いますけれど、9・11の時などは、世界中から入ってくるニュースを 迅速正確を競う翻訳するために不眠不休で働かれた方とは とても思えませんでした。

 私たちに 手帳を開いて見せてくださったときは もう その月もおわろうとしていたころでしたが、ほんとに 次の月のページは真っ白、何の予定も書かれていない。で 前の月は まっくろ・・でした。

 

 私たちの毎日って どうなっているのかな と 時々 立ち止まって 考えてもいいかもしれませんね。 何をしようと 何もしなくても 同じように 時間はながれ、過ぎて行きます。

 どうせ 同じに過ぎていくのなら、あれこれ 思い煩ったり、気にし続けたり、人の予定や計画に練りこめられることも ないかな、なんて 思ったりしています。

 歯医者とか病院とか それから お客様のご予約についても 自分の場合は、カレンダー一枚で 事足りています。勿論 そんなもんじゃ すまないという人もたくさんいるでしょう。
 ですから 自分に限り ではありますけれどね、・・やっぱり 手帳は 要らないです。きっと これからも 持たないでしょうね。だいたい 書とめようという気持ちがないので・・ね。

 そんなだから、学校に通っているときも 一年で大学ノート一冊を四教科分で使っても 白紙が残してあったりしたわけなんですねー・・。

 そうか・・ メモ ということが 出来ないんですねー、たぶん。
・・なんてことを 半世紀以上もたってから きづいても・・ ですよね。

 はい お粗末さまでございました・・!

 

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