Aurea Ovis

きょうは『金羊日』

8月

 

1 老いない、死なないを追わず

2 この国を憂える日

3 眼鏡

1 老いない、死なないを追わず

  毎日新聞日曜版に連載されている コラムのひとつに 心療内科医 海原純子さんの書いている『新 心のサプリ』が あります。

 先だってのそれは 当方にもかかわりある内容でもあったので、その部分を切り取り、数回 重ねて読みながら 考えていました。

 曰く、「医療や工学系の研究の進歩がすさまじい昨今、ほんの30年程前には 死を覚悟すべき病気も 今では 治る病気 になっている。がんですら、死にいたる病気ではなくなりつつあり、慢性疾患として 治療しながら共存する時代になるだろう という研究者の声もある。
 そうしたことは アンチエイジングの分野でも また然りで、美容外科では レーザーやら超音波などの手術で しわやたるみの防止がされている。 」

 つづけて、そのような進歩を見聞きしていると、「老化」や「死」が 次第に身近なものではなくなってきて、しっかりと 老いや死と向き合う時間が減ってくる感じがする、と 海原さんは 書いています。

 人は、生まれた瞬間から 年取っていくのだ ということを、私たちは、どこかで 自覚している必要がある と、当方も考えるところです。

 かつて、上の子がお世話になった先生と 久しぶりに お会いして、お元気ですか?と いえば、同じ体を何十年も 使って生きているんだもの、どこかに がたが来るものですよ、と 笑ってお答えになったことがありましたが、時々 あれは 言いえて妙だったな と 今でも思います。

 生まれてからずっと この体 で 生きてきているわけですし、これからも この体 で この先を生きるわけです。風邪を引いたり、おなかを壊したり、熱を出したり、あっちを切ったり こっちを治したり。。 あれこれ 手が入ったとしても、生まれたときに与えられたこの体で、人は その人生を生き、日々を重ねて事を為し、その変化とともに 終わりを迎えるのは、誰一人の例外もないことではありましょう。

 それを しっかりと 意識して生きられるかどうか・・、そこを あえて 見ずにいるのは、どんなものなのだろうか・・、と 考えるのです。

 再び、海原さんのコラムから・・

 「しかしどのように医療が進歩しても、命にはかぎりがある。どう手を尽くしても、その自然の摂理に逆らえなくなったとき、どのようにそれを受け入れ、残された時間を豊かに生きられるかを考えることは不可欠である。

 医療の進歩は「老いない」「死なない」幻想や錯覚を感じさせるものだから、注意が必要かもしれない。」

 そして・・ なにか どこかで 勘違いしそうな、そんなきっかけを なんとなく?与えてしまうものに、化粧品なども 含まれるのではないか と。

 自分で こういう仕事をしながら、こんなことを言うのもなんなのですが・・、実際の話、いつも どこかで これでいいのか、これがいいのだろうか と 感じています。

 現在、私たちが手にできる化粧品のあれこれは、かなり研究されてきたものが多く、かつて、私たちを指導してくれた先生のお一人が、あるとき 「究極の化粧品というのは、つけた瞬間に 理想の自分になる というのでしょうね。」と 言われた言葉に、着々と近づいているように思えますし、それは たとえば メイクアップ商品などに、それをひとぬりすれば、目指す肌になれてしまう などということなどからも、まんざら 遠い先の話でもないように思えます。(どこのなにとは 詳しく知りはしませんが・・)

 それは 決していけないことでもなんでもなく、むしろ うれしいことに違いないのですが、どういうわけか、自分の中には ほんの少し、違和感というのか、戸惑いというのか・・ そんなものが あるようで、人の中にあるときなどは、気づかれない程度に首を傾げたりしています。。

 海原さんは ひとつの例として、こんな話を書いています。

 「筋トレと美容室と美容外科通いで美貌を保ってきた60代後半の女性が、ケガで数ヶ月間運動を休んだのをきっかけに老いと向き合わなければならなくなった。若く美しくいることを自分のアイデンティティーとしてきた人だから老いを受け入れられず、精神的にも不安定になり、これが家族にも影響した」 と。

 時々 お目にかかりますが、ほんの数日の入院や病気などをなさったというかたに、いったいなにがあったのか と 思うような変化をみることがありますが、こういうことは 案外簡単に うせてしまうものなのかもしれません・・

 確かに、それまで 気にも留めなかったしわがここに! しみが!白髪が・・ などの最初は、かなり ショックで、自分でも 一応おろおろしたり おちこんだりしたことがありますが、それが あちこちに現れて、鏡を見ても それが通常になるころには、まぁ こんな自分も人並みに・・などと 多少のため息ともに、そんなものよね と 受け入れるようになりました。

 人間の欲求は限りなく、それは 時に、どこか 自分を正面から見ることから、どんどん遠ざかるような場合も・・ あるのかもしれません。

 「どんなに医療が進歩しても 私たちは老いる生き物だ。老いない、死なないことを目指すのはほどほどにして、限りある時間をいかに充実させるかに焦点を向けることも大切だろう。」

 ・・と 海原さんは 結んでいます。

 メイクアップは 一種の錯覚、化粧は 化け装うこと。
 自分は よく 人様にそういうのですが、メイクアップをして 一日の終わりにメイクを落として素顔の自分になり それを見るのを繰り返すことは、ある意味、そのたびに、自分の本当、現実を 改めて思い起こすには 良いことなのかもしれません。。

 この世のすべてのものは、時とともに 変化し、与えられた時間が尽きれば、この世での生を終えるということは、どの生き物でも 同じです。

 生き物だけではないかもしれません、山であれ 海であれ、人のそれとは 比較できないほどの長い年月、この世に存在するとしても、いつかは 高く険しい山も なだらかなそれになったり、美しい浜辺も、時がたてば、埋め立てられたり、波の影響で形を変えたり、私たちが 生きている間には ほとんど変わらないように見える海でさえ、いつかは 違ったものとなる可能性がないとは、人の誰にもいえないことでしょう。

 変化するもの、自分も変化するものなのだ ということを受け入れられたとき、人は 初めて、何にとらわれることなく、楽に生きられるように思えてならないのですが・・ 

 あなたは どう お考えになりますか?

 

 

2 この国を憂える日

 この8月9日で、父は 93になる。

 広島の爆心地から 1.6キロという近さで 20代だった父は被爆した という。
この数ヶ月の間に、いわゆる認知症が進んできたことを否めない状態にありながら、あの当時のこと、その後の混乱とその中での治療などの話は、父が その人が初めて会う人だと思うと、かならず 饒舌になって話すことではある。

 一方、すでに その記憶も 日常もあいまいの中にいる母は、そういう話を耳にすることを 極端に嫌い、当時のことを たずねても、そんなの知らない、そんな事(ところ)は なかった・・ と 言うばかりである。

 母が ふと 思いついたように語ることのほとんどは、ごく 幼いころの断片的な話や、いやだった、と 感じているような 恨みごとばかりなのが、さびしい。

 毎年、この時期は 父が そんなわけで 生き生きと 会う人ごとに、自分の体験談を なかば 心弾ませて話す日々 と なっている。

 繰り返される それらの話には これまで聞いたことのほかに 耳新しいことも たまに入っていたりして、こちらからの 人の言葉が 耳を通っていかない父をそこにして、われわれは そんなことあったの?知ってた? はじめて聞いたねー などといいながら、適当に相槌をうったりするのも なかば恒例ではある。

 

 過ちは 二度と繰り返しません、と 刻まれた その「過ち」には、どんなことが含まれているのだろう・・ と 思い出すたびに 考える。

 いろいろに 解釈はあることだろうが、個人的には、戦争を決定し、推し進めた輩の言動に、心に引っかかりを感じた者たちが、大勢の流れのまま、不安や不満を抱きながらも巻き込まれていった、あるいは 気がつけばそうなっていて、その後 迎えた終戦に、やっぱり 間違いだったのだ・・と 深く悔やんだことの表れかも、などとも考える。

 誰が悪くて、誰が 間違ったから、あれがいけなかった、これがよくなかった と 言うことなどは いくらでもできるが、結局は 当時も今も、この国には 賢明なリーダーと呼べる人たちが 存在しないことでが 災いなのかも・・と 思えている。

 それにより、その時々の施策が なにかと場当たり的だったり 一握りの者たちだけの潤いにばかりなったりという 今もある混乱が当たり前に生じ、
弱いところに居る人たちを 置き去りにし、
それぞれの人生や生活を楽しんだり、喜んだりすることができる社会を形成することに 意義を見出し、それらを現実にしようとする、より望ましい人材を見つけることが 非常に難しいというのも、「過ち」の因みのように思えてならない。

 ここで言うリーダーには、精神を鍛えてきた人、まずは 自分を良いも悪いも丸ごと 喜んで受け入れ、自分の周りの者たちも、個人の好き嫌いにかかわらず、受け入れようと努めることのできる人、そして 物事を自分ひとりで 負うのではなく、適宜、ふさわしい人を選び、あるいは養成したりして、それぞれを 尊重しつつ、理想の社会を築くことに 熱心であろうとする人、という意味を与えたいとおもう。

 毎年平和をうたい、先の大震災には 絆を声高に叫んだにもかかわらず、
生きたいと願っている子供を追い詰めて、自ら命を絶つように仕向けるような 悪辣な連中が 平然とのさばっているこの国、
 自分らの体面が傷つくことを恐れて、人の命が 犯罪によって失われたというのに、知らぬ存ぜぬで 隠蔽に必死になる教育界に属する連中が暮らす この国、

 ひどい目にあったことを相談したにもかかわらず、あろうことか自主退学を迫るような下劣な、学校という 隠れ場にこもり続けて、すべてに見ざる聞かざるを決め込む愚鈍な輩が、あちこちに存在したままを、誰も不思議と思わずに放置してきた この哀しい国、日本は、
 今後 何度 平和を唱ようと、そのために奔走し 身をなげうって働く人たちの努力や苦労を そのたびごとに 脇へやり、苦しみの中に生き続ける人たちの数を さらに 増やしていくのだろう。

 そうやって「鍛えられた精神の存在の乏しいこの国」は、いつか滅ぶのかもしれない。

 戦争や原発事故などがなくても、この極東の小さな国は、自分の首を絞め続けていることに 気づかぬまま、あるとき 忽然とその存在をなくすことにならないとも限らない。

 これまでのありようを 今後も 決して改めることなく、なおも続けていくととすれば、それは 考えるまでもなく 確かなことに 思われてならない。

3 眼鏡

  先日、初めて 眼鏡をきちんと作った。

 いつごろだったか・・ 楽譜の音符が はっきりしなくなったことを 言ったところ、それなら そこらの100円ショップにあるのでいいのよ、結構 使えるわよ、という話を聞いて、すぐさま 買い求め、それから これまでに 3度 同じようなものを 買っている。

 これまでは それで十分だったのだけれど、最近、いかにも 縫い物や手紙書きが うまくできなくなってきて、こんなんじゃ眼鏡の意味がないなー と 思っていたら、逗子に向かう途中に 眼鏡の専門店ができ、初めて 眼鏡屋なるものを のぞいてみた。

 あれこれのあとに、それでは と 気に入った眼鏡をかけてみると、これが・・ 

 いやはや 見たくもないものまでもが しっかり見えてしまって・・!

 いらんわ こんなもん、などと 一瞬 思ったりしたが、やっぱり 日常に 差し障るので、しぶしぶ 購入を決める。

 この際だから と サングラスも新調して(なにしろ 20年近く 同じサングラスだったので・・) 結構な金額になったけれど、(お支払いはタコ氏担当)まずは 読みたい本を 薄暗くても読めるとか、レストランのメニューが はっきり見えるとか、説明書や仕様書などの 細かい文字を人に頼まず、苦労せずに 読めることが うれしい。

 ただ、メイクをするときに その眼鏡を使用することは たったの一度で 終わらせた。

 見たくもないものまで はっきりくっきり見えてしまうことが、すべて 良いということでもないのだ ということを 改めて認識。

 世の中には 透明性を求めたり、隅々まで 洗いざらい 白日の下にさらけ出すことが必要なことも あっちにもこっちにも かなりたくさんにあるけれど、こと 自分に関して言えば、現在の自分の顔は とくに はっきりくっきり見えなくても結構、というのが 眼鏡をかけてみた 自分の顔への感想ではある。

 しかし・・ 自分はともかく、人様は、その 鏡の中の自分を 自分に会うたびに ご覧になっておられるのだ・・と 思ったら・・・、

 まぁ そういうもんでしょう、と 落ち着くまでには 少々の葛藤があったことを、白状しておきましょう。

 日々のお手入れに さらに気を使って、できるだけ 丁寧に、きちんとやろう! 
と いまさらながらに ひそかに 心に決めたりした・・のでした。

 

 

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