幸せになる義務

17

 損をするほうを

 

『どうしたらいいか決めかねたときは

自分が得をするほうでなく

損するほうを選べばいい』

 

グループでの勉強会をしたときの会話

 

「神様のおのぞみがその時々でわからなくなります。
どんなふうにえらんでいけばいいのですか」

「どうしたらいいか決めかねたときはね、
自分が徳をするほうでなく、損するほうをえらべばいいの」

「それで大丈夫なんですか」

「うん、大丈夫だし、そうすることによって
本当に大切なものが見えて来るんだよ」

 

 コレを読んだとき、ああ 伊藤師らしいなぁ・・と 思いました。

 実際 伊藤師は そういう人でした。

 


 それほどいつもいつもいっしょに居たわけではありませんから、伊藤師については 知らないことのほうが多いのですが、それでも ふとした拍子に分ってしまうことの中には、なんでそんなこと とか どうして 伊藤師が・・などとおもうような・・、一般的に言えば 貧乏くじを引くというか、余計なものを背負い込んでしまったとか、なにも伊藤師がしなくても というようなことがあり、そのたびに 自分のことでもないのに、やけに歯がゆく、時にむっとするようなことが よくありました。

 しかしながら、伊藤師は その立場上、どうしても 公の制度から零れ落ちてしまった人たちや行政の援助を受けるだけの条件が揃わないような人たち、困ってはいるけれど だからといって誰の何も当てに出来ずに途方にくれている人たちなどなど・・の、そうしたにっちもさっちもいかない状況、苦境にある人たちが おそらくここで断られたら どうしようもない とおもって(だろうと思っているのだが・・)一縷の望みをつなぐために、相談にくるのだから、わけを聞いてしまえば、どうしても「無理、駄目、出来ない」とは いえなくなってしまうのですよね・・。

 そうやってやってくる人たちの話を じっと聞き、率直に質問して、どうなったら一番良いだろうか を話し合われました。

 そして、自分などでは 到底思いつかないような方法で 苦しい人たちの手助けをなさいましたが、それは至極あっさり、特別な何かなど 全然つかわずに、”うまいぐあいに運んだ”風に なさいました。

 どうして そうなさったのかを聞いた時、「お祈りしたからね。困ったときは 神様に いい方法を教えてくださいってお祈りすれば ちゃんと 一番いい方法が見つかる。」と おっしゃったことがありました。

 「何もかもしようと思わなくていい。神様が教えてくれたようにすれば ちゃんとうまくいくようになっている。お祈りして、どうしても 助けてほしいといえば、必要ならば ちゃんと そのようになる。神様って すごいなぁっておもうよ。」

 いえいえ、伊藤師、そうじゃなくて 伊藤師がすごいんですよ。・・と 今になって思います。(勿論、神さまはもっと凄いですけど) そのときは まぁ いつもの自分ですから、そーですかー、そうなんだ〜なんて のんきに答えておりました・・。

 実際、これも かつて言われてことではありますが、『神さまは やっぱり その人に必要な出会いを用意なさっていらっしゃる。どんなに嫌な出会いでも やっぱり 自分や相手に必要な出会いだったということは、思い返してみれば いつでもそうおもう。
 そしてね、後から思うと 例えばそれでうんと嫌な思いをしたり、損をしたりなんてことがあっても、その人にであったことは、自分や相手が出来ることがあるから 出会ったんだなと分るんです。」

 ・・ そんなことも 伺った憶えがあります。

 たしかに、日常 気をつけていると どこかで 何かのときに、うーん・・この人は どうしたらいいかなー と 思うようなことがあったりしますが、そういう時、自分が動物的に感じる嫌悪感や拒否感を 一旦そこにおいて、この人は 何をどうしたいのかな、どうなるといいとおもっているんだろう と思えるときは、なんとなく 問題がうまく解決されたり、解決されないまでも 別の方法ややり方の展開を見ることができることが 多いような気がします。

 その時、自分をどこかで優先させると 物事は どうも うまく行かない。たとえ 表面上 うまくいったように見えても、実際の自分の心の中では、心中穏やかならず、なにか 後ろめたいような、できるだけ思い出したくないような・・、そんな嫌な思いが しみのように残ってしまいます。

 つまり・・、そういう時は 自分の中のどこかで なにかの駆け引きをしていて、少しでも 自分が損するかも と思うようなことは 気付かないふり、分らないふりをして とにかく やり過ごそうという、こずるい浅はかな考えにしがみついているような・・そんなときのような気がします。

 これじゃあ 割に合わない、今回は 痛かったなーなんて おもうことなど しょっちゅうなのですが・・、そういうときこそは、自分に限って言えば、やはり結果的には それでよかったように思えるようにも思います。

(しかしながら、それで それじゃあ よかったんだ と 全面的に思えるかというと、そこが”ただの人”の自分でして・・、口には出さないまでも、結構 あとあとまで、あの時は自分ばっかりずいぶん損をしたなー なんて 思ったりもしてしまうのです・・
 ここが 伊藤師と 大きく違うところなんですねー。)

 上記のことは 殆ど自分について思えば ということですので、伊藤師の本来おっしゃりたかったこととは ずれているかもしれません。
 (冒頭の文は、神様のお望みに従うには・・という 質問への答えになっていますから。)

 ただ、何かにつけて 「困ったときは損するほうを」というのが、迷ったときの行動の決め手になっているようで、大分助かっています。簡単ですからね、あれこれ 考えこまなくて良いですし・・

 きっと これからも 様々に問題は起こり続けるでしょうし、その中には 一体 神さまは どうしろとおっしゃっているのだろう と 困惑することもあることでしょうけれど、そのたびに きっと この言葉をおもって どうするのかを決めていくのだろうと思います。
 (いつもいつも そのようにできるといいのですが・・ せめて 何回かに一回くらいは・・と 願っています。)

 損するほうを・・、そして 大切なものが 見えてきますように!

 

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