幸せになる義務

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 なにも心配していません

 

 

「わたしはなにも心配していません。

神さまはわたしたちが必要としているものを
かならず与えてくださる。

わたしたちは神様に祈り、与えられるのを待つだけです。

わたしは自分の体験を通してそう信じています。

わたしたちには困難と見えることも、
神様のはからいの中にあります。

かならず解決されます。」

 今回のこの言葉は、全体的に 司祭の数が少なくなってきていることについて、懸念されたときに、そこに集まった一同に向かって言われた言葉だそうです。

 しかし、似たようなことを 伊藤師は、時々 私にも 言われたことがありました。

 なにかを 心配する、不安がる、途方に暮れたり、この先を恐れたりしそうなときに、いつも、「神様が ちゃんとしてくださるから、心配しなくていい、お祈りしてるからね。あなたは 元気でいなさい。」と おっしゃってくださっていました。

 そういわれると、ふわっと 心身が浮いたような 軽い感じがして、はい、わかりました、と 返事してしまうのです。 

 そして、そういわれる前に話していたあれこれ諸々が、本当に 気にならなくなって、だから 話に行って戻るときは、伊藤師のところに行く前の自分とは まったく違っている というのを、ただただ 楽しく うれしく 幸いに感じていました。

 でも、それは 不思議なことに 今でも そうで・・

 例えば、90と86の両親のこと、その日常的ケアについて起こる諸々のこと、クリニックに通っている娘とその今後のこと、なかば音信不通状態の娘とその子供たちなどのこと、夫々に不安要素を抱えている各職場にいる息子たちのこと、心身の健康が気遣われる娘のことなどなど・・、そしてまた、連れ合いの事などについてもを含めて、様々に 日々、思い出すたびに ふと 一人で冷たい場所で じっと息を潜めて 様子を見ているような、そんな気分になることも たまにあるのですが、あまりにそれが強くなると、どこからとも無く 伊藤師の言葉が 聞こえてきて、・・ そうすると、そうですね、わかりました、と なんの理由もなしに 安心してしまえるのです。

 おもうに 自分が心配したからといって 突然 何かが変るでもないですね・・。
 それよりは やっぱり ちゃんと 祈って、お任せする、きっと 良いようにしてくださるから 心配ない、大丈夫だ と信じて、自分にできることをし続けることのほうが ずーっと 楽だし、確実なのだということを、実は 自分も 何回か経験しているので・・、

 だから 伊藤師のこの言葉に私は、少しも疑問を持つことがないのです。

 

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