Aurea Ovis

きょうは『金羊日』

2009年8月


1  あと4ヶ月

2  悪は滅びよ と 願う

3 断罪しないこと

4 Sea therapy


1  あと4ヶ月

 後4ヶ月になってしまった・・!

 そう、今日は8月。それも1日。
で その4ヵ月後というと・・? そうです、クリスマスです。

 また 何で真夏に と 大方は思われることと思いますが、これは 子供たちが小さい時からこのかた ずっと そういう暮らしだったために、もう そんなことで 騒ぐような子供なんていないのに、いまだに 8月というと「さて クリスマスの支度をしなくちゃ」と なるからなのです。

 なんでまた 真夏にそんなことを思うかというと・・、
当時 実家に寄生していた我々ですが、成長期にして食べ盛りの子供が4人も5人もいたりすると、とにかく 食べて着せて寝かせる というのが、日々こなさねばならない殆どにしてこもごもだったりするので、たまのイベントなどの際、いきなりソレに対応する といのは はっきり言って予算はないしわ、手作りをするにしても 時間もないわ、買い物に行ったりなんかしたら、その両方がないわ・・で、結構しんどいことになってしまうわけです。

 ・・で、あるとき、ふと 時間がないのなら 時間があるときを ちょこちょこ使って手づくりにすればいいじゃないか ということに気づき・・(なにしろ そういう考えにいたるまでに時間がかかるのですねー) その時から せっせと 手作りで クリスマスにプレゼントしたいものを 作り始めたというわけなのです・・。

 しかし・・、それも まだ 二人くらいまでなら 最後をはしょったとしても 長くても 2ヶ月もあれば、なんとか 日々の合間仕事で 出来てはいたのですが、それが 4人 5人になると・・、とてもそんな適当なことでは 無理になってきて・・

 で あれこれやってみた結果、どうも 夏から始めたほうが よさそうだ ということに。
なにを そんなに時間をかけて と おもいますよね、普通。はい、自分もそう思います。

 上三人が女の子だったので、やっぱり ちょっとおしゃれな服など クリスマスにくらい 着せたいな なんて おもって(しまった自分・・!)、当時 まだ それほど 縫い物らしいことも出来ないのに、結構 こった服などを作り始めたものの、何しろ、布の裁ち方からして 良く分かってないし、一枚の服、それも冬の子供服 となると、ぜーんぜん簡単なんかじゃなくて、かなーり 大変・・というのは、やってみてはじめてわかったというような次第。

 それでも 四苦八苦して、ようやく一着縫いあがったときは、うれしいより何より、なんでこんなに時間がかかるんだ・?!でした。

 それを、一着じゃないんですから・・、しかも女の子は三人で、上二人は 大体サイズは同じくらいだけど、三番目はまだちいさかったから 同じようなものを着せるのは ちょっと妙なので、彼女だけは また改めて デザインも考え、型紙も別にとって・・。

 ようやく出来上がって やれやれ と思いきや、子供って 半年の間に おっきくなったりするんですよねー・・。なんか とても むなしくて 哀しかったこともありました。
 (それでも せっかく作ったんだから と 無理やり着せて 嫌がられたりもしました・・)

 しかし又 懲りずに(というか もう意地になってましたねー。)これでもか、これでどうだ といわんばかりに作り続け、気が付くと いつのまにか そんなことが習慣化していて・・、それに 少したつと 縫い物にも慣れてきて、ある程度の期間で出来上がって、まだクリスマスまでに余裕が出たりすると、今度は 同じ服を着せたぬいぐるみ人形を 夫々に作ったり、別にあれこれ作ったり・・

 ・・つまり 大変だ 忙しいと言いつつ、結局 自分の楽しみになってしまった ということなんですねー。 

 当の子供達ですか? 今だからいうけど という 大人になってからの彼女らの発言は、そんな自分への厳しいお言葉、「あれは完全に親の好みだったよね。やだなーっておもったって 一生懸命作ったなんで言われるとねー。でも やっぱ もっとこういうのって言いたいときも あったよ。」

 まぁ そんなもんです、親のやることなんて。 (ごめんよー。でも 楽しかったんだもん。)
 
自己満足って言うんですよ、こういうのを。 はい 承知しております。

 しかしながら 男の子が出てきた時点で それは また 別のことになりまして、男の子達には 特に 何かを手作りしたというのは ごく小さい時のことばかりで、ある程度大きくなるころには、自分が外に出て働いていたので、つまり そんな面倒な手のかかることは、それ以来 やってない・・ と 思ったのですが、そうでもなかったというのに気づきました。

 他所様のお宅では、昨日 お父さんがお土産に買ってきてくれた、とか、お姉ちゃんがどこかへ行ったので、お土産にもらった などということがあっても、我が家でソレをやっていたら、どこかへ出かけるたびに 結構な出費と手間がかかってしまいます。

 そういうことにならないように、と考えたのが、夫々の誕生日とクリスマスやお正月などのイベント以外は、普段は何もない、と 覚えこませることだったのですね。

 でも やっぱり、そういう大人の都合で、子供の楽しみを 幾ら仕方のないこととはいえ 取ってしまうというのも、気持ちのどこかに後ろめたさもあったわけで・・、まぁ 言い訳になりますが、そんなことが 一生懸命の(つもりの)手作りになっていったんだろうと 思えています。

 そんなことで、誕生日やクリスマスは できるだけのことをしてお祝いする という意識が、その時季が近づくと、気持ちが高揚させる・・というか、やんなきゃ!と なっていたわけですが、

 こと 男の子達の場合は、手作りできないものの要求が最初からあって、おもちゃにしても なんにしても 外で買うしか方法がないというリクエストばかりだったんですね。 そこで 結局 仕事の合間に あちこちにいって 探しまくって 予約して・・という、そんなことに 時間をとられるようになりました。

 働き始めてからは クリスマスどころじゃなかったので、徐々に手作りのものも 減っていきましたが、その代わりというように、当日の料理などに リキをいれるようになって・・ 
 そのために 材料をかき集め 下ごしらえをし、前日には 冷蔵庫の奧には びっしりそんなものがつめてある なんて状態にすることが、当時の自分のすることではありました。

 そのお菓子や料理の献立やデザインも 夏になると 始めていたのは、やはり あと4ヶ月しかない!という危機感?からだったように思います。

 しかし・・、子供らの小さいときは 針仕事も危ないから といって、彼らが寝た後にやったり、間に合わないと、庭に立てたプレハブの仕事部屋に篭って、夏休みに汗だ〜らだらで 冬物の暖かい布地に囲まれて 縫っていたり・・、今思うと なんで そんなに一生懸命だったんだろうと おかしな気分になりますが、なんだか それが 毎年恒例になっていて、もうそういうことはしないというのに、その気分だけが いつまでも残っているという自分が、なんか おかしいやら 気の毒やら・・。

 自分って 結構 自分で作った決め事に縛られるタイプ かも なんて、いまさら気付いたりしています。

 さて、今日から8月。今年のクリスマスは 何にしようかなー・・  ・・・?!

 

 

2  悪は滅びよ と 願う 

 田母神氏が広島で講演 「被爆国として核武装すべき」

 原爆の日の6日、政府見解の歴史認識を否定する論文を公表して更迭された田母神俊雄前航空幕僚長が広島市で講演し、「唯一の被爆国として、3度目の核攻撃を受けないために核武装すべきだ」と主張した。

 日本会議広島が主催し、演題は「ヒロシマの平和を疑う」。参加者は講演に先立ち君が代を斉唱し、黙とうした。

 田母神氏は「2020年までの核兵器廃絶は夢物語」と、秋葉忠利広島市長の平和宣言を批判。「核保有国同士は相手からの報復を恐れるため、先制攻撃は絶対にしない。国を守るため、日本も核兵器を持つべきだ」と持論を展開した。

 秋葉市長は6月に「被爆者や遺族の悲しみを増す結果になりかねない」として、日程の変更を要請。県内の被爆者7団体も7月、連名で抗議文を送ったが、田母神氏や主催者は「表現の自由だ」などと応じなかった。

 会場周辺では、田母神氏の主張に反対する横断幕を掲げ、シュプレヒコールを上げる団体と、右翼の街宣車が言い争う一幕もあった。
                                   
2009/08/06 19:58 【共同通信】

 「核保有国同士は相手からの報復を恐れるため、先制攻撃は絶対にしない。国を守るため、日本も核兵器を持つべきだ」と持論を展開した。

 それをもってるんなら、こっちはこれだ。どうだ、まいったか! ってなもんです。

 人間というのは 浅ましく 浅はかで、悲しい生き物でもあります。
とてつもなく すんごいものを持っていれば、ちょっと 使ってみようかな・・なんて思っちゃうってのは、よくあることです。 
  そんなこと 絶対にない、なんて だれがいえでしょうね。人ほど、誘惑に 弱い生き物は ないんだろうな と 思っています。

 「いくら言論が自由だといったって、ヒロシマでの慰霊式を揶揄することは許せません。ヒロシマでは大変多くの人々が、家族の命日なのです。だから、爆心地近くのお寺のお墓は、線香の煙でもうもうとするほどなのです。まだまだ生存してる被爆者は、いやでもあの地獄を思い出し、涙する日なのです。ヒロシマ中が命日なのですよ。多くの人にとって、決して過去の出来事ではないのです。(父の名前も慰霊碑の中に入っています。)

 麻生氏が慰霊式に来るそうだけれど。この人も、田母神の講演会を主催する「日本会議」の重要なメンバーなのですね。」 

 時が経って、ヒロシマが情けないことになりました。

                        (産婦人科医 河野美代子さんのブログより 抜粋)

  秋葉市長は6月に「被爆者や遺族の悲しみを増す結果になりかねない」として、日程の変更を要請。県内の被爆者7団体も7月、連名で抗議文を送ったが、田母神氏や主催者は「表現の自由だ」などと応じなかった。

 こういうことを 言論の自由だもん!なんて いっちゃえるのって 鼻で笑っちゃいます・・。

 おもうに、わがままなんでしょうね。T氏の所属するに連なる人たち・・、つらつら眺めれば、これは まぁ どうしても わがままになっちゃうんだろうな・・ というような面々。
 (しかし・・ 恐ろしいほどに 似たような輩が ふき集まっちゃった団体ですなぁ・・)

 ま いいです。 必ず 悪は滅びるんです。

 ショーペンハウエル氏も かつて言ったとか、「最大の報復は その子供を わがままに育てることだ」 と。

 そう、悪は 滅びる。 お約束です。

 だけど、そのまえに 悪は はびこることもある というのも、承知しておきましょう。
そこに 正義の使者なんて 現実には こないので、だから 一人一人が ちゃんと 現状を把握、見据えて、自分の頭と心で 物事を見極めていく必要が どうしてもあります。

 (正義の使者は 何故こないか というと、一人 あるいは 少数のものに 責任を転嫁されるのは 不当だからだという 人間の当然の心理が働くからじゃないかな と。
 みんなが ある特定の人物に 荷を負わせて やれやれ ばんざい なんて、普通に考えても ずるいですからねー・・ )

 好き嫌いじゃなくて、人を傷つける暴力行為ではなくて、丁寧に、粘り強く、一生懸命、心を込めて お互いに時間をかけて話し合う ことができるのも 人間の良いところに あると思うんですけどね。 

 面倒くさかったり、分けわかんなくなっちゃったり、言いたいことが言えなかったり、言ったことを曲解されたり・・なんかして やになっちゃうのかもしれないけど、でも やらなくちゃ。

 だって、我々 人だし・・ね。 相手の存在を滅っすることで 敵をなくそうなんてのは、やっぱり はびこる悪に加担するのと同じことになっちゃうし・・ね。

 勿論、悪のほうが おつむがいい場合もあるでしょうけど、でも ま、悲観ばかりしていてもしょうがないし、いやがらせや 意地悪、不当な権利を 当然顔で主張するやからを、だからって ほっといていい なんて だれもおもわないでしょ?

 戦争や原爆などについて、誰が悪いか なんてのを探し出そうと なんだかんだとやるよりは、どうして そういうことになっちゃったのか、なにが そういう結果をもたらしてしまったのかをきちんと 解き明かしつつ、そこから得られた答えや情報を、身近な人たちや回りの人たち、遠くの人たちなど、たくさんの たくさんの、たくさんの 人たちに 伝えて、一生懸命 伝えて、知ってもらって、それぞれの胸の中に、そんなの嫌だ!絶対 もうあっちゃいけないって 思うようになることを願って 行動することを促すことのほうを、まず しなくちゃいけないんじゃないか と このところ おもってます・・。

道の先に 好きな人を見つけて 思わず走りよろうとしたとき、
小さな子が ようやく歩けるようになって、お母さんのほうへ両手を差し出したとき、
行ってきます、行ってらっしゃい、と声を掛け合っていたとき、
友達と一緒に出かけるために 待ち合わせの場所に急ぐとき、
今日は 良い試合をしようと勇んで歩いていたとき、
田舎のおばあちゃんのうちに泊まりに行くのに 重い荷物を抱えて、汗をふきふき駅で電車を待っていたとき、
今日の子供の誕生日には 何をかって帰ろうかと考えながら会社に向かっていたとき、
犬の散歩に出かけるおじいさんに、暑いから帽子をかぶるように言っていたとき、
いつものバス停から乗ってくるおなじみの顔を、確認しつつ、今日も無事でいられるように とバスを運転していたとき、
早朝から 開店時間に間に合うように準備して、ちょっと 一息入れていたとき、
家の前の道を 掃き掃除していたとき、
朝ごはんの終わったテーブを片付けて 新聞を広げたとき、
庭の花木に水をやっていた時、
病気のお見舞いに出かけるために 日傘を差したとき、

 なんでもない そんなごくありふれた日常のその次の瞬間が、もの思うまもなく 無くなってしまったら・・!

 それも 多くの、多くの たくさんの いっぱいの人たちが 同時に、一瞬に、あっというまに そういう目にあったら・・!

 その中に 自分の身内がいたら、自分が好きな人がいたら、自分の大切な人がいたら、そして 自分がいたら・・!

 どこの国の どんな人だって、そんなこと 嫌に決まってる。 

 和をなして 平らかである世界のために、せめて 自分は何をするか、決めて 行うのみ。

 

 

3  断罪しないこと

 夜回り先生こと 水谷修さんの講演を聞かれた方のブログに、あるシンナー中毒だった少年の話がありました。

 貧しい母子家庭のその少年は、五年生のときに 母親が寝込んでしまい、学校では いじめを受け、6年のときに 暴走族に入ってシンナーを覚えて4年経ち、一時 水谷さんの家で 一緒に暮らしたということでした。

 水谷さんのところでは シンナーはやらないのに、家に戻ると吸ってしまう。その繰り返しで、あるとき 少年は水谷さんに「薬物止められないのは薬物依存って言う病気なんだって。
病気は病院へ行かないと治らない、水谷先生じゃダメなんだ。」といって、専門の病院に連れてってくれるように 言ったそうです。

 水谷さんは むかついて(と書いてありました。)「今日は無理だ、来週連れてってやる。」
と 突き放し・・ 先生に拒否されたと思った少年は その4時間後、シンナーのオーバードーズの末に ダンプに突っ込んで命を絶った、とか。

 火葬場で 水谷さんは ぼろぼろになって拾うことも出来ない灰になった彼の骨を、手でかき集めたそうですが、後日、薬物治療の専門家と話しをした時に
「愛の力では ドラッグはやめさせられない。先生、あんたが彼を殺したんだ!」

 と 言われたそうです。

 先日は 娘のひとりの 月に一度のクリニックの日でした。

 いくつもの病院を訪ね歩き 一年半まえ、ようやく ここなら と 思われるところで治療を受け始めた娘でしたが、相変わらず 外出時は 苦痛のようだし、用を済ませて戻れば戻ったで 疲労でくたくたという そんな具合ではあります。

 薬の長期常用については、不安も多々ありはしますが、今のところ、当の本人は 薬の効果を かなり実感していて、今までのわけの分からない不安感や焦燥感がなくなっていることや、理由なくむかついたり 怒鳴ったりしていたことが、なぜ それほどに感じていたのか と 思えるようにもなっているということで、それに おもねるというほどではないものの、できるだけ心穏やかに暮らすために と 自発的に 服用を続けています。

 それでも 娘自身、いつまでも薬に頼っていても という気持ちはあるようで、前回は 先生に すこし薬について 相談したそうです。

 先生は、今 大分良い状態になって来ているのを実感している、ただ、暑い時季に落ち込むというのであれば、この時季に すぐ 薬を変えたり減らしたりは しないほうが良いだろう、後ひと月 様子を見て それから 又考えましょう と言ってくださったそうです。

 

 この娘のことでは、身内での言い争いが絶えず、ことに おととしの冬には 弟と嫁いだ娘夫婦から、老親への気遣いもあって、とにかく 出て行け、ソレが出来なければ 施設に放り込めということで、かなりの混乱状態になったことがありました。

 〈言われても仕方のないようなことを言ったりしたりはしてきてはいましたし、親の自分自身、そういう娘を抱えて どうしてよいやらで、ただ会えば話を一方的に聞くばかりという そんな対処的なことで 済ませてきてしまったということも、それを言われるちなみにあります)

 いまだに それも続いているのですが、その大騒ぎの後、さすがに娘本人もなにか行動しなくては と思い、親の捜してきた 何軒目かの今のクリニックへ 重い腰を上げて出かけていった という経緯があります。

 本当に ありがたいことに、万に一つといってもよいほどの相性の良い先生に担当していただくことが出来て、事情もよくご理解いただき、治療を開始することが出来、当初の先生が辞められた後も、よく引き継いでくださって 現在も続いています。

 弟は 施設の職員をしているので、こうした事情にも精通しているため、「彼女は決して病気なんかじゃない。ただのわがままなんだから、そんなことに 病名をつける医者なんか 自分は認めない。」といい、なにしろ「親の愛情不足と勝手がまねいた結果」だというばかり。
 娘の状態が良くなってくれば、「事情が酷くなってきて どうしようもなくなったからと、ようやく一緒にクリニックに行ったりすることで出来てきた親子の行き来きで良い結果になって来ているだけで、薬がきいているなんていうんじゃないんだ。薬なんかなんの意味もないんだ!」と 言ってはばかりません。

 やれば そうなることを ずっとしないで こんなにしたのは あんた(遠藤)のせいだ と。

 ま そう言われて、反駁するほどの気力もないし、まぁ あたらずとも遠からずですし、黙って聞いていましたが、あとで それを聞いた娘は こういいました。

 「こういう薬を飲んだこともないものが 何をいってるんだ。確かに薬の効果はある。実感している、だって 生まれて初めて、今まで いらついてしょうがなかったことが、どうして そこまで騒がなくちゃいけないことだったのか と思えるようになって来ているし、とにかく 呼吸が楽。それは いままで 殆どなかったことなんだから。そういうこともしらない人間が 単に情緒だけの問題として こういうことを扱ってほしくない。」

 彼女自身、たしかに クリニックに通うということや、そこへ行くための外出などは、今も緊張し、困難を感じているために、やはり ひとりでではなく、身内の気心知れた相手といっしょに行動することを条件としてはいますが、電車に乗って というのでなければ、最近は どうしてもの必要に迫られると、たまに 買い物袋をもって 夕闇にまぎれて ひとりで スーパーへ出かけたりすることが出来るようになってきました。

 ここまで来るのに 1年以上 かかったのです。
もっとはやく そういうグループや医療機関に出向いていれば というのも 幾らもありましょう。おかしいな とおもったときに さっさと向かい合っていれば というのも 勿論 ありましょう。それは 過ぎてしまったことについて あれこれいうという すべてのことに共通する 言い訳でしかありません。

 すべての物事には『時』がある というのを 私は信じているので、その時が 長い流れのうちにあっては、いちばん その人にとって、あるいは そのこと(またそれに関わるすべて)において、良い時だったのだ と 思っています。

 一方的に 物事を、とくに 人に関わることを 見て裁断することは いけないと思うのです。だって どんなことも「その人」だけを中心に物事が進んでいるわけではないのですから。

 ソレに関わる すべての人や物事をかんがみても それが その時に行われる必要というのが あるのだ というのが 遠藤の考え方です。後悔することも、ですから あまりないといえるのかもしれません。
 痛いものも 辛いものも、嫌なものも 見たくないものも 聞きたくないものも、したくないことも、そうしたこと一切について、誰一人 なんのきめつけをすることはできないと思います。

(落ち着いて考えてみれば かなり遠慮がちな構え方ですよね・・、そんなこと 言っているうちに 大変なことになっちゃうなんてこと 幾らもありましょうよね。 こういうのも ひょっとしたら 性格的なものなのかもしれないですね。)

 ただ、大切なことは、断罪しない ということだと思います。

 どんなことが起こったとしても、それが その人のせい、確かにそうであっても、ただ その人だけのせいでおこったのだ と考えるようには なりたくないと思っています。

 様々なことが重なり絡まり、いろいろな人が関わって、そして そういう結果になったのだ という それを あらゆることにおいて 認識していないと、ただ一人の人に 何もかもを押し付けることになりましょう。 

 でも だからといって それで ものごとは解決しないことのほうが多い、ということも 私達は しっておくべきであり、理解しておかなくてはならないことだ と 思うのです。

 人を非難し断罪することは 誰にでも出来ます。でも ソレはあえてしない。
それは ある意味で 人を許すことにもなりはしないだろうか と 思ったりもするのです。

 

 

4  Sea therapy

 8月も もう終わりになりますね。どちら様も 良い夏をお過ごしになっておいでのことと思いますが、一度は 海など いらっしゃいましたか?

 海の近くに住むくせして、夏の海には なかなか いかないんですよ、遠藤は。
気が付くと 今まで生きてきて 海が身近でなかったとき、というのは、葉山に来る前の 逗子市久木に住んでいたことくらいで、子供のから、海に行くのに 乗り物に乗っていく という習慣は なかったようにおもいます。

 それが いいのかどうかは分かりませんが、海に近いと思うと、いつでもいける という そんな気になっているせいか、そして 夏になると めちゃくちゃ 人が一杯になって なんだか 別の土地のような気がしてしまって、なかなか 行かなくなってしまっています。

 夏の前後、あるいは 春とか冬のほうが(どちらかというと春・・かな) 海は良いように思います。もちろん  自分にとっては ということではありますけれどね。

 今 すんでいるところから海へは ちょっと 歩きます。でも 今の自分には 適度な散歩になるので、たらたら歩きながら 坂を下りて 海に行くこともあります。
 浜辺にまで行かなくても、実家に行くときは 海岸通りをバスが通っているので、右手に海と 天気によっては富士山やら丹沢連峰、大島などを眺めることができます。

 やはり、眺めるだけでも 海はいいなぁ・・と思いますね。どうしてだか 気分が晴れ晴れ、というよりも ぐんと広がる感じがするんです
  むこうへ むこうへ と 広がっていく気がするんです。それが とても いいのです。

 先日も 実家からの帰り、その日は 珍しく まだ 日のあるうちに戻ったので、久しぶりに夕方の海を見ることができたのですが、その時の海は 殆ど波も立たずに静かで、灰白色に近い鋼色をしていたので、よく磨かれたスチール板を連想したくらいでした。

 そして その静まり返った海のところどころに 黒い影のような岩が いくつか置かれているようにあり・・、空には 緞帳のような 青みが勝った濃いグレーの厚く、高くそびえるような雲が、面白いことに ずっと 海面から かなりの幅を持たせて 横に広がっていました。

 その 重たそうな厚い雲の上にあった眩いほどの夕陽は、バスが動き出してしばらくすると もう その緞帳雲の向こうに 姿を消し始め、バスが それを追いながら進んでいくうちに、とうとう すっかり顔を隠してしまいました。
 
でも その輝きは まだ 空に残っていて、雲の端を金色に縁取って、それはそれは 繊細な手仕事のように、きらきらと 細く華奢なレース編みのように、きれいでした。

 もう、そういうものを みることができた というだけで、その日一日のつかれは 簡単に 吹っ飛ぶんですよね。これが また 不思議な海の、というか 海と空とそこにいるものたちの力なんだなぁ・・と 思います。

 海に行って、ほんの少しだけ ボートを岸から放して 海の上に漂っていると、日常の音がまったく聞こえません。 ボートに当たる波の音と、眩しい日差し、あとは自分の息遣いくらいしか 聞こえないんですよね。

 ちょっと不安な感じ、恐い感じがするのですが、ただ ものすごく明るいということと、波の音しか聞こえないっていうのは、とても不思議なものです。

 海の上から 陸のほうを見ると バスや車は行きかい、浜辺には 人が溢れているのに、そのざわめきも 騒がしさもない。ただ カラフルな無声映画を見ているように、人やものが動くばかりで、そこからは何の音も聞こえないんです。

 ・・で、自分は ただ 波に揺られて、ボートの中で仰向けになり、まーっさおな空やソフトクリームみたいな入道雲を眺め、ときおりジャンプする魚の音を 妙に敏感に聞きつけたりして、うつらうつらしたり ・・ していました。

 まだまだ 日に当たっても なんのトラブルも心配しないでいられたころのお話です。

 今は もう、ね、ちょっと 日に当たっただけで 真っ赤に近くなりますし、その後が 面倒で適わないので、それもあって 夏に海に行くことは あえてしないのですが、でも 夕方とか、朝とか、曇った日とか、風のある日などは、やっぱり 行こうかな と 思います。

 ここ、葉山の それも 一色海岸は 御用邸があることもあり、警備がものすごく厳重で、気になると なかなか 楽しむという雰囲気にはなりにくいかもしれませんが、小さな浜辺なので、端から端まで歩いても さほど大変ではないこともあり、御用邸と美術館の間の小道から海に出て、汀を 葉山公園のほうへ歩き、そこから 道路に出て、坂を上って戻ってくるのは、ただ 歩いているだけなのですが、かなり よい運動になります。

 現在、両親や娘のひとりのことで、週に最低1度は 実家に通っているので、その行き来だけの時だけでも 海を見ることができるのは、かなり 自分の心身によい影響を及ぼしているな と 思うのですね。
 海を見ることで 気分が 大分変るのを感じられていて、ちょっとした セラピーのようにも 思うほどです。

 軽い山歩きも とても好きですが、身近に これほどの自然があるのですから、出来るだけその恩恵に与るべきだし、相した環境に居られることを 感謝したいと思っています。

 本当は もっと 海側に住んで、夏になったら 小さい人たちのいるお母さん達のエステの間、お父さん達に 子供達を見てもらって・・なんて そんなことも考えていたくらい、海辺の生活を 楽しく過ごしたいと思っていたのですが、なかなか あれもこれも 現実は厳しくて・・、葉山の海側なんて やっぱり かなり なにもかもがお高い。 
 夢だけに終わる 自分が ちょっと 寂しくもあります・・が、でも ま それはそれ。

 せっかく 海近なのですからね、心のお薬のつもりで、これからも 海と仲良くしようと 思っています。

 今日は 夕方は 雨が降るといっていました、でも 雨の海も いいですしね、時間があったら 8月最後の海に出かけてみようかと 思っています。

 


8月最後の夕陽

 

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