B-Note    T

B=H♭ ; B=美

B=子供の自然な基調音 & 遠藤が構えずに声を出すときのキー音、

Note=音;記録;書き記す;遠藤がおもいつくまま書き残していくもの・・・

B-Note=”美しいもの”の記録

2002/8/12



秋の日
9/11 秋の日ぐれに
9/21 つるべ落とし
10/18    道しるべ
11/9      見える

11/23      銀杏

11/23 風に追われて

冬の日々
12/10   雪の慰め
12/21 キャロリング
1/9  小鳥との交信

1/12     日曜日

2/27
 薔薇の微笑

春が来る・・
3/6  反戦の歌

4/1 勝利のために
4/某日 桜 さく 道

 

時々更新するページ

B-NoteU  B-NoteV  B-NoteW  B-NoteX B-NoteY B-NoteZ

 

2002/8/13

美しいものを、日々感じるそれを いままでは おもうばかりで 時に流してきたが、
これからは 出来るだけ その思いを書きとめながら 
この世の恵まれた美しさを 日常レベルで 記しておきたいと
そう思って このページを作ることを思い立った。

ただ 美しいものをそれと感じるには 単純な感覚によるものですむ場合と 
それだけではなく 比較対照を得て その美しさを なるほど と 思う場合などもあると思うのだが
私は ここに 美しいものを なるべく沢山 書いておきたいと思っていながら 
おそらく 逆説的ともいえるような 悲惨さや醜さ、酷さやくるしみ 
悲しみや虚無なども 書いていくことと思う。

また 単純に 美しい というだけで 幾度も書いておくということもあるだろうとも 思っている。
美しさ そのものが とても・・・ 良く考えれば 曖昧で すべての人と 同じ思いで共有できるとは
ほかの あらゆる感覚と同じに 思えないというのは
少々寂しいが 確かな事実ではある。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

その人は その目が 大変 美しい・・・。

大きくて 何かをじっと見つめる時や 一生懸命 物事の説明をする時、あるいは 無意識に
ふと 何かを見上げたりする時など 濃い睫毛に縁取られた、殆ど 茶色のない 黒い瞳が 
きらめくような 輝きを湛えて はっとするほど 心惹かれてしまうのだ。

その人は 私には 決して 初めから 好もしいタイプというわけではなかった。

しかし、その目の威力は 私のこれまでの意識を変えさせるほどのものであったことは 
いまの その人と私のかかわりを見れば 誰の目にも明らかなことである。  

人というのは(私は・・というべきか) なんと簡単に出来ているものなんだろう・・と
つくづく おもってしまう。

そして 思うのだ。

私は その目の前に 決して美しい存在ではないことをよく知っているが、
出来ることならば その目にだけは どこか一点でいい、
美しく映っていて欲しいと 本気で 願っている自分のいる事も 
また 良く知っているのである。

多くの 記し残された 書物のなかの ごく一部しか まだ 私は読むに至らないが
それでも その中のほとんどに、
たびたび 私には 理解しがたい と思われてきた 人への思いの不思議の一部が 
この年になって 現実に 解ってこようとは 

それもまた なんとも 美しい出来事に恵まれたものだ と 心底嬉しく思いながらも
これまた なんとも 面映く 気恥ずかしく・・・ 

そして この幸いを 謙虚に 感謝しているこの頃である。

 

 


2002/8/14

時計は午前4時半をまわっている。

すでに 東の空だけでなく 空の半分以上に 闇の形跡はない。
北側の窓から見える なだらかな丘の稜線に倣って浮かぶ 薄い雲には
これから 今日の一日を また うだるような暑さで びっちりと 覆い尽くすであろう 
真夏の太陽の きついくらいの鋭い光の片鱗さえ見せない 
穏やかな 淡い薔薇色が かすかに触れ移って 優しげにさえ見える。

ふと かなかな・・と ヒグラシの鳴くを合図に 
セミ達が目を覚まし 次々に けたたましさを増していく。

これを書いている そのわずかな間にさえも 音もなく 日は昇り
見るがいい、大空を行く光りの名残のように跡を引く 斜めに並ぶ筋雲達には
目覚めたばかりの あかつきの色よりも 真昼の輝く白さの前触れが見えている。

人の気配のないこの世界に 
遠く 密やかに 翼をもつものが 影のように 明るい浅い空色に舞い
 まだ 眠たげな若い竹の緑が わずかな風の息遣いで 
その眠りから目覚めるのを厭うように 疎ましげに揺らされ、
ほの暗い陰に夢を見る 白百合の重たげなうてなが その思いに倣うように
早起きの朝風の 執拗な誘いを 煩わしげに 追いやっている。

たかだか 20分くらいの間に 世界は すっかり真夏の朝になってしまった。

日中の 重だるく 不機嫌にして 重力的な暑さのかけらなど 
これっぽちも感じさせない 明るく陽気な夏空は、
いかにも落ち着いた様子で 機嫌よく、自由に のびのびと遊ぶ風や雲たち、
鳥や蝶々や 寝覚めのよい木々やそこに集う生き物達を 
慈愛に満ちた眼差しで 思うままにさせている。

ああ、わずかな間に 世の中は すっかり 見慣れた朝になってしまった。
 
そして 人の気配が現れ こんな田舎道にも 車の音が 風に乗って聞こえてくると
私の朝は 一区切りをつけ、
私は 朝食までの短い時間を 再び 夢の続きを求めて 
朝風の かすかに体に触れるのを感じながら 深い吐息とともに 床に体を沈めるのだ。

 


2002/8/15

 

この日こそが 母の日

その日 子をむしりとられた母達は・・、 
ある者は 口惜しさにもだえ苦しみ 泣き悲しみ、
ある者は あまりの情けなさに 自責、悔恨の体中に満ち、
ある者は 心が飛び立つようにその帰りを 気も狂わんばかりに待ちわび、
ある者は 失ったものを思い 音のない世界に 我もなく放心する。

この日こそが 母の日

その日 そばに子の残された母達は・・
これ以上 失うまい、これ以上 傷つけられてなるものか
これからが 本当の戦い、今 手元にある者を 二度と失うものか。 
飢えさせまい、病ませまい、心失せさせまい、そして この子を生き抜かそう。
母達の目には もう すでに その子ゆえの 未来が見えている。

この日こそが 母の日

―――――――――――――――――

 あの 峻烈な光りと爆風にあおられたという 自らの記憶にないころの 
私にもあったというあの 過去は、私に なにを残したのだろう・・?
三度死にそこね、それでも ここまで続いている 自分のこの生は
いったい なにによるもので なにをもくろまれてのことなのだろう・・?

母になることか?子を持って はぐくみ 母となって 人となることか?
意思を―義にあって正しく、平和であるために戦うべきを戦い、
 命ある限り 希み続けられるという喜びを その日々にあってあらわすこと、
その 意思を継ぐための 精鋭を 生かしていくための この命かもしれない。

この日こそが 母の日

人の目に いかに喜びの少ない 苦汁に満ちたこれまでであったとしても
見てごらん、私は 今 こんなに幸いだ・・
お前たちを頂いて 私の命は 豊かになっていった
ともに過ごした 数え切れない時間の中に 
私も また 人となり、豊かな命になっていくのが はっきりと見える。

今の私の この幸いは 生きることの勢いを得てこそ 手にした、
新しく生まれ これからを生きようとする 力、
 そして 又 新たに頂いた 大切なもう一つの命。
この幸いは お前達とともに過ごしてきた時間の流れがなければ 無かったもの。

――――――――――――――――

母よ 未来を産むものよ! 
生きることを 喜び、命在ることを 楽しもうとすることの出来る 
豊かな存在 母よ
 
その生を謳歌し、その時にあって迎えざるを得ないあらゆるものを 
包み込み 胸に収めて 時を刻める 
母なる者よ

その命の 必ず豊かで 喜びに溢れたものであるを信じて疑わぬ
勇気あるもの 母よ

この日こそが 母の日

生と死を 両手に抱いて それでも 未来を望む、
 慈しみと愛を知り 愚かなほどに それをはぐくめる女達、 母達よ

そう この日こそが 母の日

そして

この日こそが 母の”女性”を讃える日

 

 


2002/8/22

 

窓を開け放ち 風を通す。
軽い 薄いグリーンのカーテンが ゆったりとした息遣いのように 呼吸する
 

先週の同じ曜日には 考えられなかった 肌への心地よい 空気の感触は
季節の移ろいへの気付きを 押し付けがましくならないように 
気を遣いながら そっと つげ知らせようとしている。

目に見える まぶしい光りは 
まだ あの頃の濃さを蓄えたままの たくさんの緑の上に、
散々に笑い 楽しみつかれて ちょっと体を預ける ちいさな精達のように  
アンニュイな面持ちに ひそやかな微笑と 定まらぬ視点を宙に浮かせて
遠くなりつつある 先の季節の名残りの歌を 聞くともなしに 聞いている・・・

空は すでに あの頃の鮮やかさや きりりとした 激しいくらいのくっきりとした色はなく
どこか 穏やかな・・、ぽったりとしたぬるみの・・ 人のこれまでのしんどさに そうっとより添うような 
やわらかで 思いやりのある表情をしている

まだ鳴き足りないか・・ これを最後と ひっきりなしに鳴き続けるセミたちの声も
これまでのような 必死さや懸命さが失せてきたようにも感じられ
明らかに逝ってしまうことの分かっている命たちの 陽気な切なさに 
これからの何かの喪失を思うと 抗えぬものの当然の到来に 言われない焦りを感じてしまうのは 
私だけなのだろうか・・・

季節の変わり目は ちょっと 切ない・・

慣れ親しんだものへの 愛着なのか・・、
単なる 時の流れを感じざるを得ないことへの諦観から来る 
振り向くのみで 決して帰れぬ 過ぎた時間への かすかな執着なのか・・・
なにか 手に出来たはずのものが 思ったほどには 得られなかったことへの 
未熟者ゆえの後悔のようなものか・・・

薄雲に 眠たげなぬくもりを放つ太陽が 遮られるたびに
世界は まるごと 夢を見る・・

新しい季節が その眠りを妨げないように 気をつけながら 息をひそめて その枕辺に 添い寝する・・・

 

 



 

2002/8/28

ぶりかえした蒸し暑さを これでもかと 撒き散らした今日の太陽の
わがままで 無茶な振る舞いが やっと 修まったかのような くたびれ果てた夕暮れ、

散らかしっぱなしで眠ってしまったために しまい忘れて転がっているおもちゃのごとき 日の名残を
いま たまたま通りかかったというような一番星が 
あきれたように 眺めている。

ただ そこココに満ちて行く虫の音が 瞬く間に濃紺に変化する夜の空気を震わせるのみ

 

それ以外の 何の音もない・・・・・・

 

季節は このように やや冷徹なほどの当然さをもって 次の時を迎えるために歩んでいく

 

もう 今は 気を取り直して すっかり自分が主役になったあの星は
遅れてやってきたほかの星々を迎えるために 
キラキラと陽気な光りを 機嫌よく投げかけている


濃紺はさらに深まり

すべてのものを やさしく それぞれに分かつ 漆黒の闇に向かって

夢の因み 想いの吐息 切ない願い 無邪気で愛らしい望みを

その懐に そっと携えていく。

 

 


2002/9/11

 

東の 

薄くて白い 細めの三日月は、まだ 誰にも気付かれずに そっと そこに位置している

空は 薄いシフォンのブルーグレー

 

西の

淡くて薄紅(うすくれない)の グラデーションは、お気に入りを脱ぎ惜しんで 
いつまでもためらっている 少女のように なかなか 現実に戻れない

穏やかな夕暮れ   もう すっかり 秋のそれ・・・

 

今日は また 夏もどきの日中だったね

もう いい加減 暑いのにはうんざりだよ

こうやって 虫の音を聞けると ああ 涼しくなったなって思うけど

そうだね まだ 昼間はセミが鳴いていたよね

今日は ほんとに 暑かったね

 

〜 ☆〜☆ ★ ☆☆ ★  ★☆ ☆ ★ ☆〜☆ 〜

 

あの日 それがそのときのものとは知らずに 私は
 
あ きれい。ちょっと いい絵だな・・、だれのかな
ポスターだったら ほしいな・・

と 思いながら 悲惨なニュースを 一生懸命しゃべるアナウンサーの右後ろにある
鮮やかな色の シュールな花の絵を もう少しはっきり見たくて じっと目を凝らしていた

 光りが降り注いでいるのが 実感できる 明るい青の空
中央から少し右にずれて ぱっとしたオレンジとグレーの濃淡で そのアネモネのような花は・・・

え?

違う・・?! ・・・ あ  あ そう か・・・ あぁ

 

あれは 激しく悲しみながら 
耐えがたい痛苦と非業の悶絶を ゲヘンナの炎とともに吸い上げて咲いた 
怒りと嘆きの色  紅い涙の結晶

 

あの日も 多分 まだ 暑かったんだろうと思う
そんなこと すっかり記憶に無くて ただ 起こった出来事だけが 
エンドレスで 何度も何度も 人々の脳に 記憶され続けていた

 

〜 ☆〜☆ ★ ☆☆ ★  ★☆ ☆ ★ ☆〜☆ 〜

 

東の

白金色の細い三日月は・・・ 視界の中に瞬く一番星を感じながら
とおいかなたに 失われた見慣れた情景を、
そこに生きたたくさんの人々の息遣いを思いやるかのように 
静かに目を伏せて そっと そこにたたずんでいる・・

 

西は

着替えを終えて すっかり しっとりとした黒衣をまとってしまった


 

べつに これという意味はない・・
いつものように 日が暮れて そして 夜が来ただけだ

 

虫が鳴いてる

うん 静かだね

もう ほんとに秋になるね

そうだね 風も気持ちがいい

ああ 秋だねぇ

一年になるね・・

 


2002/9/21

 

その片端を かすかに 桃色の勝った紫に染めながら
薄くたなびく 秋のむら雲達が いま 眠りに着こうとする夕日を見つめている

 

静かに

穏やかに

優しく そして そぉっと・・・

まるで 人に気づかれることを 畏れるかのように   

息をひそめて 日が暮れる

 

まだ 何かの拍子に 夏の名残のふと思われるような頃なのに
それでも この時間の風には 季節を予感できる冷気が感じられる

ほら もう そんなこんなしているうちに 見てごらん
すっかり 暮れてしまったよ

あのむら雲達も まだいくらか明るみの残る濃紺に 溶け入るように黙っている

虫の声が 徐々に 大きく広がっていく

真夏のこの時間は まだ 夕方だったね

 

静かに

密やかに

そして 優しく・・・ 温もりを求めるように

あぁ すっかり 夜になってしまった・・・

   


2002/10/18

 

その人のことを とくに よく知っている ということは じつは ない

 北海道に生まれたということを聞いたことがある。兄弟はたくさんで、牧場を営んでいる家庭だったような事も・・。そう ウサギの話をしてくれたことがあったな。自分達で飼っていたウサギを食べる話。生き物を 可愛がる対象としてだけではなく、命の糧として身近に接していた子供時代のこと。ある程度大きくなると 自分達でそうした生き物をほふった事もしたという・・。その話を聞いた頃の私には あまりに実感の薄い、妙に生々しく そして 近しく感じていたその方に 別の誰かを見たような そんな気もしたものだった。

 その方との出会いは 私が 中学二年の時だったかと思う。通っていた カトリック系の学校の指導司祭として 週に一度 話を聞く機会があったような・・ ちょっと 曖昧な記憶だが そんなものがあって・・、夏だったか・・、合宿の時に 講和をなさりにいらして その後 どうしてだか トテモその方と話をしたくて 私のほうから 声を掛けたのがきっかけだったと思う。

 それこそ 海のように 山のように たくさんの話をしてもらいながら、私には そのうちの 一つもまともに覚えているものはない。ただ、その方のそばで話を聞くのは どういうわけか 安心感があって、落ち着いて話していることを聞いていることが出来る、その言うところが 何も疑うことなく ゴク当たり前に心に入ってきてしまう、という それがためだけだったようなきがしている。

 その方の生き方が、こう在りたい という思いが 諄々と説かれるままに 私の血肉の一部になっていったのは、今 この年になり、この状況になり、これまでの経緯を見、私の話すこと 求めること 決め事をする時などの ことごとくに 関わり深いものになっているのは、見るに明らか、確かなことである。

 私は その方に会う前から カトリックの洗礼を受け、一応は カトリックを信じるもの としてあるのだが、その実は かなりいい加減で、かろうじて 週に一度のミサに与っている というのが、せいぜいである。
  日常では 自分の不運を嘆き、人の失敗をなじり、誰かの不手際を責め立て、不平不満は日に何度も口をつき、言葉を扱うことに苦労しないをいいことに 人のするあれこれに悪態つくなど 楽しみのうち、たまに 今あることへ 心から感謝することはあっても、それが 何日も続くということは 全くないために、すぐ 日々の不足への恨みつらみになってしまって・・・、つまり カトリックの信者だから という 一般的概念を きれいに払拭する 俗な人間なのである。
  やってきた事も 変わりはない。半世紀も生きてきて、いまだにそうなのか・・と 自分の事ながらてにおえんわ・・ などと思うことは しょっちゅうである。
 
 しかしながら・・・ ときどき、こうして公になるような手段を用いて、思うことを何の考慮もせずに つらつらと書き上げ続けることへの 空恐ろしさのようなものを感じる事もあるのだが、それでも 続けていきたいと思っているのは、自分を正当化しようというような そんなレベルの望みではなく、単純に(そう、これは 私の最大の長所だと思うのだが)たまに感じる その方からのよい影響の部分を なんとか 目に見える形で 伝えられないか と それだけを思ってのことなのである。

(私は 俗人である。ゆえに カトリック信者です と 公言してしまった今、自分のこれまでしてきたことを 誇っていえるなら それが一番いいのだが、そんなこと 到底出来ません というようなことばかりをしてきているので、自分の存在そのものすら 実は 人に躓きとなるのでは・・と おもうこともしばしばで、これは 私の常に感じている自分の存在への罪悪感というものでもある。)

 いつだったか その方に 伺ったことがある。
「どういう人が天国にいけるのですか?」
「神様の望みを 生きている間に たった一つでも 実際にやった人、やろうと常に努力した人。」
 神様の望み・・? そう、神様の望み。神様が私達を愛しているように 私たちが互いに愛し合うこと。隣人―そのとき 自分が身近にかかわっている人―を自分と同じように愛すること。

 ここで混乱。愛するって?

「神様はね 人を好きになりなさいとは言ってないです。愛しなさいって言ってるんです。」
「???」
「嫌いな人を好きになれとはいってない。そうじゃなくて 人として愛しなさいといっている。」
「・・・??」
「自分のそばに 自分の好みじゃない くさくて汚い人がきたら 嫌でしょう?」
「はい。」
「その人のこと 好きになりなさいっていって なれる?」
「できない。」
「でも おなかがすいているらしいし、お金もなさそうだし・・ そしたらどうする?」
「そのとき出来ることを 何か出来ればしたいですね。」
「うん。それでいい。」
「?」

「神様は 難しいことをしなさいって言ってないの。そのとき出来る一番いいと思うことを 思うだけではなくて 実行することを望んでおられる。それも そのとき その人に一番必要なことをね。」

 そして 私は いったものである。 「わかりました!」

 実に単純なヤツである。それからは でも 機嫌が良かったり 調子の良い時は 極力そうできるよう 私なりに 意識して努めてはきたつもりである。
 それでも たびたび いや ことごとくに 私は 何かにつけて、怠け面倒くさがり しょうもないいい訳をしながら 絶えず 神様の望みを退け、人に その望むことを知っていてもすることもなく・・ つまり 人は(私は)社会的にも なかなか 良い人 にはなれないのである。

 このくらいの年になると そんなもんだ で 自分は済んでしまっているのだが、真剣に自分のありようを考えている 純粋な諸氏には こんな私は 見るも不快なやからと思えるであろう事は 重々承知している。  

 それでも その方は―私の恩師である―私を責めるでもなく、諭すでもなく、健康に注意して 良い仕事をすることが出来るように 祈っています というメッセージを下さるのである。
 甘やかすというのではないと思うし、何故か 恩師にそういわれると 自分の日々の低劣さに気づいて、どうにも 情けなく 恥ずかしく・・、そうだった・・ これではいけない、思っていることが形になんかならないじゃないか・・と 心から深く反省してしまうのである。
 これは あの方だから出来ることだと思っている。  

 諄々と諭すのもいいが こうやって 私の恩師のように たった幾つかの言葉で、相手の目を覚まさせることが出来る そういう人間に いつかはなりたいと ずっと 思ってはいるのだが・・、まぁ 私には 到底無理なことではある。

 今月の末で、私の恩師は 喜寿を迎える。

 私には 今 とても 大切に思える人がいる。出来ることなら 死ぬまでその人と一緒にいたいと 切に願っている相手であるが、これまでのことを思うと なかなか 恩師には 言い出せずにいる。報告したらなんと言うだろう・・?もし 反対されるようなことがあったら わたしは どうするだろうか・・?アレコレ思われるたびに 早く行って報告を・・ と 思う気持ちにブレーキがかかっている。

 そんなこんなのもろもろや この夏 会いにいかれなかった理由も書いて、久し振りに恩師に 手紙を書いてみようと思ったのは・・、今日が あまりに静かで 10月にしては 珍しく夏日が10日以上続いたという天気予報を聞いたばかりの 久方ぶりの なだめるような雨のせいだったかもしれない。

 

その方については あまり良くは 知らないんだな・・ 私は。

でも 本当に”恩師”なのです。
わたしの これまでの生き方で 何か一つでも 誇れることがあるならば
それは 恩師の息のかかった人間だということだけです。

私の 道しるべとして 神様は 恩師とあわせてくださったんだと思います。

・・・・

朱赤に向かって 色移り行く欅の葉が 小さく風にゆれている

海に近い恩師のいる教会に届けられる私の手紙には―
今 とても 大切に思っている人があります。出来ることなら死ぬまで
その人と一緒に生きていきたいと 思っています、と 書こう。

私たちは きっと 二人で 彼を訪ねることだろう・・

11月の 良く晴れた 日曜の朝に・・。 

 


 

2002/11/10

 

見える。 

それも かなりクリアに・・・、目にするあらゆるものが・・・

――――――――――――――

昨日は 一日中 目の前に煙った情景が繰り広げられ
私は 四六時中 その日常の変化に戸惑い続けた。

それは・・・ 夜 くたびれ果てて 
まだそれほど遅くない時間に 布団の上で仮寝をした後まで 続き、
そして それは その日の朝 突然に 私の日常をかき乱したと同様に
騒ぎに騒いで 先々まで心煩ったほどの一日を また 突然に 今までのものにした。

いったい 何が原因で 何のための一日だったのか いまだ持って分からないが
しかし あの一日は 私にとっては 貴重な経験を伴うものとなった。

 ――――――――――――――――

あらゆるものの輪郭がぼやけて、そこに光りがあたると まるで 鈍く発光するかのように 痛く目を刺激し、
夫々の色は すべて鮮やかさを失い まるであわやかな夢の中のもののように 映った。

また 自分の手の届く辺りくらいまでは なんとか 予想をつけて ものの把握が出来はしても
すこし離れたり 道の向こうだったりすると もう 想像の中で 人なり物なりを判断しなくてはならなかった。

見えないというのではないが はっきりと見えていない という状態。
薄く何かに遮断されて 鮮明な映像をこの目に結べないというのは 
見ることに これまで 不自由を感じなかった身としては 
なんとも やたら焦燥と不快な不安を伴う 危うい時間の連続だった。

私も しかし いい加減で 最初は とにかく時間がたてば そういう状態が解消していくだろうと
簡単に考えていたのだが、ことは それほど簡単には 私を見逃してはくれなかった・・・

物を読むという行為に関しては もう 当然不自由で、大きな文字、明るさがある程度以上ある
ということが どれほどありがたいことか 身にしみて 痛く感じ入ったものである。

取り合えず 別に休みの日ではなかったので いつもどおりに 出かける支度をしようとして
メイクを始めたのだが、ここに また 新たな発見があり、よく見えないということは
メイクするという行為そのものについて 意欲がなえてくるのが分かった・・・

はっきり分からないから つい いいのかな・・という思いのうちに 眉を描くと
これが 鏡を近づけてみると やけに 濃い感じがする。
アイメイク然りで、色の加減に 自信がないので 結局 無難なところで となるため
今ひとつ 冴えない曖昧な顔つきになってしまう。

そして 自分のことに適当になると 周りのことは もっと どうでも良くなってしまうのだ。
気にしたくても 先ず見えないのだから 気に出来にないし、
気にしたところで 何が出来るでもないと思えば 人のことなど まったく 気にならなくなってしまうのだ。

これは 発見であった

自分の様子に これ以上気に掛けたところで・・・という やけっぱち感があって
本当に 何でもかんでも 適当になってしまうのだ。
それは すべてにおいて きっと そうなっていくのだろうと 推し量られるようなことが
つぎつぎと 起こり、それは ことごとく 私のこれまでの人生において
思いもしなかった事柄への 大いなる気づきとして 考える材料を提供した。

よく見えないがために 表に出れば わが身の安全が先ず優先的に意識され、
そのため もしかしたら 自分に向けられた挨拶かもしれないものにも 無頓着になるし
相手が子供であれ老人であれ こちらに向かってくる者は 誰でもを まず 危険と感じた。

車のヘッドライトは 異様に輝きを増し、それは 目を射りながら 常よりも凶暴に
自分に向かって迫ってくるように思え、言われない恐怖を感じてしまった。
それなのに 無灯火の自転車などは もっと 恐ろしく 音もなく背後から脇をすり抜ければ
それは まさに 怖気に全身の総毛立ち、その場に 立ちすくむほどの体の硬直で 
身を危険から守るすべさえ 思うまもなく ただ それが過ぎるのを 塀に身を擦り付けて待つのみだった。

恐ろしいのはそれだけではなかった。
仕事場への階段の 距離感にも 不安があり、なんとも頼りない思いで
一段一段 足で確認を取りながら 踏みしめるようにして 上り下りしたものだったが、
部屋に着くや否や もう へとへとで・・・ これが日常化したときのことを思ったら
どうにもたまらない 誰にというではない憤りが 身のうちに溢れ来るのを感じずに入られなかった。  

その日は 土曜日で それも 私もしょうがないのだが、
午後になって やっと 何とかしないと・・と 思い始め、いくつかの眼科に問い合わせたものの
どこも 当然のように 応答はなく あったところで 医師の不在を言い渡された。

良心的な薬局での 若い店長の言うことには まったく 納得したものの
何とか自分で出来ることならと 高い目薬を1個購入し、点眼し始めたのだが これが 目に痛い!
どうにも しみて 痛さばかりに 涙がぼろぼろとあふれ出て、一体これで 何かの役に立っているのかと
ひとり 落ち着かない仕事場で 悪態をつきながら ティッシュで目を拭っていた。

安心感がないというのは 大変なものだと つくづく 思い知った。

視力が不自由であるということが、 これまで 創造の域でしかなかったことが
こうして 現実の日常で いちいち実感と実体験を持って 知る事となったのは
確かに「貴重」なことであった。

私は この体験を レポートしようと考えた。


なぜなら 視力に障害がある人は 全体のうちのマイノリティーなパーセンテージの占め方であろうし
私は いままで 老眼や乱視での 不自由感はあっても それは いちいち 例えばめがねなどで
その煩わしさを解消することで 特に 生活に困ることはなかったし、
今まで 見えすぎると感じることが多かったために かえって それくらいのほうが
あ、すみません よく見えなくて・・ という 言い訳が立つので 
いくらかの気楽ささえ感じていたほどだったが・・・・・  

これほどの見えにくさ・・・ 不快と不安 これからどうなるのかという焦燥感とが満ちてくると
何しろ  もう それどころなんかではない!

まず 生きるということの方法を 改めて思わざるを得ない。
何をして食っていこうか、どうすれば いっぱしのものを得て 生活できていけるのか・・
そのために出来ることは 今なんだろうか・・ 子供達は みな 夫々に自分の生活があり
今 わたしについて 何かをするほどの余裕は 誰も持ち合わせていない。
両親は老いているので 彼らを当てにすることは出来ない。

さて それでも 私の生活の変化を 年若い恋人に阿る事も 
彼のこれからの 人生を思えば 憚られる。

そう ならば 自分で生きることを考えるのだ。

などと その辺りまでを 必死で考えたくらいの頃に その日 一日の
尋常でない疲れのためであろう 私は やけに眠くなり ふてくされた思いのまま
早い時間に ちょっとのつもりで横になったのだが・・・

一休みして 遅い時間に目がさめ ふと 時計に目をやると

これが 当たり前に 文字盤が読めるのだ!

そばにいた彼に 見えることを告げ 改めて 目にするものの確認をし始める

そんなちいさな行為にすら 見えることの 深い意義を見出したようで・・・
人間のもつ五感の不思議に それを与えた主の思いを ほんの少しだけ感じ取れたような 
不遜ではあるが そんな 気がして、じんわりとした熱いものの満ちてくるのを
じっくりと 抱きしめるように あじわってしまった・・・

 
 私は 子供達が小さい頃 彼らが人といさかいをするたびに
傷つけられるということが どういうことか 何度もいろいろたとえを持って話をし
その中に 人間の想像力なんて ほんとにちっぽけなものなんだから 相手の気持ちになるとか
相手の立場にたって・・と 言ったところで 決して 相手と同じようには 傷つけられた思いを
感じ取ることは出来ない、だから 傷つけてしまったと思ったら なにをおいても 先ず 謝れ、
と いったものだが・・・、見えない という人たちへの思いやりが 私の中にドレほどあっただろうか・・・

人は 決して 自分以外のものにはなれないのだ。

見える自分は 見えない相手には なれないものなのだ。
それなのに ほんの一日 見えない自分になった私は この 不思議にして貴重な体験を通して
ここに書き上げたこと以上に もっと 実に 様々なことを思うための種をまかれたような気がしている。

今在るこの自分に与えられた 様々な能力は 
それを 持ちえずに生きている人々や 途中でそれを失った人たち はては 
徐々に それを失いつつある人たちのために・・・
 そのうちには 自分も そうした状況に至るには違いないのではあろうが、
それまでの間は つかえるものなら分かち合って 使っていくようにするのが 相当なのだろうと考える

 

不快で 不安で たまらなくあせりまくった一日ではあったが・・・

確かに それは 私のこれまでの生き方に「変化」を 与えるものとなった。
この変化を 私は さて どのように 生かして生きていこうとしているのだろう・・・
朧に見え隠れするそれを 先ずは しかと見据えることから 私のこれからが始まるのであろう。

良いものとして 在ろうと 願ってはいる・・・

 

11月9日の出来事に 感謝。 

 



2002/11/23

 

 この何日か 冷たい風が吹き始めている

暖かさになれた身には そして なによりも 寒いというだけで 腹が立つような者には
大分 辛い季節に しっかり入ってしまった という 悲愴な実感がある

朝 北側の窓を開けた時に見えた 山々や里の景色は すっかり水気を失って なんとも 乾いてパサついた白っぽさを感じずにはいられなかった

  ああ・・ ヤダナー きょうもまた さむいなー・・・

のそのそと支度をして 階下で鬱々とわびしい朝食をとる
仕事に出かけることそのものが 面倒で 煩わしく思えてしまっている

それでも 自分が働かなければ 誰が食べさせてくれるというのだ・・ と毎度の台詞を吐きながらルーティンワーク的メイクを施し、持ち物を改めて ばたばたと玄関へ降りていく

下の息子の 「気をつけてねー」という 送り出すときの毎朝の声に ウー―ン・・ と気乗りのしない返事を返し 北風の吹き上げる坂道を バス停に向かう

もったりとした雲の下の向こうに見える海を見て その日の一日の具合を知る 
波は穏やか、白波も立たない・・ でも まるで むっつりとしているようで 機嫌はあまりよくなさそうだ・・

今日は 一日 きっとそれほど暖かくなく でも 昼過ぎくらいから なんとなしの温もりはありそうだな

 

 仕事場の前の家の 丁寧に手入れされた広い庭の大きな欅は オレンジの勝った茶色の枯葉たちが、ときどき 風に追われて それまで しがみついていた木を後ろに はらはらと散っていく・・
その庭では まわりの常緑の木々の中にあって それだけがきちんと時を過ごしている 

向かいの小山にも 一年中緑の絶えない竹林があり、それと並んで あまり葉色に変化のない木々が 互いにもたれあうようにして 密生している

そんな中にも 赤く色変わりしたものや 茶色に枯れはてたもの 今まさに色失せながら 浅い水気のない草色になっているものなど・・・
この時季は 本当に 視線をあちこちにめぐらせるたびに ただでさえ薄ら寒い情景が 尚のこと それを念を押し 畳み掛けながら 季節の確認をしているように感じてしまう

それでも たまに 思いがけないところに見つける 銀杏の葉の黄色い群れは、この うら寂しさの ますます増していく中にあって 唯一 心に暖かい 灯りのように それを目にするたび ほっとした思いを あじわわせてくれる

 黄色は 私の好きな色で なぜだか 幸福のイメージがあるのだが、この 世知辛く冷えこんだ世間を象徴するかのような 何もかもが枯れていく時季にあって、あの 不機嫌に くすんだ空にすら 鮮やかに映える黄は、たとえ毎日がそうであっても 時として ふと垣間見る事の出来る、優しい「人の思い」や「出来事」もあるのだ ということを 知らしめているのかもしれない
 
そうだな・・ もしかしたら 世の中 捨てたモンじゃないのかもしれない
こうやって 何もかもが枯れていくのは、ゆっくりと 命を終えていくのは、だって 次の季節が在る ということの 確かな証なんだものね

わが身の枯れ行く現実に 時たま おろおろとショックを受けながらも、そう・・ やっぱり 思いがけないところに 幸福なサプライズは 用意されているようだ

 細くて軽い 雨が降る

今日は 一日 こんな調子なんだろう
枯れていくにも 人に明るい気づきを与える 銀杏の木のように、私も 枯れていきながらも 何か なんでもいい、良い標(しる)しを 愛する人々に 残せるといいのだが・・・

 


 

2002/11/23

 


欅の木がゆれる

風のせいではないようだ・・

欅の葉が散って 道の向こうに飛んでいく

 

フックリとした ちいさな雀達が 

それを追って 

みんなで 向かいの小山に飛んでいく

 


 

2002/12/10

 

それは 出来のいいものではなかった

先ず水っぽい。
それに 真っ白という感じでもなかったし、なにより 重さを感じさせてしまっていた。

およそ 一般に知られている 美しいという表現を得るには、どうにも 基準値に達しているとは 言いにくかった。

不出来といわれたそれは しかし 予定されていたそのときのためには、今更 急に 新しいものが用意できるわけではないので、あまりのその不出来さに ただ 頭を振るばかりの番人の仕方なしの言いつけどおり、出来るだけ 範囲を広げないようにと 気をつけながら、決められた場所へ 向かうとこにした

そして それは 言われたとおりにするのが、不出来に生まれた自分に課せられた せめてもの仕事の遂行になると考え、ずっと夢見ていた憧れの仕事とは異なる結果を 働くことにした

それは 哀しみに満ちた涙を含んだ旅立ちだった

 

冷たい 無表情な風が その旅立ちに立ち会った

 

―――――――――――――――

午後からは 冷え込みの厳しさが増したようなきがした。それでも 朝よりはいくらかましな降りになったので、私は 外階段の  雪かきを始めた

この辺はあったかで 私の好きな綿のようなふんわりした積もり方はしない。
でも 私以外 特に使用しなかった その日の外階段には、クッションのような 雪が 一段一段に置かれていた。

それを 取り除けてしまうのは いかにも残念だったが でも 自分以外の方のご使用があるのなら 安全のために しなくてはならない

そう思って ちりとりで水っぽいそれをすくっては 下へ 草むらへと 放り投げていく・・。 結構 好きな作業ではある

ほんのちょっとのことだからと 部屋にいるままの格好で 動いていたのだが、ふと見た鏡の中には いつのまにかざられたのか、キラキラ光る 水雪の雫の 小さな粒が、まるで 思いつくままに投げかけられたように 髪に肩に 腕や胸に、そして 睫毛にさえも ちりばめられた 普段着の私がいて、不釣合いな輝きの自分を見ては 目を見開くほどに 喜んでいた。

 

ちょっとお仕事 
すぐ溶けちゃ受けれど  ちょっといいこと、”きれいで嬉しい・・!”

 

―――――――――――

 

生まれたことそのものを悔やんでいたそれは
自分の振りまいた ほんのちょっとの気遣いが それほどに喜ばれたことに 驚いた

そのちょっとした喜びに参与できたことが まさかと思われるほど意外で
しかもなお その嬉しげな表情と そのちょっとした出来事を
すぐに その大切な人に伝えるほどのこととして 扱われたことに
震えるほどの喜びを感ぜずに入られなかった

 

気付けば もう其れは跡形もなく 消え去り、その冷気さえも 失われてはいたが、私は あの 正直に言えば 確かに美しいとはいえない水雪の、それでも 楚々とした ガラスの輝きには『きれい』と 賛辞を与えたい。

 

 

冷たい 無表情な風が そっと 窓辺に触れたかと思うと

胸元に くぼませた片手を置いて 勢いよく 天に向かっていった

 

 


2002/12/21

 

外は 冷たい雨が降る

なかなか 暖まりきれない部屋の中で 風邪ッぴきの私は 
鼻をすすりながら 切れ切れの 書き物をしている

床に置いたスピーカーから 聞こえているのは 
この月になってからずっと 聞き続けている
クリスマスキャロル集のひとつ

7人の男女の 済んだ声だけのそれは 知っている歌もしらないそれも 
リズミカルに テンポよく 楽しげに 心の昂ぶるまま
光りの訪れに思いをはせつつ よき知らせを振りまいている

先日来の もらい風邪のために どうにもすっきりすることなく
何をするにも 掛け声なしに出来ないような今のわたしにも
足元から ゆっくりと あたたかな息吹を 送ってくれる


歌うことは好きだが・・ 声ばかりは 本当に 天与のものと 納得している

楽器ならば 練習の成果ゆえのある程度の進歩なりなんなりを期待できるけれども
声ばかりは・・・ いかに研鑚を積んだところで 
美しい と人に思われ 何度もその声で歌われることを望まれるということは
およそ ないのではないか・・と さみしく 納得してしまっているのである

 

それでも 人の声は あたたかい
こうして 半病人のようにして ちょっと惨めっぽく一人でいると
 生きている勢いや そっと 肩を包まれるかのような やわらかな息遣いは
なんとも こころに 甘く ここちよく 
この身に流れくる温もりを ありがたく うれしく感ぜずにはいられない

  これを歌っている彼らには このCDが売り出されてから 何年かたって
遠い異国の 見も知らぬ 風邪ッぴきの気持ちのなえかけた人間の心に
心地よい慰めを 与えているだろうことなど 思いもよらなかっただろうに・・・


優しく 活発にして 明るい歌声が 締め切った小さなうそ寒い仕事部屋に 満ちてくる

外では 裸の欅の枝に 隠れるべき葉もないのを承知でなのか・・
雨に打たれて 何羽かの雀達が 暖を取るように身を寄せ合って止まっている
具合が良くないとはいえ 雨露をしのぐに不自由しないわが身が 申しわけない


願わくば 光の訪れを 長い年月 飽くことなく待ち続ける 名もなき人々が
一年の終わりに 毎年繰り返す この願いの
一時も早い 喜ばしい実現のあらんことを・・・・!!  

 


2003/1/9

 

頬に痛い風を ゆるく編んだストールに うずめてかわし
重い荷物を抱えながら 家を出た よく晴れた今日の朝

いくらも行かないうちに 道端に 小さな生き物のたたずみを知る

ほんとにちいさなそれは 道の端からわずかに 出たところ
人の通るところに なにやら あたりを見回すように きょときょとしている

掌に載せても あまるくらい
グレーの背と白い腹の体に 頭と羽の先に 黒を纏い 黄色いくちばし
点のようにちっちゃな つやつやした目を まだ起きぬけから間もないように 
あてどなさそうに見開いている

きっと 近づいたら いっちゃうな・・

どうしようかなー

そっと通れば大丈夫かな・・

静かに通ろうっと

そろそろと 足音を忍ばせ 歩いては見るものの 
我々を遮る物は 何もないし 私が通れば 影がその上を覆うから
きっと びっくりして 慌てて飛んでいってしまうだろう・・

行ってしまうのは 仕方がないとしても
びっくりさせること 慌てさせることが いやだった

なるべく しずかに そぉっと 前に進んだそのとき

それは そこにたたずんだまま 小首をかしげて 私を見たのだ!

 

本当に 小さい

 

私は 多分 彼女には 脅威だろうと思えるほど 大きい存在だ
それなのに 彼女は 黙ってこちらを見ながら
いいのよ どうぞ というように ほんの二つ三つ 歩を継いで 向きをこちらに変えた

私は 立ち止まって 話し掛けたかったけれど

こういうときの 人以外のものの そういう好意(行為ではない)は
いつものことだが 私は
素直にそのまま受けることにしているので
歩く速度も変えず じぶんの影の落ちるも気にせずに 当たり前の振りをして
その実 心の中では すこしドキドキしながら

とおりすぎたのだ・・・!

すこし先に進んで 振り返ってみたが 
彼女は 相変わらず そこにいる

ちょっと立ち止まって
「あの・・ 猫がいますの、気をつけてください」
と 小さく声をかけ 後じさりしながら 角を曲がった

何の音も しない

朝日は 天気のよい日の常のように 家々の影を 道に落とし
自分が動くことで起こる風は 今は すこしだけぬるい・・

あの時 彼女は 確かに 私に向かって 好意を示したのだ!

いいのよ どうぞ・・

きっと 私の忠告も 承知してくれたことだろう・・

 

今日は 小鳥と 交信した日

グレーのちいさな鳥さんと ご挨拶した日でした

 

 


 

2003/01/12

 

明るい 日曜日

 

風もなく 柔らかな光りが降り注ぐ

青い空の下 道を歩けば 背に触れる日差しは ただ ただ 優しい

 

かれた草むらの中で なにを探してか 
雀達が 忙しそうに 陽だまりの中で おしゃべりもせず
人の近づくもいとわず せっせと 葉陰にくちばしを突っ込んでいる

彼らをかばうように 
きらきらと それだけが鮮やかな竹林が 葉を揺らめかせながら 
私に 行け と 合図する

 

窓の外を シャボン玉が たゆたうように ゆっくりと 飛んでいく

小鳥のつばさの起こす風にも こわれることなく 
光を求めて突き出した枯れ枝の端を
上手に すれすれに かわしていく

小さな子供達をつれた 若い母親達の上を
気付かれることなく ふわりと 黙って 行き過ぎる

青く輝く 西の空には 真っ白な飛行機雲が
光りのなかを 一直線に 高みを目指して 延びていく

 

しずかな しずかな 日曜日

 

風を 光りを そして その明るさと 優しさを見るだけで

春の近いを知る

 

明るい おだやかな 日曜日

 

 



2003/02/27

 

本当に いい加減に 大雑把に植え替えた 鉢植えの薔薇なのに
ちゃんとした薔薇の世話の方法など これっぽっちも知らないで
こんなもんかな・・と 適当に 添え書きを読んだ程度の知識で
花が終わったからと ザクザクと枝を切り 殆ど坊主になっていたのに
冷たい霙交じりの雨や 吹き飛ぶかと思うほどの寒風を受けながら
思い出したかのような 水遣りのみでこの冬を過ごしたというのに・・
 

 

重い雨戸をあけ、ルーティンワークのように その鉢植えを見るある日。
                    
去年からの枝の先に 赤くやわらかく 新しい枝先が背伸びし始めている。
              
なんと不思議にして気強い そしてなんとしたたかにしていじらしい 花の命か・・!

"美しい"とは このように強く、静かながらも 激しさのあるものでもあるのだ。

 命の勢い、日を求めて伸びるしなやかな若枝・・  「薔薇がほほえむ・・」

 

                                          (写真もご覧下さい)

 

 


 

2003/03/06

 

きな臭い 

じっさいに そんなにおいを感じるわけではないけれど
私はこんな匂いを かつてかいだことがある

不穏な匂い・・

不穏で 悪意に満ち、傲慢な憎しみの放つ 爆裂し 皮膚に染み付く
業火の燃えるを増幅させる 醜い 火薬の匂いだ

 

いまだ ありがたいことに 私は 実際にそれを知らない

それなのに なんという 不安だろう・・・!!

 

この不安感は 子供達が生まれるたびに いちいち感じていた不安感だ

 

なぜかしら 女の子が生まれたときは それほど身近なこととは感じなかったが
それでも やはり 背後に忍び寄る 日常へのそのものの侵食を 感じることはあった

それが もしかしたら。。 という 現実味を帯びてきたのは
やはり 息子達が生まれたときからだった・・

 

『なにかあれば この子達は 行ってしまうかもしれないのだ・・・!!』

そう思ったときの 自分は 全くの母親だった
そして そうなれば
私は 即座に 非国民になることをいとわなかった

 

私は この子達を 殺しあうために産んだ覚えはない

そんなことのために 命は与えられはしない!

命は 愛することを行なうために 与えられ 育まれるのだ。

 

あらゆる手立てを通じて 私は あらがいつづけるだろう

けっして そんなことを認めまい!
なにがあったところで けっして そんなことは 受け入れない。
自分の出来るだけの反対はし続けていこう

しかし もしも それでもそのときが来るというのなら・・

 

いいさ くるがいい

しかし 私の子供達は 決して出さない 

だすものか!

これは すべての”母親”の思い
すべての ”慈しむことを知っている人間”の思い

 

人(母親)というものを なめるんじゃない!

それこそ おもい知らせてやろう

 

腐った頭の 魯鈍な目をした くだらない生き物、愚劣にして低劣無能な政治家どもよ!
なにを勘違いしているのか 

自分に与えられていると錯覚しているその権力に 
一体 なにほどの力があるというのか

そこからうごくな!

口を開くな ものを言うな!

そんなものに ひるむ私たちではない

 

己を憐れめ! 

そして 自ら 敵地に赴き その全身を持って 戦ってみるがいい
そして そして おおくの敵の小さな命を 無抵抗の其れを
たたきつぶし 踏み倒して 勝利すればいい

 

腐った頭の 魯鈍な目をした くだらない生き物、愚劣にして低劣無能な 悪の手先どもよ!

痛むがいい、苦しむがいい、手足を吹き飛ばされ 顔を踏まれて
汚泥の中に 苦しみもがいて 死ぬに死ねずに 永遠に汚辱の痛苦をあじわうがいい

お前達が「頭で描いただけのこと」にでさえも 
これだけの事をされてもまだ足りないほどの 
悪意が  憎み足りないほどの悪意が あるのだ

じっさいに もし そうなったなら・・・!!

 

私たちは それでも 子供達を出さない

この暖かな温もりを その柔らかな感触を 
きな臭さを帯びた日常に だれが置くものか!

ニッポン!!

お前は かつて この地球上の誰もが知りえない地獄の業火をくぐりぬけ 
もう 二度と再び 間違わないと 悟ったのではなかったか!!

なぜ今 また 

なぜ・・??!!

許すわけには行かない

どんなことをしても 許さない

 

母達の、慈しむことを知る人間達の
ここからが 本当の 戦い。

息子達よ、賢くあれ。
愛するために 愛を行なうために 生まれた者たちよ

生きることを 目的に 生まれた者たちよ
賢明であれ

 

人よ!

生きようとしよう


自分ばかりでなく 生きようとするものたちすべての命を よく 生かそうとしよう

それが出来るのは 慈しむことを知る者たちのみなのだ

いま 立ち上がらずして いつ 声をあげればよいのか

 

もう 間違えるのは やめよう

私たちには それが出来るのだから・・!!

 

 

 


2003/04/01

 

 

未だ すでにこの世にあってこの世を知らない
あたらしい きみたちへ・・・

 

春の朝は ゆるゆるとしてね 
ぬくもりが・・ きみたちの知っている あのふかく やさしいまなざしの
あのぬくもりが、 なににもさえぎたられることなく 
この地上を つつんでいるようだよ

 

このところの 日のぬるみでね 
桜の樹に やわらかに あわく 春のいぶきが はなひらきはじめて
きっと きみたちも すきになるとおもうよ
わたしのだいすきな ゆめみの花が 
すこしずつ そらに あふれでていくんだ・・

 

きっと・・ いま きみたちもかんじているだろう ぞわぞわする感じはね
ごめんね きみたちには 本当に申しわけないと思っているんだ
わたしたちが いたらないためにひきおこしてしまった いさかいでね・・
きみたちのママ達は すごく 不安になっていることとおもうけれど
もうしばらく つづきそうなようすらしい・・    

 

  この世はね きみたちのしっている あの すばらしく美しい世界と
じつは 双子のようなものだったんだけどね
「ひと」は あちこちを あれこれいじくりまわし うちこわしながら
自分達につごうよいものにしようと かえてきてしまっんだ

 

ときどき 「ひと」は そうやって なにをかんちがいしたのか
おもいあがったまちがいをすることがあるんだ
かなしいけれど なさけないけれど 「ひと」は そういうこともするんだ

でもね 「ひと」はまた そういうまちがいをまちがいと認めて
ただしていこうとすることも できるし するんだよ
「ひと」には そういうちからも あるものなんだ

 

きみたちのしっているあの世界の記憶のある人は みんな
あのころのような このせかいであってほしいと ねがってね
おもいだすたび ちょっとずつ なつかしい思い出を
身近なところに あらわそうとするんだ

自然の美しさを愛したり 自分達の手で それを再現しようとしたり
勇気をもって 弱くて小さなはかない命を およばぬ力であっても  守ろうとすることも
あの世界の記憶があるからなんだと思うんだ

 

あの世界の記憶

そうだね きみたちならわかるね
そう だいじにたいせつに なんどもなんども くりかえされて知っている記憶

あいされていると なんどもなんども 感じさせてくれた記憶

じぶんが そのかたの喜びになっていると ちゃんと
分からせてくれた記憶・・

 

きみたちは それをそのまま ここへもってくるんだ

わたしたちの薄れ行く記憶を 再び鮮明にして
今以上の 世界への破壊と 今も尚行なっている命への暴虐に気付き
それを 行なうを止めることの出来る力も 本当は持っているんだということを
しっかりと おもいださせるために・・・

そのためにも  きみたちは 絶えず 生まれて来るんだと思うよ・・

 

きみたちを こころまちにしているひとたちがいる
その人たちは きみたちをずっとまっていて きみたちを抱きしめ
おもいきり あいそうと 両手をひろげてまっているよ

かれらに きみたちの記憶を わけてほしい

たいせつに 愛された記憶を おもいださせてほしい

きみたちがいるだけで こんなにも幸せになれることを知っているママやパパたちに
勇気を出して、だいじょうぶ と  力づけてほしい

 

一度 破戒されたこの世は 愛されるに足るものではなくなってしまっている
それでも 新しい命たちは あとからあとから生まれてくる・・

なんのために? なぜ・・?

希望の証 可能性の証 そして  愛されていることを思い出させるために
こんな殺伐とした 危うい世界に 今日も命たちが生まれる

訝り嘆く前に その命達を喜んで受けよう

まだ 捨て切れられずに、こんな我々にも まだ 愛を注いでくれていることを
わかりたい

その愛は かつて 何の知識もなく なんの恐れものなく
この世に 生まれくる事の出来た勇気を思い出し、
いま 必要な力を きっと もてるようにしてくれる

私たちに与えられているはずの力 勇気

自分だけでは何一つ出来ず ただ 愛されるためにだけ存在する
その小さな命達を 健やかに育み 愛された記憶ゆえに 
愛し続けることの出来る当たり前の心を 
私たちには 守り 導く義務があったのではないか?

 

彼らの記憶を頼りに 彼らのその記憶に生かされて
私たちは  もう一度 勇気あるものになろう!

 

この 小さな命たちの 大きな勇気と愛を
私たちは それでも 無にすることが出来るのだろうか?!

 

だから きっと 私たちこそ 勝利しよう!

 

 

 


2003/4/某日

 

 

 山の桜は 色薄く 桜色といっても 日に透ける白のような色合いだった。

それは 一見 頼りなく はかなげに見えそうにも思うが 

山の桜は 自分で咲こうとして咲いているように見えた。

 

その咲くときを知っていて その時に向かって 生きるために咲いているように思えた。

なにか・・ 強さとかたくましさなどとか言う言葉ではなく

当たり前に 生きることを 謳歌し なにも 思い煩わない、

たとえ 明日 すべて風にさらわれ 散り散りになったとしても

きっと なにも 悔やまない

そんなふうな 任せきったような勁さ が そこにはあった。

 

下界の桜は 綺麗に咲いていた。

そこに と 据え置かれた場所、囲われた中で 根を張り

 アスファルトを下から突き上げ 根回りを 他の植物に貸し与えながらも、

人の何気ない行いによる 幹の傷を抱えながら

枝が電線にかかる、家の窓に近すぎる、あまりに下側にありすぎる と

たびたび その形を 変えられながらも・・、そして

美しい花の盛りを一目見ようと 楽しみにやってくる

たくさんの人々を乗せた車の排気ガスに くるまれながらも・・

 

下界の桜は けなげに じっと そのときを 耐えて生きているように見えた。

 

桜    さくら・・  木花咲耶姫神の面影は

それでも さまざまに その息吹をかけあたえ

春よ 春よ・・ と 再びの時を 度毎に新たにしつつ

わたしたちに 語りかける

 

命は そのように 生ききるものぞ と・・

                                          (写真もご覧下さい)

 


2003/5/22

 

『河童に であった話』

  あれは 2年前の真夏の真昼、行きたくもないところへ 仕方なしの用事をようやく済ませて やれやれと思いながら 毎度のこと、ちょっとしたいたずらごころから 通り抜け禁止の表示を無視して 緑色に塗られたフェンスの低めの場所を選び 弾みをつけて 飛び越えてみた。

 そこは 私にとって 前々から とても気になる場所で、別に特になにがあるでもないのだが いつきても だれもおらず また 何も置いていないのに だたっぴろいその場所は どういうわけか そのそばの電力開発研究所 とかいうところの所有地らしくはあったが 本当にまったいらで ただ 乾いた土に ちらほらと申し訳程度の草がはえているだけの場所でしかないのだ。

 それなのに その二方を取り囲む小道は 丁寧に整然と植えられた立派な並木が濃い緑の葉を茂らせ 別の一方は バスの通る道路に面し もう一方は 海に続く川に沿って フェンスが延々と続いている。
  その途中の一角から 私は 入り込んだわけである。

 (良く考えれば いい加減 もうおとななのに 私は いまだに ふと こういうことを思いついて やってしまうのではある・・・。今思うと いけないなー とは 思うのだが・・・)

 とにかく、ずっと入ってみたいと思っていた場所に とりあえず入った。 いい気分だった。

 あたりは 全く音も無く・・、それは静かというより まさに静寂そのもののようにしんとしていた。 真昼で しかも 真夏の激しい太陽の光りと熱で そのだたっぴろい場所は 熱した空気の 草を煮えたぎらせるかのような陽炎のゆらゆらとした揺らめきで、より酷く打ち捨てられたままの乾ききった様子を ことさらにしていた。

 一体 アレだけの広さのあの場所がなんのためのものなのか、そして 何のために立ち入り禁止地区なのか いまだに手付かずのそこを見るたびに 全く分からずに 不思議でならないのだが、とにかく 通るたびに 一回入ってあっちの側の小道をあるいてみたいな・・と 思っていたことが実現するはずだった、そして それは夏場であればあるほど快適なはずであった。

 私は ワクワクしながら 飛び降りたところから 足を数歩先へ進めた のだが・・

 ふと・・ 妙な気配を 体全体に感じてしまったのだ。

 わからない なにもないのに・・ なにかいる・・!

 なんだろう・・と じっと目を凝らしながら 自分の後ろを振り返り ゆっくりと広い土地全体に視線をめぐらせる・・・ と、斜め右手の先に・・・!

 !! ええっ!? あれ なにっ?! 

 揺らめく空気の中に 人影のようなものが見える。小学生くらいの背の高さのものが じっとこちらを見つめている。

 真夏なのだ、本当に 真昼で、じりじりと太陽が体中を射るように 暑い日ざしを投げかけているのだ、なのに なのに・・! なんで こんなに鳥肌が立つんだ・・!!

 なんだろう なにを見ているんだ 私は・・!!


本当に あの時は ギョッとしました。

だって 殆ど毛のないような頭で しかも てっぺん近くの髪がちょっとぼさぼさしていて
じっとこちらを見ている目は 黒くてまん丸、しかも 目のふちは 赤い・・・
首は細く なで肩で・・すとんと落ちた両手は そのまま体に添って 細い足へと続いている

体全体が 薄青くて・・ 揺らめく陽炎の中、じっと立ち尽くし
 こちらへ向かってくるような気配もない・・

「水が・・ たりないんですか・・?」と
思わず 私は 心の中で呼びかけてみた・・  そう・・

私は それを 河童だと おもったのだ。

もちろん 河童なんて一度も見たことも あったことも無いんだけれど 
でも 見たとたん 河童だ と 思ったんです。

で 多分 こんなところだもの 水をなくして ふらふらと 川のほうへ行こうとして
人なんかこないはずのこの場所を選んで 通っていたんだ・・ と 思ったんです。
だから 悪いことした・・ と 瞬間思いました。きっと 会いたくなかっただろう・・と。

で 申しわけないと思ったので、聞いてみたのです。
「水が・・ たりないんですか・・?」

当たり前なのでしょうが なんの返事も無く・・ 私は ではどうしたらよいものか 
本当に 途方にくれてしまったのです。

河童って 恐いもののようにも ひょうきんなもののようにも 思っていたので
もし恐いものだったら 怒って何か仕掛けてくるか なんか知らないけど酷い目にあわされる
と 本気で思ったし、もしひょうきんなものだったら 何か駆け引きを言ってくるかも・・と
思ったんです。でも それに勝てる自信なんて まったくないんで ほんとに困ったんです。

言っておきます。2年前の 真夏で、真昼間だったんです。

私は 息苦しくなって そっと息を継ぎました。それまで 多分 息をしてなかったくらい
熱い空気にもかかわらず 胸の中に 新しい勢いが生まれるように 
新鮮な空気が 入ってきました。

 そのとき それを察知したかのように 相手はちょっと身動きして 顔を横に向けたのです。  

あ・・・   鳥だぁ・・

そう、鳥だったんですね。しかも なかなかお目にかかれない 青さぎだったんです。

でも ほんとに 衝撃的な出会いでした。

其れは 真正面から私を見ていたので くちばしがこちらを向いていて 
前から見ると ひしゃげた菱形をしていたんですね。
で 先に書いたような様子でしたから・・ もう これは てっきり河童だと・・

大きな鳥だと思いました。子供の身長くらいはありました。
やせていましたから もしかして 具合が悪かったのかもしれません 今思うとね・・

でも まったく 微動だにしなくて・・ 真夏の真昼の蜃気楼かとも思ったのですが、
でも それは ちゃんとそこにいて 私と対峙していました。

さて それと知れた後 私は すこしだけ動こうと思いました。
でも 驚かせたくなかったんで、意識を集中して 呼びかけてみました。

「あの・・ 通ります。行きますね・・」

すると 河童の青さぎは 細い足を 軽く2〜3度あげて 足踏みのようなことをしました。
でも 立っている位置も角度も変わりません。

私は 行け といっているのだと思ったので、すこしずつ 本当に静かに そぉっと
ゆっくりゆっくり 歩いてみました。

それは じっとしています。ほんとに 置かれたように そこにたっています。

私は 大丈夫だと思いましたので 少しずつ歩みを速めて 先へ進みました。
そして 時々 振り返っても見ました。でも それは ずっと じっとそこにいました。

何度目かに振り返ったとき 空気の揺らめきの中に その姿を見ることは出来ませんでした。

そこは また ただ だたっぴろい 乾いた、まったいらの荒地でしかなかったんです。


夢を見ているのかも とも おもってもみたが・・ いやいや 決して夢ではなく
あれは 厳然とした事実。紛れも無く出会った 真昼の怪 のひとつと 
私は 未だにそう それを認識している。

ひょっとしたら やっぱり あれは 河童だったのだ

人なんかいないと思っていたところに 私がいたものだから
瞬間 青さぎに変身したに違いない

そして 私の出方を待って 次の手を使う予定だったのだ。

私は 2年前の 真夏の、真昼に 不法侵入した場所で 河童に出会ってしまったのだ。 

 

すっげーーーっ!!

 


 

 

 

2003/07/01

 

よくみれば それは不思議な色

もしも 当たり前に人間の体の上にあったら

それは 多分 あやういしるし・・・

 

朝が 夜のあけきったのにも気づかぬふりして あとわずかの眠りを惜しむころ

ふと 思いついて シルバーグレーのマニュキアを 指先に落とす

この色は 自分で調合して作った色

分けてもお気に入りは 品のよい静かなラメを ほんの少々 ひそませたこと

 

太い指に不恰好な爪であっても この色は不思議に落ち着いてしまう

 

あまりに作られたようなマニュキアでメイクされた爪は 正直いうと 好きじゃない
言い訳がましく 施されたマニュキアも 好きじゃない

 

ただ 単純に・・・ 

細かく 忙しく せっせと働き動く指先に夢を持たせて 
その活動を彩れば 楽しかろうと
それだけのために 私の爪は飾られる

 

マニュキアの乾くまで 
静まり返った夜明けに耳をそばだて 
少しずつ目をさましはじめた 小さな生き物たちの息遣いを聞く・・・

 

なぜか 小宇宙を思わせる およそ 自然には現れないであろう その色合いは 
妙に 人の体の一部として マッチしてしまう 

この摩訶不思議なシルバーグレーの宇宙には

いまだ人に知られず しかし すでに誕生している 小さな星々が

ひそかに ささやくように 楚々ときらめきながら 点在する

 

この ほわんと心和む楽しさは 自分が作り出したもの

気もふさぎがちな 鬱屈した時間を想定して

自らを励まし 鼓舞するための ちょっとした魔法

 

 

よく見れば それは 不思議な色

シルバーブルーとメタリックグレーと控えめな星々の混合色

そこに眠る小宇宙は 

すっかり 目覚めた7月の最初の朝を迎えて始まる

私の”これからの時間”に 軽やかに 魔法をかけた 

 

 


 

 

2003/07/21

 

 

真青なる 天空のかなたにおわします 彼の乙女にこそ届けとや

真白に光る 白百合の思い 耐えがたく満ちて 慕い昇りゆく

 

 

 


 

 

2003/7/29

 

ともがみな われよりえらく みえるひは

はなをかいきて つまとしたしむ

 

啄木さんは 良い奥様をお持ちでした。
きっと 奥様は そんなひしゃげた青っぽい感情にも
鼻でせせら笑うことなく いとおしげに おつきあいなさったことでしょう

 

こんなときに そういう人がそばにいてくれるのは
本当に ありがたい

本当は どう思っているかなんて わからなくって
ただ 単純に あら きれいな花ですねぇ・・ と
そういって いっしょに 花の美しさをめでたとしたって
それだけでも 確かな なぐさめ

 

 

私の仕事は 結構 きつい

ナニがきついかといえば 人をうらやまずにいられないこと

 

この仕事をはじめようと思ったのは
あまりに 人が もともと持っているものに気がつかずにいることで
とても その人そのものの良さを おきっぱなしにしていることが
どういうわけか 目に付いて 気になって・・

なんとか それに気づいてほしくて、そして
どうかして もっと自分の価値に目を向けて それを感謝し
より良い時間をたくさん持ってほしいと・・
そう思ってはじめた・・ のに

 

気がつけば 自分の不具合さを 否が応でも認めざるを得ないという
この 理不尽さはなんだ と 番度 いちいちおちこんでしまう・・

 

それでも 持っている生活できる技量としては
いまのところ 自分としては これがいちばんなので・・
そうそう 放棄できるものでもなく
きついなー・・と ぼやきながらの 日々ではある

 

 

ひとがみな われよりきれいに みえるひは・・

当り散らして 落ち込んで むくれていじけてふさぎこみ

くたびれ果てての寝覚め時 

それでもなんの不足なく 生きてこられた幸いを 

ただただ感謝しながらも 

・・はなをかみつつ あたりちらさん

 

 

人間が あまりにちいさいなー・・・

 

 

 


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