Aurea Ovis

きょうは『金羊日』

2009年9月

 

1 命の実感

2 大迷惑の削除

3  『夏の疲れ回復スキンケア』の勧め

4 気になる家

 

1  命の実感

 「あと4ヶ月」なんて言っていた8月が あっという間に過ぎてしまいました。

 一体 自分は 何をしていたのやら・・と なんだか 妙に むなしい気持ちになったりするのは、はやくも 夏らしい暑さが遠のいて この数日の朝晩に 急に虫の音と伴に 涼しさを感じるようになったからでしょうか・・。

 でも まだまだ 日中は 動けば汗ばむこともありますし、近所の幼稚園では 運動会の準備に忙しそうで、前を通れば かわいい歓声が そこだけお祭りのように一杯です。

 そんな先ごろのこと、連れ合いのタコ氏、出先から 1mくらいの長さの発泡スチロールの箱を抱えて戻ってきました。

 なんでも あまったから といって、渡されたとのことで、蓋を開ければ 体長70cmほどの立派なカンパチが氷水の中に・・!

 大変、ほんとに ものすごく ありがたく、こんなことは まず もう二度とはないだろうと 思いました・・・が しかし!なのです。

  実は 遠藤、魚を捌けません、いえ まな板の内に 乗り切ってしまうような大きさのものなら なんとか 頑張れるのですが、なにしろ これほどの大きな丸ごと一尾ってのは・・、とても苦手、というか、とても できないよ!と 怒り放ってみたりしてしまいました。

 それにしても、この 大きさ!この胴体の太さ・・!で なにしろ 重い・・。どうしよう・・・!
大体 まな板になんか乗り切るわけもなく、流しの中にだって 収まらないんですから。

 でも ほうっておくわけにはいきませんしね、途方にくれて 半分パニックになって、なんで 自分で出来もしないようなことを 人にさせるのよ!?と タコ氏に文句を言いながら、とりあえず尻尾をはみ出したまま、頭の部分を斜めにして 流しにギュッ。

 タコ氏、ようやく しまったとおもったのでしょう、僕がやるから、僕やるから、と ネットで調べたようにやろうとする・・。
 ( あのねー、書いてあることと 実際は まーったく違うんだよー。)

 ま 見ていたところで、やっぱり 何にも分かっちゃいないので、結局 こっちも手を出さずにはいられないのですけれどね、とにかく、まず えらの下に包丁を入れて、なんて おもったのに、当方の所持する包丁は 菜切り包丁なんでねー・・ 入りゃしないのですよ。

 料理バサミを取り出したり、刃のあて方を替えたりして ようやく切れ目を入れたものの、そこから先へ進まない・・。身がしまっているのと 何しろ大きくて、包丁の長さが足りなくて、魚の中ほどへなどに届かない。

 それでも、そんなこんなに あれこれしつつ、ようやく 腹を開けば、これまた 当たり前ですけれど、内臓があって・・、しかも 本当に しっかり内臓膜に守られて、これがまた 取り出せないほど しっかり みっちり ぴったりとくっついているんですよね。

 それは もう 当然でしょう。だって 生きるためのものが そう簡単に取り外せたりなどしたら、大変なことになりますし ね。しかし、それにしても 凄い密着度でした・・。

 もう この部分は 自分の手には負えませんので、タコ氏にやらせましたけど、少しずつ 膜を包丁ではずしながら ようやく 尾のほうから頭に向かう途中までは取り外せたものの、その先、心臓から上が ものすごくぴったりとくっついていて タコ氏が力を入れて ひっぱってひっぱって やっとのことで 内臓を取り出すような始末。

 で、まず 頭を落として と 思ったのですが、これが・・菜切り包丁では 当然 無理でして、なにしろ ほんとに 刃がたたない。で 最後は 諦めて、そのままで三枚におろそうとしたのですが、いや もう 三枚におろすなんて無理無理。結局 五枚におろしました。

 四苦八苦に悪戦苦闘を重ねて、なんとか 身をはずしはしましたが、

 なにしろ 捌き方が ヘタ!・・で。 

 だから 骨に たくさん身がついたままだったのですね。勿論 その部分は きちんとスプーンでかき集めて ねぎ、梅干、生姜などとあわせてたたき、団子汁にして いただきましたし、えらの部分なども含め 捨ててしまうようなところでは、だしを取り、湯がいた後、まだついていた魚の身はほぐして酒を振り、炒ってそぼろにしました。
 (昨日は そのそぼろも使って 五色ご飯にしましたよ、おいしかったです。)

 とにかく 取れたてでしたから、ここはやっぱり刺身でしょう!ということで、まず 捌いたその日は半身の半分(1/4尾分)を 厚めに切って、お刺身に!
 それと味噌汁とご飯という ほんとの一汁一采というのに、それだけで おなかがいっぱいになってしまい、刺身でおなか一杯なんて、なんて贅沢な・・と ちょっと気のひける思いにもなったりしていました。

 残りは 小分けにして冷凍し、ソテーや揚げ物など・・と思っていますが、そのうちの1/4尾分ほどを、翌日 冷凍したまま実家に持っていって刺身にしてきました。

 うすくきれないので、結局 1センチくらいの厚さになってしまったのですが、軽く40枚は作れましたから、魚の大きさが知れようというものです。

 それにしても 捌き方がヘタで、もったいない生ゴミを出してしまいました。まとめて持ってみれば やはり重くて・・、なんか 本当に 申し訳なくて 仕方ありませんでした。

 お皿に盛って お刺身として食べようというとき、ふいに ああ ほんとうに ありがたいことだ と しみじみ思われて・・、心から 戴きます・・!と 手をあわせてしまいました。

 命を戴くのだなぁ・・という実感が わぁ〜っと沸き起こってきたのですね。
本当に 新鮮な 捌きたての魚を おいしい!と 味わっていただくのが、それが 命を提供してくれた魚に対する礼儀なんだ と、ごくごく 自然に納得できたのです。

 おいしかったです。実においしかった。

 そして とても 満足しました。満ち足りたのですね。
すでに 息のないものではありましたが、形はそのままで、それを 一生懸命 食せるように整えて、そして ありがたく戴いたわけです。感謝・・!!

 少し前に、小学校で豚を飼って育て、最終的には その肉を食べるという授業をしたという映画のダイジェストを見たことがあるのですが、その映画そのものには、凄いことするなー とか、よくできたな・・などと思っていましたが・・
  でも 今 自分があれだけのすっかり丸ごとの大きな魚を捌いたという経験をして思うのは、それは きっとやって良かった授業だったろうな ということです。

 いえ、できるなら どこででも そんなことができたらいいとさえ、思ったりもしているくらいです。

 自分達の体が、そういう命を戴き続けて 今自分がここに在る ということを納得、実感するためには、豚をとはいわないものの、例えば 釣ってきた丸ごとの魚を実際に 自分の手で捌くなどということも、出来ても良いのに と 思っています。(家庭科、料理の時間は 必須ですねー。)

 命に対する畏れや尊びは 言葉で言っても 分かるのには限界があるだろうと思うのですね。

 たとえば、10歳までの間に 家で飼っていた ペットが死んでしまうという体験を 家族ぐるみでした家庭の子供というのは、言葉で表現できなくても そのような経験から、ごく自然に「どんな命も 絶対に何があっても軽んじてはならない」と思えるようになる と言います。

 それは、命というものに貴賎や種類はなく、すべての命は『絶対的なもの』なのだということへの理解を ごく自然に得る ということのようです。

 子供のころに、この『絶対的なもの』は、自分の命も 自分以外の命も すべて 命というものが 尊く、蔑ろにしてはならない、そういう貴重な大切なものなのだ と 誰から言われるでもなく把握することができると、その子は 自分も人も 粗末にしないようになっていく とも言われています。 で 自分は たしかに それはあると 今 確信しています。

 スーパーや店頭で すでに 捌かれ、パックされて売られている 肉や魚だけを見ていると、その元の形をイメージすることはできても、それは 実態ではないのですから、当然 それで ありがたいとか 残してしまって申し訳ない とかという気持ちには なりにくいということもありましょう。
  それは もう しょうがないだろうと思いますし、実際 しかたのないこと とも思えます。

 命は 生まれて 生きて 死んでいく ことを繰り返していて、私達人間は、人間以外の命を戴きながら 生をつないで 今に至っているのだ ということを、実感を持って納得し、そうした命を戴き続けてきた者の使命や責任として、日常において、時々 そんなことに心を留め、手を合わせて、そしてその『絶対的なもの』である命を 丁寧に継いで行くようにしなくてはならないのだ と 今 強く 思っているところです。

 

2  「大迷惑」の削除

 先日 某レストランで 十数名のグループが 散々騒いで・・・ということについて、あれこれここに書いた(2 大迷惑→削除済み)のですが、取り消すことにしました。

 やっぱり 自分の力量のなさなどもあり、また タコ氏も言っていたように、結局 単なる 鬱憤晴らしと思われても仕方のないものになってしまっていたから というのが 理由です。

 それに、幸せになる義務のページの2で、すでに 人を断罪しない と書いておきながら、あー また やってしまった・・ という、とにかく それが いちばんの理由ではあります。

 世の中 あまたのブログがありますが、実は その半分以上が そんなもののあげつらいのように思えていて、だから たまに まとも?なものに出会うと、妙に 納得することがあるのかもしれないなー なんて、そんなことを 思っていたのに、その まともでないものの中に はいってしまった・・ことに 気付いてしまったんですねー・・

 ただ ここでその文章を取り消したからといって、その事実がなかったことになるなんてことには ならないですから、やっぱり まだ 少々、不快な気分は 残っています。
  でも いつまでも引きずっていても 何も変りませんし・・ね。

 しかしながら!本当は その 不快な気分すらも、実は 捨ててしまわなくては、人を断罪しない ということには ならないのですよね。わかっているんですけどね、ほんと、自分のようなものには そのあたり、毎回 かなり 難しいのです。

 なかなか きちんと 物事を見極めながら生活するって しんどいことだなぁ・・と 改めて 思ったりしているところです。

 

 

3  『夏の疲れ回復スキンケア』の勧め

 朝晩が涼しくなってきました。

 さっぱりとした風に眩しいけれど落ち着いた日差し。もう あの暑くてたまらないといっていた夏の汗とも きれいにお別れできる季節になってきました。
 まだまだ 日中の残暑はあるものの、暑さに弱い遠藤には、ほっと一息というところで 嬉しい限りです。

  しかしながら、ただ手放しで喜んでばかりもいられないのが、私達の肌。
夏の間は 汗であまり気が付かなかった肌の乾燥。涼しさを感じるこの頃には いちばん 分かりやすい お肌の不調ではありますが、ちょっと チェックしてみましょう。

 まず、洗顔
顔を洗ってすぐに化粧水をつける方には 分かりにくいかもしれませんが、ちょっと 何かしているほんの数分の間で、なんとなく肌が突っ張るなぁ・・と感じること、ありませんか?

 手に触れた肌に柔らかさが感じられなくて、ちょっと こわばった感じ・・?とおもったり、冬に感じるようなかさつきほどではないけれど、目元 口元 頬の一部などにパサつきがあって しっとり感がない など、それから 毛穴が開いたみたい?? きめが粗くなっちゃった? などなど、思い当たってしまうこと、ありませんか?

 この時季、夏と同じままの洗顔方法でいると、必要な角質を 無理やりはがしてしまうことになったりしかねません。
  不要な(あるいは古い)角質を取り除きます、などという洗顔料の使用は しないように 是非 注意してください。

 夏の間、汗をかき続けてふやけていた角質は、肌を守るまもなくはがれ続けて、結果 私達の角質層は薄く、やせてしまっている というのが 秋の始めの肌。 
  夏のままの洗顔は それを さらに削り取って、わざわざ傷つきやすい肌にしているようなものなのですね。 それでは 必ず 肌トラブルを起こしてしまいます。

 敏感肌の方は 洗顔料の使用を 暫く控えることも よろしいかと思いますが、そうでない方も あまりに洗顔料に頼らずに、人肌程度のお湯での洗顔に冷水でひきしめる という、それだけの洗顔方法も お勧めしたいところです。

 つまり、洗顔後の肌に 突っ張り感を感じないように工夫が必要なのですね。
そういうものとなれてきた方には なじみにくいでしょうけれど、でも 洗顔した後、ちょっとまだぬめり感があるかな と 感じられる程度が よろしいかと思います。

 なかなか 慣れというものの変化を受け入れるのは 難しいとは思いますが、健康できれいな素肌のために、どうぞ ちょっと がまんして、お肌の調子を整えるようにしてみてください。

 また メイクを落とすときのメイクオフクレンジングは、必ず メイクの度合いにあったメイク落としを使うようにしましょう。

 しっかりしたメイクを 軽めのメイク落としで取ろうとすると、どうしても 何度もこすったり、力が入ったりすることにもなり、それは 傷つき始めている肌に、メイクを落としながら、一日の汚れをすり込んでいるようなことにもなりかねません。

 あるいは、それほどのハードさのないメイクにもかかわらず、オイル系やクリーム系などのハードメイクを落とすためのものを使用するのは、夏を経て 疲れた肌を刺激しすぎてしまうことにもなり、これも お勧めできるものではありません。

 自分のメイクの度合いを良く知って、ソレにあったメイク落とし=メイクオフクレンジング※1を つかうようにしましょう。

 ポイントメイクなどは”メイク落としはコレ一本でOK”などというものではなく、それ専用のもの※2をつかって 丁寧に やさしく落とすようにすることが、目元 口元の健やかさ、良い肌状態を保つことになるのです。

 

 それから 必要なのは やはり水分補給
清潔になったお肌に水分を蓄えられるように、肌なじみの良い しっとり感の持続する化粧水※3を 丁寧に なじませるようにします。

 化粧水がお肌にしみこむ間、掌で 顔を覆ったり、しわの部分に指の腹を当てて 水分がしっかり浸透するようにしたりすることも 大事なことですね。

 そして、水分を含んでしなやかになったお肌にこそ、乳液クリーム(あるいは美容液)の栄養が浸透して行きますから、化粧水がすっかり乾ききってしまう少し前に、水分の蒸散を防ぎながら 肌に栄養を与え続けたり、外部からの刺激を防御するためにも、日中は肌なじみの良い乳液※4で、夜は じっくり時間をかけて たっぷり栄養をしみこませるクリーム※5で、お肌を覆うことを お勧めします。

 いろいろ お好みなどもおありとは思いますが、一応の目安としては そんなやり方がよろしいと思います。

 また、かなり乾燥を感じる という方は、パックやマスクが効果的ではありますが、そんなことをやっている暇がないというときなどは、夜など ちょっと厚めにクリームをお肌の上に乗せて放置する クリームマスクなどは 良い方法ですよ。

 クリームマスクは 厚めに塗ったクリームのまま、10分から15分くらいほうっておくのですが、時間がたつにつれて クリームは 浸透してしまった部分とそのまま残っている部分に分かれてくるとおもいます。
  浸透してしまった部分は やはり 乾燥が進んでいるところですから、残っているクリームを さらに その浸透してしまった部分につけながら、お顔全体に クリームをなじませて、そのまま お休みになれば 結構です。週に一度くらいの目安でよろしいと思います。

 ラップやコットン、マスクシートなどが使用できるなら それで結構ですが、そうしたいけれど、とてもじっとなんかしていられない という方には 良い方法だと思います。

 そして、まだまだ、日中は 紫外線もつよいですから、やはり 日焼け止め効果のある化粧下地※6は お使いになっていらしてくださいね。
 
夏のように 日焼け止め!としなくても、その効果のあるメイクベースで十分です。 

 涼しさを感じ始める今頃から、気持ちを込めたお手入れを始めれば、痛んだ肌のまま 秋を過ごさなくてすみますし、それは 冬の肌の乾燥による しみ、しわ、たるみ、そして ひりつき、肌荒れなどの辛いトラブルに立ち向かえる力のある 健康な素肌を約束してくれるというものです。

 さぁ 今日から!『夏の疲れ回復スキンケア』 を はじめましょう!
 キレイは だれかにしてもらうものではなく、自分で 手に入れるものですから ね。

 

秋の始めのスキンケア用 お勧め参考アイテム

※1 アルゴテルム/レ・デマキャン・ドゥース
べたつきの少ない穏やかな使用感

ラファンテ/マイルドジェルクレンジング
軽い感触、スーッと伸びて汚れを浮かすジェルタイプ


※2 アルゴテルム/ドゥ・デマキヤン
目元のケア重視、一回ずつのセパレートタイプ

ラファンテ/ポイントメイクリムーバー
きちんとキレイにメイクオフする ふって使う二層タイプ


※3 アルゴテルム/ミセラ・ドゥース
さっぱりしすぎない、べたつかない 程よい使用感の肌しんなり化粧水

セポラージュ/ビタローション
痛んだ肌にお勧め。使ったとたん、肌が生き返るのが分かります。

ラファンテ/セラムスキンローション
とろんと滑らか。潤い実感化粧水


※4 アルゴテルム/ナティブ クレーム・リッド
張り、潤いの不足や疲れを感じるお肌の日中用栄養&保護クリーム

キ アエリス/フリュイド
伸びの良い軽い感触。汚染に対抗し肌を守るクリーム

ラファンテ/スキンセラムクリーム
朝晩使用OKのこくのあるしっとりクリーム


※5 アルゴテルム/ナティブ クレーム・レ・コンフォルタント
美容界のオスカー賞受賞製品。新しい肌を作る栄養価の高いクリーム

アルゴテルム/クレーム レパラトリス
昼夜兼用 高い保湿効果の栄養クリーム

キ アエリス/クレーム
肌機能強化作用。酸素補給で生き生きとした肌を作ります。

ラファンテ/スキンセラムクリーム
朝晩使用OKのこくのあるしっとりクリーム

 

※6 トニー・タナカ/プロテクト エマルジョン(UV)
保湿と紫外線カット効果のある乳液タイプ

アルゴテルム/ソワン・ブロンザン SPF15
メイクベース用日焼け止めクリーム

詳しくは トップページ左列上方の”各商品ページ”をご覧ください。

 

4  気になる家

 9月も終わりに近くなりました。

 きょうもまた、強い日差しとさわやかで涼しい風の 秋らしい日が始まっています。
この日差しと空気は、本当に 秋独特のもの。他の季節では 経験できません。 
  過ごしやすいのは とてもよいのですが、いかんせん、この日差しでは まともに 表で 明るいところに目を転じることを ためらってしまいます。
 それくらい 眩しい。そして きつい・・。

 洗濯物は どんどん乾きますが、それでも 夏のように 多少 重なっていたり、延ばし忘れていても 午後まで干せば そんなところも 乾いちゃう ということは、なくなってきていますね。 やっぱり 秋なんだなぁ・・と 思います。

 このあたりは 片側を目の前を車が行き来し、その向こうに 八軒の店があるというのに、この建物の裏手側の畑や小山のあるほうは、かなり 自然のままなので、春は鳥の声で、夏はセミの声で、そして 秋の今は虫の声で 一杯になります。

 暖かいところですから、なかなか きれいな紅葉を見ることもないのですが、それでも 少しずつ こんな風に 秋の訪れを ところどころに見出すことがあります。
 この写真を撮ったのは 芦名の実家に あと少しというところの 畑の脇を通ったときのものですが、其方のほうは もう 大分 秋が進んで、稲穂の黄色が 行くたびに濃さを増してきています。

 実家通いの途中に、浄楽寺というお寺があり、そこには 日本で 初めての郵便制度を作ったという 前島密翁のお墓などがあります。
 何かの折には おたずねになられるのも よいかと思います。

  お寺は バス通りに面して、少し奥まったところにあるのですが、私は、そこへ通じる道の脇にある ひとつの家に いつも とても 心惹かれます。

 二度ほど その家の前の近くまで行ってみたのですが、その全体は 良く分かりません。

 少し前に その家は 改築されて、モダンな建物になってしまったのですが、その前のその家は とても 趣のある古い家で、でも その家そのものは 生い茂って高さのある生垣のゆえに、2階の一部分から上までしか見えませんでした。

 あたらしくなっても それは同じなのですが、高く生い茂った生垣の始まりにあたる 門。
これが なにしろ 遠藤の心を惹いて仕方がないのです。

 何故って、その家の門は 木の門で、それも 背の高い自分がそばに立って ちょうど胸の辺りまでの高さがあるのですね。道からだと 顔の辺りくらいまでありそうです。

 門の 片側には 常夜灯があり、曇天や雨の日などは 一日中ついているようです。
 
つまり それほど ほの暗いのですよ・・

 想像してみてください。
 その門は 道から 少しだけ奧にあって 傾斜をつけて 軽く家に向かって登るようになっています。
 そして、門の内側は すぐに カーブしているようで、左側に 立派な家の玄関が見えます。のぞいて見える正面は たくさんの木々と茂み。花よりも緑、そんな風です。

 私が惹かれて止まないのは、その門のたたずまい。
幅広い門の両側からの大きな木が、広く高く茂って互いの枝葉を交差させ、まるで 天蓋のようなのです。
 それが ほの暗さになっているのですね。

 回り近所は 今風のこじゃれた家が立ち並んでいるので、よけい そのいっぱいの緑と緑ゆえの暗さのある、ちょっと風変わりな家が目に付くのでしょうけれど、とにかく、雨の日や夕暮れ時などは まさに トトロの世界。

 なんだか とーっても 気になって仕方がないのです・・!

 いつか 中を見てみたくて、どうかして お近づきになろう と 勝手に決め込んでいるのですが、たいがいのことは願ったようになりますから! これからも そのチャンスを待ちます。 (・・なんて また がきくさいことを 平気で言っちゃっていますねー。)

 でもね、それほどに 気になって仕方のないおうちなのですよ。
まぁ 眺めているうちが よいのだろうとは思いますが、一体 あの大量の木々や茂みに囲まれて、家の中って どうなってるんだろう?って 凄く気になります。

 おしゃれで キレイな家ってのには、実際 殆ど興味がなくて、あ そうですか 程度の認識なのですが、どうしてか ああいうたたずまい、あのほの暗さ、あの木々で覆われた門と常夜灯、そして あの玄関・・・!! どうにも わくわくしないではいられません。

 きっと 昔からの檀家さんなんだろうと思います。あれだけお寺に近いのですから。そして きっと ずーっと昔からの地の人なのでしょうね。かなり広い敷地です。

 まだ 一度も その門が開いて、人が出入りしているところに出会ったことがないのですが、いつか 何かの拍子に 門が開いて 住んでいる方と ばったり出会って・・なんて 夢見ています。

 たとえば、家を持ったら そこにずっと居続けるという選択をすることになり、ケアやメンテナンスもしなくちゃならないとおもうのですが、自分は そういうのが 得意とは言いがたいほうなので、家持ちになることに はなから抵抗があります。
  (それに日本せまいし、狭いところで わざわざ こっからここまで うちだから!みたいなの、なんかちょっと ってかんじで・・。) それでも あんな家なら いいかな・・なんて思えるくらい 惹かれる家ではあります。

 すこし昔くらいまでは、あの家のあたりは、回りに田畑が広がり、秋には いっせいに 重くなった穂をたれた稲で ずっと遠くまで 黄金の波が 風に揺れていたことでしょう。

 そのころは お寺の山から キツネや狸も時々やってきて、時に 人と行き来もしていたかもしれないですよね。
 

 常緑樹に囲まれたその家は、冬になっても 葉が落ちて、中が見えるということがないのですが、きっと そんなおうちの中では、冬、たまに差してくる日差しを大事に、静かに 暖かく くらしておいでなのでは・・・と、遠藤は これまた 想像しまくるのです・・。

 人様の、それも ほんの一部を見ているだけで これだけ わくわくしてしまえるってのも・・まぁ ある意味 幸せと言えなくもないでしょうけれど、でも ちょっと考えると、なんか すごく 安上がりというか、・・あ 気づきたくない部分に 気付いてしまった みたいなかんじです。

 ま いいのです。私達の日々は 苦しかったり辛かったりすることのほうが 多いのです。だから ほんのちょっとの楽しみ、幸せ、喜びのひとつひとつを、いちいち 一生懸命 しっかり 抱きしめて、よかった と 思える時間を増やしたいものだ と 思っています。

 

 

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